市川真人「芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったか」@幻冬舎新書

 「坊っちゃん」(=明治に対し敗北していく江戸的美学を描いた小説)など面白いところが随所にあるけれど、表題となっている「芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったか」の理由は最後まで読んでもよく分からなかった。というか、作者の主張はなんとなく分かるがそれは納得のいくものではなかった。ただ、この人の書くものはなかなか面白くて、少し前に読んだ小谷野敦のまるでゴシップ誌のような文学論とは段違いに読みごたえがある。
『こころ』は本当に名作か―正直者の名作案内 (新潮新書)

『こころ』は本当に名作か―正直者の名作案内 (新潮新書)

マイケル・サンデル「ハーバード白熱教室講義録上」@早川書房

マイケル・サンデルハーバード白熱教室講義録上」@早川書房を読了。

ハーバード白熱教室講義録+東大特別授業(上)

ハーバード白熱教室講義録+東大特別授業(上)

[第三次]シアターアーツ 43号 2010夏 6月22日発売

原稿を寄稿した「シアターアーツ」43号が発売になりました。巻頭の「ニッポンの演劇」と題した対談、佐々木氏の演劇観と西堂氏の演劇観がまったく異なり微妙に嚙みあわないのが気になりますが、以前の「シアターアーツ」だったら絶対に載らなかったような内容が今回は取り上げられているのが興味深い。
 佐々木氏の対談が巻頭だということもあるでしょうが、アンケートが「00年代の演劇ベスト10」で来ていたので「この人たちは大丈夫なんだろうか?」と一瞬考えたのですが、特集はちゃんと「ゼロ年代の演劇から」となっていて一安心しました。
 私は今回は下に挙げた「ゼロ年代演劇ベスト10」の投票と関西からの発言の第一回目として「演劇か? ダンスか? 関西でも進むボーダレス化」という時評を書いています。取り上げたのは地点、KIKIKIKIKIKI、ウミ下着、松田正隆×松本雄吉「イキシマ」。東京で最近話題の「ダンスなのか、演劇なのか」という境界領域の作品が関西にも増えているということを紹介したものですが、 分量も問題もあり、本格的な論考にまでできなかったのが、心残り。この主題については今年のメインテーマとして折に触れ書いていきたいと思います。

特集・ゼロ年代の演劇から──

巻頭対談 ニッポンの演劇 佐々木敦×西堂行人
座談会 ゼロ年代の演劇から 扇田昭彦×野田 学 ×梅山いつき×西堂行人(司会)
解 説
アンケート 国際演劇評論家協会会員に聞く2000年代のベスト舞台)
2000年代ベストテン
2000年代演劇年表 2000〜2009
[論考]
ダンスのこの十年──とりわけコンテンポラリーと言われたダンスのこと 坂口勝彦
二〇〇〇年代のシェイクスピア上演は「人類の黄昏」を映す 桂 真菜

[連載]
舞台時評  『ヘンリー六世』、『夢の裂け目』・『夢の泪』 高橋 豊
演劇時評  劇場と劇作家──〈芸術〉への姿勢をめぐって 嶋田直哉
小劇場時評 資本主義を巡る三つの舞台 藤原央登
ダンス時評 腰を据えた脱領域の作業を 石井達朗
関西からの発言 演劇か? ダンスか? 関西でも進むボーダレス化 中西 理
地方からの発言 地方の可能性──福岡の場合 柴山麻妃
世界の演劇 ルーマニアの第七回国際シェイクスピア祭 野田 学
舞台人クローズアップ──竹田恵子オペラひとりっ切り 江森盛夫
[書評]『蜷川幸雄の劇世界』扇田昭彦 著 岡室美奈子

[論考]劇場と制度
劇場法による創作環境の変化 柾木博行
演劇への支援をめぐって──芸術創造の現場を豊かにするには 米屋尚子

[追悼]井上ひさし
井上ひさしは、世界の作家 今村忠純
演劇と「時間のユートピア」──井上ひさし氏を悼む 扇田昭彦

[劇評]
先取りされた未来から見た過去──渡辺源四郎商店『ヤナギダアキラ最期の日』 堀切克洋
雲吹き払う関西の"祭り"──ピッコロ劇団『真田風雲録』 今村 修

[上演テクスト]
マクベス -The Day before Tomorrow-
インタビュー──野村萬斎 聞き手・文責=河合祥一郎

ゼロ年代の演劇ベスト10」雑誌「シアターアーツ」アンケートから(中西理)
1,チェルフィッチュ「三月の5日間」 (神戸アートビレッジセンター)=2004 作・演出岡田利規

2,ポツドール「愛の渦」 (新宿シアターTOPS)=2005 作・演出三浦大輔

3,維新派「呼吸機械」 (びわ湖さいかち浜特設水上舞台)=2008 作・演出松本雄吉

4,ミクニヤナイハラプロジェクト「3年2組」 (吉祥寺シアター)=2005 作・振付・演出矢内原美邦

5,クロムモリブデン「なかよしSHOW」 (アイホール)=2004 作・演出青木秀樹

6,五反田団「ながく吐息」 (こまばアゴラ劇場)=2003 作・演出前田司郎

7,シベリア少女鉄道耳をすませば」 (王子小劇場)=2002 作・演出土屋亮一

8,ポかリン記憶舎「短い声で」 (東京デザインセンターガレリア)=2005 作・演出明神慈

9,弘前劇場・畑澤聖悟「月と牛の耳」 (下北沢ザ・スズナリ)=2001 作・演出畑澤聖悟

10,デス電所「夕景殺伐メロウ」 (精華小劇場)=2006 作・演出竹内佑

宮沢章夫「チェーホフの戦争」読了

チェーホフの戦争 (ちくま文庫)

チェーホフの戦争 (ちくま文庫)

 実は単行本で一度読んでいて今回は再読のはずなのだが、すっかり内容を失念していた。劇作家・演出家、宮沢章夫によるチェーホフの四大戯曲の読解だが実に面白い。特に面白かったのは表題である「チェーホフの戦争」という「三人姉妹」を戦争を糸口にして読解していく部分だが、第三幕の火事の場面から第四幕のトューゼンバフの決闘を戦争のメタファーとして読み取る解釈の巧みさである。実は一見はそういう風に見えない戦争劇としてチェーホフの例から思い出したのはチェルフィッチュの「三月の5日間」だったのだが、遠景としての現実の戦争を描くために近景を戦争のメタファーとして描き出すという手法に相似形を感じた。以前書いたチェルフィッチュ「三月の5日間」論ではこの場合、戦争=セックスだった*1のだけれど。それにしても戦争=ナターシャというのは慧眼といえる。

東浩紀「クォンタム・ファミリーズ」@新潮社

クォンタム・ファミリーズ

クォンタム・ファミリーズ

 批評家である東浩紀が書いた小説だというので気になって読んだのだが、これは哲学的思弁小説とはそういうものではなくて、普通によくできたハードSF小説じゃないかと思った。知り合いはこの作品は評判がいいようなので文学賞の候補になるんじゃないかと言うのだけれども、これだけSFらしいSFだとそれは無理じゃないかと思うのだが、どうだろう。逆に言えばジャンルの賞、つまり日本SF大賞の候補にはなるかもしれない。というより当然有力な候補になってもおかしくない。SFとしては平行宇宙という主題自体はフィリップ・K・ディックなどを持ち出すまでもなく、以前からあるものでそれほど目新しいわけではないけれど、量子計算機科学、検索性同一性障害などという個々のアイデアのディティールは魅力的で啓発されるところが多かった。

綾辻行人「Another アナザー」読了

Another

Another

渡辺公三「闘うレヴィ=ストロース」@平凡社新書

闘うレヴィ=ストロース (平凡社新書)

闘うレヴィ=ストロース (平凡社新書)

 ピナ・バウシュマース・カニングハムと巨匠墜つの感が強かった今年のダンス界だが、外に目を向けてみると知の巨人レヴィ=ストロースの死もニュースであった。
 「構造」とは、要素と要素間の関係からなる全体であって、この関係は一連の変形過程を通じて不変の特性を保持する
 本書によればこれが1977年にレヴィ=ストロースが初来日した時の講演で語った彼自身の「構造」についての説明だという。さらにこの後、言葉を継いで構造の定義の3つの側面に注意を喚起している。これは以下の3つである。

 第一 この定義が、要素と要素間の関係とを同一の平面に置いている点。別の言い方をすると、ある観点からは形式と見えるものが、別の観点では内容としてあらわれるし、内容と見えるものもやはり形式としてあらわれうる。
 第二 「不変」の概念。これがすこぶる重要な概念。私たちが研究しているのは他の一切が変化するときになお変化せずにあるものだからだ。
 第三 「変形(変換)」の概念。これによって「構造」と「体系」の違いが理解できる。体系も要素と要素間の関係からなる全体と定義できるが、体系には変形が可能でない。体系に手が加わるとばらばらになって崩壊してしまう。これに対し構造の特性は、その均衡状態になにか変化が加わった場合に、変形されて別の体系になる。そのような体系である。

 さらにこのことに対する著者のパラフレーズはこうである。
 「構造」とは「変われば変わるほど変わらないもの」という逆説的なもの。変化することで「崩壊」へと向かう「歴史」とは対照的ななにか