1999年10月下北沢通信日記

 1999年10月31日 大人計画ウーマンリブウーマンリブ発射」(2時半〜)、ク・ナウカ「王女メディア」(6時半〜)を観劇。

 ク・ナウカ「王女メディア」はもう少し時間がたって印象が変わらないかを確かめないとはっきりしたことはいえないけれど今年のベストプレイかもしれないと思わせる出色の出来ばえであった。ひさびさに美加理/阿部一徳のコンビ、宮城聰の演出と役者が揃い、ギリシャ悲劇の原典とあってまさにク・ナウカの底力を見せつけた舞台であった。特に背筋がぞっとするほどの凄みを見せたのがムーバーとしての美加理の演技である。ほとんど動かず表情もそれほど表面に出すことはなく抑制された演技なにもかかわらず恐ろしいほどの女の情念がそのわずかな表情の変化からビンビンと伝わってきた。この演技の前に皮肉にも宮城がこの戯曲にほどこした解釈が霞んでしまった印象が強いが、解釈という領域における知的な処理の面白さが途中で夾雑物にさえ思えてきてしまうほど純度の高い演技だったといえるかもしれない。

 10月30日 199Q太陽族「永遠の雨よりわずかに速く」(3時〜)観劇後、お茶会。その後、飛ぶ劇場「IRON」(3時〜)を観劇。

 

 10月29日 今週末はひさびさの2連休。土曜日は199Q太陽族(3時〜)と飛ぶ劇場(7時〜)の観劇予定。観劇オフ会、本当は名乗りでてほしかったけど飛び入りも歓迎なので、ぜひ参加してほしい。特に飛ぶ劇場のは主宰の泊篤志さんが出席してくれるそうなので。日曜日は昼、大人計画を見た後、夜、ク・ナウカの予定。

 表紙が変な風になってると不審に思った皆さん、表紙を変えてみようといろいろいじってるうちに力尽きましたのでとりあえずこうなってます。(笑い)気にしないでといっても字は読みにくいし、気になるか。

 10月28日 リージョナルシアター伝言板、書き込みがぴたりと止まってしまった。忙しくて、日記コーナーでも私がろくろく感想書けてないことが響いているのだろうか。そういうわけで、詳しい感想は後ほど書くとしても桃園会「うちやまつり」について一言。お薦め芝居でも★4つをつけたし、観劇オフ会も開いたので、これまであまり書かなかったけれど、確かに岸田戯曲賞を受賞した作品ではあるけれど、私は個人的には桃園会の作品としては「うちやまつり」という作品を高くは買っていない。それでもあえて、お薦めしたのは劇団としての桃園会、特に俳優陣のレベルの高さや作演出の深津篤史の才能は高く買っているからで、その初めての東京公演としてはぜひいろんな人に見てもらって桃園会という劇団の存在と知ってほしかったからである。

 「分かりにくい」というのが、初演の時の第1印象だったのだが、その時には見る方としても消化不良の感があり、再演ではどうなるだろうと考えながら、芝居に望んだのだが、初演の時の印象は強まりこそすれ、変わることはなかった。それは、第1にこの芝居では13人の登場人物が入れ代わり立ち代わり登場する群像会話劇なのに場面が「こやまさんちのにわ」と周囲の人に呼ばれている広場の一場固定だということもあり、それぞれの関係が淡くはっきりとは見えてこないということがある。しかも登場人物の名前が例えば別役実のように男1とか男2とかというのではないにしても鈴木、山本、山田、佐藤、田中……とありふれた名前ばかりなので、見ていてすぐに混乱してしまうのである。これは確実に意図的なものであって、「いるかに乗ってみる?」で登場人物が「藤原1号」「藤原2号」などと記号的に呼ばれるように団地という個人が生活していながらいわば隣りの人はなにする人ぞというような匿名的な関係性もある程度は許される世界を設定し、そこで進行していく犯罪を日常と隣り合わせであるがゆえに不気味なものとして描かれている。

 だが、人物があまりにも交換可能で記号的なものとして描かれているうえにその犯罪なるものがあまりにも同時多発的に起こっている状況なため、見る側はしだいに物語の背後に流れるパターンの読み取りが困難な状況に追い込まれていく。

 おそらく、作者の意図としてはそういうものは読み取れなくても、芝居の全体を流れていくトーンのようなものを感じとってくれればいいということなのかもしれないが、そうであるとすれば登場人物の台詞にあまりにも意味ありげな台詞が多すぎてこれではやはりどうしても裏の意味を考えたくなる。

 本格的な謎解きをここでする気はないが、この物語で起こった事件は不倫の関係にあった山田さんが藤原さんを殺したこと。藤原さんの妻は松田さんと不倫していること。それほどは確実ではないけれど、山本さんが奥さんを殺して死体を「こやまさんちの庭」に埋めていること。そして山本さんと血のつながっていない娘さんの間にはおそらく性的な関係があること。こやまさんちの3匹の猫とこやまさんもだれかに殺されてここに埋められていること。おそらく田中姉妹は実の姉妹ではなく同性愛のカップルであること。

そして、なかでも中心になっているモチーフは昨年夏から続いている女性を狙った連続バラバラ殺人事件である。この事件の存在は基調低音のように物語全体を覆っている。その容疑者として鈴木が取り調べを受けたこと。これは作品中で佐藤さんのご主人が怪しいことが暗示はされるが、鈴木も無罪と確実に決まったわけではない。

 深津がこの作品で変奏を繰り返しながら何度も提示するのは性行為と殺人の2重重ねのイメージである。山本の娘が鈴木と会って最初に言いだす50人の女性と寝た男の話がそうだし、鈴木が何度も持ちだすカマキリについてのエピソード、佐藤の妻の言葉。こうしたイメージは芝居を見終わった後もなにか残滓のように心の奥に残るのだが、それらはいまだに明確なパターンとしては焦点を結ばない。とりあえず、それが今のところの感想である。このぼんやりとした像がなにかの焦点を結びそこからなにかの有意味なパターンが導きだされるのか。これについてはもう少し考えてみなければとは思っているのだが。 

 10月27日 ダンスレビューに珍しいキノコ舞踊団「あなたが『バレる』と言ったから」を掲載。本当はもう少し推敲しなければならないのだが、時間がないので取りあえず掲載する。

 10月26日 仕事だけの1日。

 10月25日 休日出社とこのところの慢性的睡眠不足がたたってバテバテである。今週一週間なんとか持つだろうか。つくずく寄る年波を感じてしまう。

 

 10月24日 朝から出社で、2時ぐらいまで仕事をした後、珍しいキノコ舞踊団「あなたが『バレる』と言ったから」(3時〜)をもう一度、見る。その後、桃園会「うちやまつり」(6時〜)を観劇。睡眠不足状態の観劇ではなんとも体力的にしんどい芝居であった(笑い)。観劇後、ともさん、いちかわ先生、おくむらさんほか、ちょうど居あわせたニフティFステの人たちもさそって飲みにいく。観劇オフ会とはいいがたいものになってしまったが、つきあっていただいた皆さん、どうもありがとうございました。

 10月23日 ひさびさの休日。珍しいキノコ舞踊団「あなたが『バレる』と言ったから」(3時〜)を見た後、弘前劇場「家には高い木があった'99」(7時〜)を見る。どちらもダンス・演劇それぞれの部門で今年のベストアクトの有力候補といっていいほどの好舞台であった。特に「家には〜」では体調不良により、出演しなかった弘前劇場の看板女優森内美由紀の穴を埋めて、彼女が初演、再演と演じた長女うさぎ役を演じた藤本一喜の好演を筆頭に高橋聡子、佐藤てるみら女優陣の充実ぶりが目についた。観劇後、観劇オフ会。参加していただいた皆さん、ありがとうございました。

 10月22日 同下

 10月21日 仕事だけの1日。   

 10月20日 観劇オフ会募集はしたものの集まりが悪いようなので再掲載する。

 
リージョナルシアター観劇オフ会正式募集

 10月23日(土)7時〜 弘前劇場「家には高い木があった’99」
         観劇と公演後、宴会
 10月24日(日)6時〜 桃園会「うちやまつり」
         観劇と公演後、宴会
 10月30日(土)3時〜 199Q太陽族「永遠の雨よりわずかに速く」
         観劇と公演後、お茶会         7時〜 飛ぶ劇場「IRON」
         観劇と公演後、宴会


 引き続き伝言板コーナーないし、私あての個人メールで募集中。メールは表紙のフォーマットからも送信できます。今のところ、23日の弘前劇場が4人。かろうじて成立しそうなのはここだけで、199Q太陽族 お茶会2人 、飛ぶ劇場1人、桃園会ゼロという寂しいありさま。こうなったら直前まで募集しますから、ぜひ申し込んで。初めての人、特に歓迎です。

  ]桃園会について書いてみる。京都に桃園会という実力派の劇団があると聞いたのはいつだったか。女優がいいとか、ほとんど女の子だけの劇団であるとかいう事前情報があったこともあり、主宰者が男性だと知った時にはいわれのない嫉妬を覚えたほどである。最初に桃園会の芝居を見たのは大阪のウイングフィールドで題名を失念してしまったが、なにか海についての芝居を見た時で、透明感のある世界に共鳴しながらもどこか輪郭のはっきりしないところがあって、淡すぎる色彩に物足りなさを感じたことも確かだったのである。

 桃園会というか深津篤史の本領を初めて見た思いがしたのが阪神大震災の避難所を舞台にした「カラカラ」という作品。これは震災という当事者に近い人間にとってはあまりにも生々しい記憶であり、作品として客体化するのにあまりにも重大なモチーフをどのように扱うかというギリギリの表現を提示した作品(つまり、ぎりぎりのところで震災そのものを極力描かない手法により、その体験の重みを暗示するという手法)として、京都での短縮版、伊丹での再演版と2つの公演を見たがどちらもきわめて印象に残る舞台であった。

 この後も「深海魚」「黒子な私」「いるかにのってみる?」などいくつかの作品を見てはいて、そのうちのいくつかについてはレビューコーナーに書いているのでそちらを参照してほしいのだが、深津篤史の演劇の方法論についてはいまだつかみかねている部分がある。いわば、氷山の一角から氷山の全貌を想像するという構造がいわゆる「関係性の演劇」の定型であるとすれば桃園会の場合は海上に見える部分があまりに少なすぎて、全貌をうかがい知ることが不可能だという印象があるからである。

 ただ、そこから醸し出されてくる不気味な雰囲気や典型的なコミュニケーション不全の症状をかかえた登場人物の姿には現代社会の抱える病巣をえぐりだすようなところがあって、90年代後半の閉塞した空気のようなものを伝えるということでいえば、スタイルは全く異なるが大人計画松尾スズキと深津篤史は双璧ではないかと思う。

 もっとも、それゆえに深津篤史の描き出す世界は決して、愉快なものではなく、むしろ不快といっていいし、だれにでも快く受け入れられるというものでもない。特に桃園会の場合には松尾が表現のガス抜きとして多用する笑いの部分はないし、観客を完全に突き離すようなところがあるので、例えば MONOのようにだれにでも安心して薦められるというものではないのである。それでもあえて、今回の作品をお薦め芝居で4つ★を打って薦めるのは集団としての桃園会という劇団のレベルの高さを東京の演劇ファンにもぜひ知ってもらいたいからだ。特に女優陣の充実ぶりは東京の劇団でもちょっと比較できるところが少ないほどで、これだけでも一見の価値があると思うのである。



 今週末はそういうわけで、23日が珍しいキノコ舞踊団「あなたが『バレる』と言ったから」(3時〜)、弘前劇場「家には高い木があった’99」(7時〜、観劇オフ会)、24日は朝から仕事だが昼ごろには終わる予定なため、桃園会「うちやまつり」(6時〜)(一応、オフ会、参加者いまのところゼロだけど…)。仕事が早めに終わればこのうちなにかをもう1ステージ見に行く予定。 

 10月19日 グレゴリー・ベイトソンの遺作を娘のメアリー・キャサリンベイトソンが共著の形でまとめた「天使のおそれ」という本を読み返している。グレゴリー・ベイトソンといえば分裂病的思考を分析した「ダブルバインド理論」が有名だが、「精神の生態学」「精神と自然」といった主著を読んでみるとその問題群の立て方がいかに広範で多岐に渡っているのか驚かされる。「精神の生態学」「精神と自然」については以前人に貸したままそのままになってしまって、現在手許にないのが残念なのだが、以前はその2書と比べると生前に著者がまとめたものではないので、いまひとつと思っていた「天使のおそれ」もベイトソンの思索を追体験するうえで、なかなか刺激的なものであると思われてきた。これはもちろん、芸術について書かれた本でもなければ、演劇について書かれた本でもないのだが、演劇やダンスについて考える時に示唆を与えてくれそうなアイデアも登場する。そういう意味でもきわめて刺激的なのである。

 例えばメタファーについてのこんな一節。古典論理学の有名な三段論法に「バルバラの三段論法」というのがある。

 人は死ぬ
 ソクラテスは人である
 ソクラテスは死ぬだろう
 この短いくせ者の構造―その骨格―はクラス分けというものに立脚している。ソクラテスにかかる「死ぬだろう」という述語は、ソクラテスがその述語を共有するメンバーからなるクラスのメンバーだと認めたものだ。(ここではベイトソンはまわりくどい言い方をしているが学校の時に習った集合論を思いだしてほしい。要するに「人」という集合の要素が全て「死ぬ」という性質を共有しているとすれば「人」に要素として含まれるソクラテスはやはりその性質を共有しているということだ)

 さて、これに対してベイトソンは「草の三段論法」と名付けて、もうひとつの三段論法を持ちだしてくる。

 草は死ぬ
 人は死ぬ
 人は草である

 そして、べイトソンはこれをメタファーの三段論法とも呼ぶのだが、それはメタファー(隠喩)と呼ばれるものがこれと同種の構造を持っているからである。ベイトソンから少し離れて私なりにメタファーの構造を説明するとこうなる。

 メタファーは提示されたある構造がそれと同じ(類似の)構造を持つ、別のないかを想起させることである。そして、ベイトソンは論理学者がなんと批判しようと詩、芸術、ユーモア、宗教は草の三段論法びいきであり、さらにすべての前言語ならびに非言語的コミュニケーションはメタファーおよび/ないし草の三段論法によると主張するのである。それはなぜかといえば、バルバラの三段論法が成り立つにはクラスを見分けて、主部と述部を切りはなさなければならないが、言語を離れたところでは名付けられたクラスもなければ、主―述関係もないからである。

 このような手法の論理展開は私が以前からある対象について考えるときに折りに触れ多用してきたものでもあり、私個人の用語ではそれをパターン認識と呼び習わしてきたのだが、これにはアブダクション(間接還元法)という呼び方もあるということがこの本を読んで分かってきた。アブダクションとはAとBとのあいだにはっきりと認められる類似性が、さらなる類似の可能性を提示していくような推論の形式とある。

 演劇のことに話を戻せば、90年代の日本現代演劇において「関係性」「存在」「身体性」といったパターンをそこから読み取り、いわば新しい地図としてそれをマッピングしてみたい。それをなんとか今世紀中にはやりたいというのが現在の私の野望である。

 さらにいえば非言語表現の最たるものであるダンスについて考えてみるときにはこのメタファーの三段論法は演劇以上に武器になりえるのかもしれない。こちらはまだ漠然としたアイデアの域を出ないのであるが。もちろん、ここで引用したメタファーの三段論法についての部分はベイトソンのこの著書においてはほんのとば口に過ぎない。この手のいろんなアイデアはそれこそ宝石箱のように詰まった本であり、読み返せば読み返すほどいろんな発見があるのである。 

 10月18日 岩松了演出の「かもめ」は喜劇というのを妙に意識しすぎてしまったのではないか。チェホフの芝居には本質的に俗物的人物が登場して、それががらにもにあわず高尚なことを語ったりすることで、すでに十分にコメディーの要素を満たしているので、ことさら奇を衒うかのような小技を駆使しなくても、もう少し普通にやっても喜劇となるのにどうもそれぞれの俳優がやり過ぎの感があるのだ。特に目立つのがほとんど女優のパロディーを戯画的に演じているような樋口可南子のアルカージナである。これにはまったく当惑させられてしまった。

 ただ、配役はなかなかいい。なかでもメドヴェジェンコ田口浩正、マーシャの吉添文子は抜群のはまり役でどちらかというとわき役的な役どころでありんがら主役を食ってしまうほどの存在感があった。ただ、考えてみると吉添文子の演じる不機嫌なマーシャなどはいかにも岩松了が好んで描きそうな人物像であるそういう人物がいかにも魅力的なのに逆に群像劇とはいえ、チェホフが中心として考えていたと思われるアルカージナ/トリゴーリン/ニーナ/トレープレフがどうも生き生きとしてこないのは問題のような気がする。



 10月17日 岩松了演出によるチェホフ「かもめ」をシアターコクーンで見る。この後、本当は動物電気を見る予定だったのだが、お腹の調子が悪くなってしまったので、家に帰ってサッカー日本五輪代表VSタイ代表をテレビ観戦。前半はやや胃が痛くなるような展開ながら、後半立ち上がりにここ代表のポテンシャルの高さを垣間見せる攻撃を見られてまあ満足。その後、仮眠をとった後、起きて結果を知ることなしにラグビーのワールド杯、日本VSアルゼンチンを見るが、それについてはここにはなにも書くまい。そういえば、サッカー五輪代表の結成後、すぐの試合として、昨年の秋、国立競技場で日本五輪代表VSアルゼンチン五輪代表という試合を見ているのだが、考えてみればらあれからまだ1年ぐらいしかたってないわけだ。今年の春に人事異動があって忙しくなってしまった後はサッカーの試合を生で見る機会も減ってしまった。

 10月16日 今日は弘前劇場について書いてみる。大阪から東京に転勤になり、最初に見たのがこの劇団の「職員室の午後」という芝居で、その時には青年団も見たことがなく、文字通りに東京の芝居のレベルの高さに驚嘆したのだが、冷静になって後から考えるとそれは東京の芝居でもなんでもなく、弘前の芝居なのだった。(笑い)

 「関係性の演劇」という概念を最初に考えたはじめたのは弘前劇場長谷川孝治の作るの芝居と出会ったからで、これなしに青年団と最初に出会っていたら「静かな演劇」という言葉だけで思考停止を余儀なくさせられていたかもしれない。それくらい、弘前劇場の芝居を最初に見た時の衝撃は大きかったのである。

 それは「いわゆる静かさ」などとは縁もゆかりもないほどの喧騒に満ちていて、地域口語(弘前方言)による速射砲のような会話の渦。福士賢治、畑沢聖悟ら人間味に溢れる俳優たちの存在感。さらにその俳優らの微妙な表情と視線を有効に使った長谷川演出によるテキストの背後に隠された関係性の提示。アドリブも含めた自由奔放な遊び。それでいて、狂わぬ精度の高さにはプラティニのいた時代のサッカーのフランス代表のようなファンタジーを感じたのである。「職員室の午後」に実際に登場したのはバスケットボールのシーンだったのだけど、まあそれは別の話である(笑い)。

 「職員室の午後」で私に衝撃を与えた後も長谷川は「秋の隣」「FRAGMENTシリーズ」など意欲的な舞台作りで健在ぶりを示したが、それがもっとも高度な形で作品として結晶したのが94年に上演された「家には高い木があった」だった。地方の旧家で祖父の葬儀に集まる4人の兄妹を通じて、黄金時代の日本映画で描かれてきた畳と縁側の空間へのオマージュを作品に取り入れながらも現代における家族の問題に切り込んだ作品は、また4人兄妹を演じる福士賢治、畑澤聖悟、後藤紳也、森内美由紀の4人の俳優とともに成長を続けていく物語としても構想されており、役者それぞれが刻み込んだ人生における年輪とともに一層、深みを増した姿を見せてくれると期待される。東京やこの後、この作品が上演される関西の演劇ファンはもとより、会話劇を手掛けている東京、関西の劇団の俳優にはぜひ見てもらいたいと思う。



 仕事が長引いて、9時過ぎになってしまい結局、見に行くはずだった“フラクタル”は見られず。 

 10月15日 今週は土曜日(16日)は仕事だが、早めに終わればメールで招待してもらったこともあり、ひさびさにまだ未見の若手劇団(ユニット?) “フラクタル”「馬鹿が背広でやってくる」を見るつもり。このところ、新しい劇団を見てみる機会が減っていたので、楽しみではある。17日は Bunkamura「かもめ」(2時〜)、動物電気「チョップが如く」(7時〜)。
 来週からはリージョナルシアターシリーズが始まるので、最初はここで自己紹介(伝言板2)を期間限定で、リージョナルシアター伝言板として開放することにしました。観劇オフ会の表明は普通の伝言板の方でお願いしますが、さっそく、MONOとジャビジャブが始まるので、感想なりなんなり書き込んでみてください。

 10月14日 やっと、観劇オフ会の参加について何人か名乗り出てくれた人はでてきたようだが、ばらばらなんでけっこう厳しい状況は続いている。

 参加者しだいなのでまだ必ずどれもやりますとはいえないが、取りあえず私は参加できそうなので観劇オフ会正式募集します。

 
リージョナルシアター観劇オフ会正式募集

 10月23日(土)7時〜 弘前劇場「家には高い木があった’99」
         観劇と公演後、宴会
 10月24日(日)6時〜 桃園会「うちやまつり」
         観劇と公演後、宴会
 10月30日(土)3時〜 199Q太陽族「永遠の雨よりわずかに速く」
         観劇と公演後、お茶会         7時〜 飛ぶ劇場「IRON」
         観劇と公演後、宴会


 観劇オフ会についてはお得な共通チケットもあるということですが、とりあえず制作さんの好意で、飛ぶ劇場はチケットの幹事確保(前売り扱い)が可能になりました。希望者は私あてのメールか、伝言板への書き込みで参加の表明をお願いします。宴会の参加についてはオフ会以外の回の芝居を見た人の参加は大歓迎。これからみるという人もけっこうですが、見た人どうしの話はネタバレもでると思いますのでそれはオウンリスクということでどうぞ。オフ会の開催のめどはあまりに参加者が少なくてもなんですので、それぞれ芝居が行なわれる週の木曜日深夜をめどに考えたいと思います。なお、参加者の集まり方のパターンにもよりますが30日の宴会は太陽族と飛ぶ劇場の合同オフ会にするかも。両方見ている人が多ければという感じですけど。    

 10月13日 東京国際舞台芸術フェスティバルの一環として開催されるリージョナルシアター・シリーズがいよいよ来週(19日)からスタートする。今回のフェスティバルに参加する劇団と作品についてはすでにお薦め芝居でも書いているが、この日記コーナーでは各劇団と私との個人的な出合いも含め、もう少し詳しく紹介してみたい。すでにこの劇団の作品を何度も見ている人に取ってはいわずもがなのこともあるが、ここではそれぞれの劇団を初めて見る人に向けて、入門編的なことも書いてみたい。今日はまず最初に上演するジャブジャブサーキットとMONOについて。

 ジャブジャブサーキットは岐阜に本拠を置く劇団だが、主として名古屋を中心に活動し、最近では年2、3回のペースで東京、大阪でも本公演を行い徐々に知名度を高めつつある。作演出を担当するはせひろいちの作風は群像会話劇の形式で、日常的な描写のディティールを積み重ねながら、その背後に垣間見える非日常的な世界(それは例えば拘置所の中「まんどらごら異聞」であったり、異界の世界とつながる台所「非常階段」だったりする)を描き出すことにある。

 私が最初にこの劇団を見たのはこまばアゴラ劇場の大世紀末演劇展で上演された「さよなら三角’94」でこの時には80年代演劇に典型的なSF活劇風の作風であったが、この後に上演されたワンシチュエーション劇「図書館奇譚」(94年)をきっかけに場面転換のほとんどない群像会話劇に作風を大きく転換。これと「まんどらごら異聞」(95年)、「冬虫夏草夜話」(96年)と続く「幻想3部作」により、前に挙げたその作風をほぼ確立。その延長線上に登場した「非常怪談」(97年)はその年のベスト10上位の座を占める好舞台で、これまでのところ私が見た中ではこの劇団のベストプレイといえる。

 もっとも、こうした日常性から立ち上がる幻想を描くという作風にとどまらず、最近はやはり同じようにディティールの積み重ね、謎解きの構造を巧妙に使うことで観客の想像力を喚起しながら森の中の研究所「バクスター氏の実験」や未来世界「マイケルの冗談」といったもともとはせがよく描いていたSF的な設定をよりリアルに描き出すことに力を注いでいる。孤島に人知らずして設けられた犯罪研究所を舞台に合法的な人体実験を繰り返す近未来の研究者らを描くという新作「ダブルフェイク」はその延長線上にある作品と予想される。設定からいえば「時計仕掛けのオレンジ」やはせが好きだというフィリップ・K・ディックが好んで描いたようなディストピア的な未来世界を連想させられるが、そうした先行作品を意識したうえで、はせが描き出す世界はけっして一筋縄ではいかないはず。

 一色忍、岩木淳子ら若手女優陣の成長や少年王者舘にも客演した栗木己義ら中心役者の充実ぶりもあり、群像劇としてのアンサンブルのレベルの高さは特筆すべきもので、旬の劇団といっていいと思う。

 参考までにこれまで見たジャブジャブサーキットの作品のうち私の個人ベスト3を挙げておくと
 1、「非常怪談」
 2、「まんどらごら異聞」
 3、「冬虫夏草夜話」
 3、「マイケルの冗談」
となる。3位は同率である。

 「非常怪談」はミステリ劇としても、ホラー劇としても群像会話劇としても近来まれに見る傑作。切れ味鋭いラストシーンの鮮やかさには唖然とさせられた。一色忍の衝撃的デビューとなった初演もよかったが、98年の再演はそれぞれの俳優の演技の面でも一層レベルアップされたものとなっていた。いまでも、この戯曲が劇作家協会新人戯曲賞の最終選考になぜ残らなかったのかは謎である。「まんどらごら異聞」も初演以上に一色忍が節役にキャストされた大阪での再演が印象的。拘置所という普段我々が立ち入ることのない空間を舞台にミステリタッチのスリリングな展開が見事である。

 一方、MONOは京都に本拠を置く劇団で、89年にB級プラクティスとして結成され、その後、91年に現在の劇団名に改名したというから、今年は劇団結成10周年の記念の年となる。

 旗揚げ以来のメンバーである作演出の土田英生、水沼健ら個性的な俳優による少人数の質の高い会話劇が特色。こちらも最初に見たのは扇町ミュージアムスクエアの若手劇団発掘企画、アクトトライアルで大阪に初登場した時で、この時にはまだつかこうへいなどの影響を受けながら、自らの作風を模索している時期であったが、その後、京都のアルティで上演された「スタジオNO.5」でワンシテュエーションの群像会話劇に方向転換。都市に住む清潔なホームレスたちを描いた「路上生活者」、クリスマスを嫌う人たちが集まるイブのペンションを舞台にした「Holy Night」、大勢で詐欺にでかける詐欺師の集団を描いた「約三十の嘘」と実際にはありえないが、絶対にありえないわけではない奇妙な状況に置かれた群像を会話劇のスタイルにより、コミカルに描きながら、そこから現代がかかえる様々な問題を浮かび上がらせていく。

 元時空劇場の金替康博が正式メンバーとして参加したことで、一層パワーアップ、昨年、利賀フェスで上演された「きゅうりの花」、今年上演された「燕のいる駅」はいずれも年間ベストプレイの上位にランクされる好舞台であった。これまでは東京では以前に大世紀末演劇展に参加して「路上生活者」を上演したことはあるものの、松田正隆らの戯曲賞受賞で京都演劇界が注目される以前で一般の注目度はまだ低く、今回が満を持しての東京本格進出となる。奥村泰彦(一色正春の名前で俳優としても出演する)の美術ほか、スタッフワークのレベルの高さにも注目してほしい。

 「―初恋」は97年に京都、大阪で上演された舞台の再演。ホモアパートの名前で近所で呼ばれている「ハイツ結城」で集団生活している同性愛者たちという土田英生らしいひねったシチュエーションで起こるおかしくも哀しい恋愛事件が描かれる。微妙な会話のずれによって起こる笑いを交えて、進行していく芝居はエンターテインメント性がきわめて高く、単純に楽しむことも出きるが、それだけにとどまらずシニカルなものの見方を通じて社会に対する批評性をも合せ持っているのが土田の紡ぎだす世界の特徴である。G2プロデュースやM.O.Pへの戯曲の提供などで東京でも徐々に劇作家としては知られるようになっている土田だが、息のあった役者たちとの絶妙なアンサンブルはここでしか見られないもの。東京の演劇ファンにぜひ見てもらいたい公演のナンバー1である所以である。

 これも参考までにこれまで見たMONOの作品のうち私の個人ベスト3を挙げておくと
 1、「きゅうりの花」
 2、「燕のいる駅」
 3、「約三十の嘘
 3、「Holy Night」
 いちおう、1、2位をつけてはみたが、本当は「きゅうりの花」と「燕のいる駅」はコメディー色の強い「きゅうり〜」とドラマ色の強い「燕〜」と作品の方向性がかなり違い甲乙つけがたいといったところ。「約三十の嘘」は土田流ウエルメードコメディーの傑作。深みにこそ欠けるが、良質のコメディーとして、最上級といえる舞台だったんじゃないだろうか。「Holy Night」は女性の描き方などにやや不満もあるがストレートにMONOのよさが出た作品として、楽しめたし、奥村泰彦の天才的美術を堪能できた。 リージョナルシアターの観劇オフ会仮募集を開始。10月後半の仕事のスケジュールが分かり、私のスケジュール的には以前に挙げた公演については大丈夫そうだが、現在のところ反応がゼロ。一応、今週末まで引き続き募集を続けてみるつもりだが、このままじゃ参加者不足で実現は難しそう。だれか、参加してくれ〜〜。 

 10月12日 ポかリン記憶舎は旗揚げ3年目という若手劇団ながら、その表現のオリジナリティーの高さから、私がもっとも注目している劇団のひとつとなっている。少人数の出演者で、張り詰めたのような濃密な劇空間を築き上げた前回の公演「Pictures」は若手劇団に似あわぬ完成度の高さを見せてくれたので、今度はどうだろうと注目していた。

 今回の舞台は田舎の温泉町の休憩所である。基本的には群像会話劇のスタイルを取っており、この休憩所には様々な人物が現れてはまた去っていく。こうした構成は平田オリザ岩松了らに代表される「関係性の演劇」の手法を思わせるが、ここでは平田らの作劇のように会話を通じて、登場人物の間の隠された関係性が浮かびあがってくるといような構造にはなっていない。

 なにかの調査でこの温泉町にやってきた相原水質研究所という会社の研究者らしい3人の男たち(野田宗司、田中邦昭、池川真人)。この町の祭りに参加するために呼ばれてきたらしいやはり3人組の女性たち(田上智那、松田恵子、高橋由希)。さらに村の青年団の男たち(後藤文一郎、村田暁彦)や温泉のやってきていちゃついている恋人たち(西手勝秋、秋山京子)。こうした複数の人物の関係が芝居の進行にともなって、徐々に提示されていくが、休憩所に集う人々の日常的な描写と思わせる前半部の描写はそれが日常と微妙にずれた空間であることを小出しにしながら、後半になって起こってくる様々な不思議なことに観客を少しづつ引っ張っていく、伏線の役割を果たしている。ここにこの芝居での明神慈の作劇のからくりがある。

 ポかリン記憶舎の独自性は後半部に起こる非日常的な怪異の描写にある。短いシーンながら着物姿の坂井珠真が登場するにいたり、この芝居は明らかに幻想の方向に向かって転調する。だが、それがいきなり登場するわけではなく、そうした怪異が起こっても変でない雰囲気に徐々に一見、日常的な描写の積み重ねによって、飛躍のための滑走路のようなものを作っていく。ここにポかリン記憶舎のこれは「関係性の演劇」の側の作家であるジャブジャブサーキットのはせひろいちの作劇法にもあい通じるものがある。だが、はせと明神の方法が大きく異なるのは、はせの場合はあくまで怪異、あるいは幻想は日常描写の背後に暗示されるような存在であるのに対して、明神の場合、最終的にはビジュアルとしてそれをはっきりと見せることが主眼となっているからである。

 「Pictures」の上演を通じて、それまで無意識であった方法論がかなり意識化されたためか、この芝居では16人という多数の人物が登場し、しかもポかリン記憶舎の芝居は初めて出演する役者が半分以上を占めていたのにもかかわらず、全員がしっかりとポかリン的な世界を体現する演技をするレベルにまで達していたのには感心させられた。ポかリン記憶舎はこの後、12月4、5日に男優2人による2人芝居「スリヌケル」を上演。来年、3月の「オン・シツ」はまた「Picuters」同様に登場人物5人らしいので、今回の結果を踏まえて今度はどんな世界を描き出すのかがますます注目である。    

 10月11日 観劇オフ会仮募集中だが、いまのところあまり反応がない。連休中ということもあるかもしれないが、アクセス数も1日平均50〜60に激減しており、このページもなんとかしないとジリ貧という感じである。

 10月10日 ボリショイ・バレエ団「ジゼル」(1時半〜)を観劇。また、寝過ごしてしまった。はっきりいって、終日の疲れが取れない状態が続いている。いつも、仕事が午後2時半に始まり、それに間に合うように明け方に寝るような生活をしているので(誤解のないように言っておくとその意味では決して不規則でなく、普通の人と時間がずれているだけで、けっこう規則正しい生活ではあるのである)、1時半の開演、しかも上野というのは私にとってはきついのである。そういうわけで、冒頭の部分を見逃してしまったので、演出についてはいっさい触れないで、ジゼルを演じたルンキナについてだけ感想を述べたい。

 この「ジゼル」というバレエが彼女の個性に合っていたというのもあるのはあるのであろうが、1幕でのいかにも村娘らしい可憐さと2幕での凛とした立ち居振る舞いの対照が非常に印象的であった。はっきり言って、演技もあるにはあるのだろうが、1幕では可憐といえばいいいけど、本当に幼い感じで子ども子どもしてるのである。こんなんで大丈夫なのか、どうなんだろうと思わせたのだが、第2部でウィリになって出てきてからはなかなか堂々たるもの。将来有望な大器とはいえるだろう。ただ、どこかでそれデビューのセンセーションさからギエムと比べるような評を読んだ記憶があるが、まるで違うタイプ。テクニックがないというわけじゃないが、どちらかというと超絶技巧を見せるというよりは演技力で生きてくるタイプではないだろうか。ただ、今回見たのはジゼルだけなので、もう少しいろんな作品を見てみないとよくわからないところもある。今回の公演では「ジゼル」のほか、「ドン・キホーテ」も踊ったようだが、こちらはどうだったのだろうか。

 ポかリン記憶舎「カミン」(6時〜)を観劇。

 10月9日 今週末は世間の人の多くは3連休なのだなあ。私は今日が出社。11日も出社なため、休めるのは10日だけである。10日は昼はボリショイ・バレエ団「ジゼル」(1時半〜)。期待のルンキナである。先週はガラ公演に寝過ごしてしまうという失態を演じたので、今度こそ間に合うように行かなくちゃ。夜はポかリン記憶舎「カミン」(6時〜)。こちらもどんなポかリンワールドを今度は見せてくれるか楽しみである。興味のある人は明神慈(ポかリン記憶舎)インタビューも覗いてみてください。まことにユニークな演劇観の持ち主であることがわかります。

 10月8日 月後半のスケジュールが固まらないので流動的ではあるが、リージョナルシアターで観劇オフ会を開きたいと思う。もっとも、最近のこのページの集まり具合ではオフ会が成立するかどうか、怪しいところもあるので、とりあえず仮募集して、 3人以上参加者が現れそうなら、その時は観劇オフ会ということで、正式募集することにしたい。劇団側とも連絡を取っていないので、チケットの幹事確保は未確定だが、おそらくソールドアウトにはなっていないはず。弘前劇場はおそらく、幹事確保可能だと思います。

 
リージョナルシアター観劇オフ会仮募集

 10月23日(土)7時〜 弘前劇場「家には高い木があった’99」
 10月24日(日)6時〜 桃園会「うちやまつり」
 10月30日(土)3時〜 199Q太陽族「永遠の雨よりわずかに速く」
         7時〜 飛ぶ劇場「IRON」
 公演場所はいずれも池袋の東京芸術劇場なので、宴会会場も終演後そのちかくのどこかでとなる予定。

 10月30日については集まり具合によって、合同オフ会にするか、お茶会とオフ会にするか検討。オフ会といっても芝居がはねた後、その日見た芝居をもとに食べ物を食べながらわいわいやろうというだけなんで、気軽に参加をしてほしい。確約はできないが劇団からのゲストの参加も交渉してみます。希望者はこの書き込みを伝言板に転載するので、そこへのコメントか、私あてのメール(BXL02200@nifty.ne.jp)で参加表明してほしい。

  10月5日〜7日 お薦め芝居を書いたり、この日記コーナーの以前のところに加筆とかしていたためにこのコーナー全然書けませんでした。毎日、更新を目指しているだけに申し訳ない。一応、お薦め芝居10月の完全版を掲載しました。

 10月4日 触れないでなかったことにしようかとも思ったのですが、せっかく、伝言板 の方でおくむらさんがコメントしてくれたので仕方なく書くと(笑い)、この日記の1日のところでは張りきっていたラグビーW杯ですが、もうほとんど完全に終わりました。つくづく、この日本という国でスポーツファンをやっているということの呪われた宿命さえ感じてしまいました。ついでなのでもうひとつ。このページに前から書き込みをしていただいており、仕事の関係でこのところしばらくモントリオールに滞在中のとくながさんがやはり伝言板モントリオールヌーベルダンスフェスティバルの観劇レポートをしてくれています。これまで、マチルド・モニエとローザスの公演を見て感想を書いてきてくれています。くそー、うらやましいなあ。ちなみの彼の観劇動機は私を悔しがらせるためという不純なもののよう(笑い)ですが、その目的は十分に達成されたということことができるでしょう。興味を持った人は覗いてみてください。

 10月3日 ボリショイ・バレエ団「ボリショイの栄光」、故林広志プロデュース「当時はポピュラー2 北沢順一さん、39才、医師」を観劇。

 この日は朝からというか、昼から夜まで東京を駆け回った日であった。というのは楽しみにしていたボリショイ・バレエ団の公演だが、前日仕事が朝早くて、睡眠時間が少なかったこともあり、起きたらすでに1時20分と開演時間まで10分を切っていたのだ。とにかく、すぐに起き上がって、着替えもままならにままに駅まで走り、渋谷駅からまた駈けたのだが、こういう時のNHKホールの遠いこと遠いこと。へろへろになってホールに着くとすでにプログラムの2番目の演目がはじまってしまっていたのであった。そういうわけで、これから、一応、「ボリショイの栄光」のプログラムを書くけど1、2は見られなかった。特に「白鳥の湖 4幕」が見られなかったのは痛恨。バレエのガラ公演というと同工異曲のパ・ド・ドュが次から次に出てきて食傷することが多いのだけど、今回のプログラムはもう少し見たいというところで終わってしまったので、少し欲求不満。最初から見たらもう少し満腹感が得られたかどうか。いずれにせよもう少し見たいという風に思われたというのはバレエ公演としてはまあまあよかったということなんだけど。以下にプログラムと簡単な感想を記すことにする。

 第1部
 1、「愛の伝説」より″行進″ ガリーナ・ステパネンコ、ドミトリー・ベロゴリフツェフ、インナ・ぺトロワ
 2、「白鳥の湖」より第4幕 白鳥の女王/アンナ・アントーニチェワ、国王/ニコライ・ツィスカリーゼ、王子/セルゲイ・フィーリンほか
  3、「スパルタクス」より″アッピア街道″ スパルタクス/アンドレイ・ウヴァーロフ
 第2部 4、「ディアナとアクティオン」 アンナ・アントニーチェア、ドミトリー・ベロゴリフツェフ
 5、「ナルシス」 ニコライ・ツィスカリーゼ
 6、「ラ・バヤデール」より″太鼓の踊り″ アナスタシア・ヤーツェンコ、ウラジミール・モイセーエフ、アレクサンドル・ぺトホーフ
 7、「瀕死の白鳥」 インナ・ぺトロワ
 8、オペラ「ルスランとリュドミラ」より ガリーナ・ステパネンコ、マリーヤ・アレクサンドローワ、スヴェトラーナ・ウヴァーロワ、スヴェトラーナ・ルンキナほか
 第3部
  9、「ラ・バヤデール」より″影の王国″ ニキヤ/ニーナ・アナニアシヴィリソロル/セルゲイ・フィーリン、第1バリエーション/ナタリア・マランディーナ、第2バリエーション/ニーナ・スぺランスカヤ、第3バリエーション/マリーヤ・アレクサンドローワ、及びボリショイ・バレエ団

 今回の公演はガラ形式とはいえ、ボリショイ・バレエ団の公演だけに多くの演目で単独のパ・ド・ドウが踊られるだけでなく、コール・ド・バレエによる群舞がフルに登場するのが特色である。そのなかでも「スパルタクス」は男性のダンサーの群舞が中心だけあって、迫力十分である。このバレエは一度は全幕もので見てみたいなと思っているのだが、いまだ実現せずである。確かレニングラード・バレエが上演するような記憶があるが、平日だったのであきらめたような。

 今回の演目の中ではこの「スパルタクス」と「ラ・バヤデール」より″太鼓の踊り″といった男性ダンサー中心に群舞も入って見せてくれるものが印象に残った。後、ツェスカリーゼが妖しい魅力を振りまいた「ナルシス」を不謹慎ながらちょっと笑ってしまったが、ダンサーとしての色気を感じさせてなかなかよかった。

 また、ダンスール・ノーブルのらしさという点でフィーリン、ベロゴリフツェフには安定感を感じた。一方、女性陣は「ディアナとアクティオン」のアンナ・アントニーチェア、「瀕死の白鳥」のインナ・ぺトロワともにこれがこの人ならではの魅力だというのを感じさせる個性に欠けていた感がある。ニーナ・アナニアシヴィリはさすがにバレエダンサーとしての華があったが、″影の王国″がはたして彼女の魅力を存分に発揮出きる演目だったのかどうか。彼女の「ジゼル」には期待していただけに仕事で見られなくなったのは残念。今回の公演でもっとも期待していた噂のルンキナだが、「ルスランとリュドミラ」では他のダンサーの間に埋没してしまった感じでどうもよく分からなかった。ただ、こちらはこれだけではなんとも判断のしようがないので10日の「ジゼル」に期待というところである。

 さて、ボリショイ・バレエ公演を見終わった後、時間をどこでつぶそうかと考え、渋谷駅に向かう途中にある「フォルクス」に入り、遅い昼食で腹ごしらえ。開演の7時に間に合うようにと時計を見てそろそろ店を出ようかとして念のために確認したら、故林プロデュースの開演時間なんと6時じゃないか。時計を見るとすでに5時40分を回っている。店で支払いをする時間ももどかしく、こりゃ駅に歩いていったらとうてい間に合わないとタクシーを拾おうとするが、これがなかなかこない。だんだん、絶望的な気持ちになってきたところをやっとタクシーが来たが、どれだけ時間がかかるか分からない。とにかく、新宿につきシアター・トップスに走る時のつらかったこと。やっと力尽きそうになりながら走った甲斐があって、開演時間ぎりぎりに飛び込むことができた。それにしても、最近、この手のミスが公私ともに多い。気をつけなくては。

 故林広志プロデュース「当時はポピュラー2 北沢順一さん、39才、医師」当時は京都から東京に居を移したガバメント・オブ・ドッグスの故林広志が東京でコントサンプルなど小公演を通じてやってきたメンバーに加えて、小村裕次郎(猫ニャー)、仁田原早苗、安沢千草(ナイロン100℃)、高山広、松尾貴史ダブルキャスト)といったところをゲストに呼んでのコントライブ。オムニバス形式のコントがゆるやかにエピソードとしてつながるという形式はガバメント・オブ・ドックスと同じだが、女優も出演しているだけに雰囲気はずいぶん異なるものとなっている。これまでの故林の東京での公演では今上演されているコントを見ながらも、ガバメントの影を背後に感じてしまうことが多かった(これがアッチャマンだったらとか)が今回はそういうことが少なく、やっと新しい体制での公演が軌道に乗り始めたというとことであろうか。今回は松尾貴史と高山広のダブルキャスト(いずれも3役を演じる)あるが、松尾バージョンしか残念ながら見ることはできなかった。

 昨年銀座小劇場で上演された「当時はポピュラー1」の時に若手コント組として出演していた嶋村太一竹井亮介らがその時に出演していた水沼健らと比べて、故林ワールドを構築しきってない印象がったのに対して、今回は中心的な役割を担いうる力量を獲得しつつあり、さらにガバメントのオリジナルメンバーから犬飼若浩が東京にやってきたことで、やっと東京でも公演できる体制が徐々にではあるが整いつつあるといえるかもしれない。

 今回の出演者の中ではナイロン100℃の仁田原早苗がなんともとぼけた味をだして面白い。冒頭の患者の会のシーンでの微妙にかみあってるんだかかみあってないんだか分からない会話が笑わせてくれる。昨年の「当時〜1」での村岡希美ほどの衝撃はなかったもののやはりナイロンは女優の宝庫である。ニーチェについてのレポートを書いているボランティアの先輩に対して、ニーチェを借りて読んでいて、「この人なんでこんなえらそうな口調でいうの。お侍さんみたい」というような感想を述べ、先輩は「それは翻訳だから、ニーチェがそういう口調で文章を書いているのかどうかは疑問である」というようなことをこたえる。いわゆる素朴な疑問タイプのコント対話だが、ここでわざわざニーチェを持ちだしてくるところなんか、普通だったら教養主義的なハイブラウな匂いが漂い嫌みになるようなところを彼女がからむと全然そんな風でなく聞えるから不思議である(笑い)。

 松尾貴史はこのメンバーの中に入ると明確に異質な存在であって、アドリブも含めてかなり自由に演じていた印象が強い、今回は構造的にもそういう松尾の存在を許容するような形で、全体の構成が組まれていた感はあるが、その分、ガバメントなどと比べるとアンサンブルの緻密さにかける印象があったのも確かなのである。このあたり高山バージョンがどうだったのかが気にはなるところである。猫ニャーの小村裕次郎はまだ今回初参加(というか他集団への客演も初めて)ということもあって、いまひとつ実力が完全には発揮できていない印象が強かった。故林のコントでは日常的なシチュエーションからはじまって、しだいに非日常的なところに巻き込まれていくというパターンがある。ガバメントの場合にはそうした時の非日常的な部分を水沼健や土田英生、エディ・E・アッチャマン(彼は永遠の彼岸的存在)が演じてみせているのだが、今回のメンバーの中には残念ながらそういう一種の狂気といったものを担える俳優が見当たらない。それゆえ、ややネタ的にもパターンが片寄った印象はある。

     

  10月2日 仕事が早めに終わったので、迷いにまよった揚げ句、演劇集団円「遠い日々の人」を観劇。平田オリザ作演出による舞台だが、これが予想以上の好舞台であった。最近、松田正隆岩松了をはじめとして「関係性の演劇」と私がよんでいる群像会話劇を新劇団が上演する機会が増えているが、これはそういう芝居の中でも最上の部類に入る出来ではないかと思う。今週末までやっているはずなので、まだ見てない人がいれば必見である。

 青年団で上演される平田の芝居と比べると方法論的な実験性においてはゆずる部分はあるのだが、その分、古典的な風格を感じさせる舞台となっている。平田本人が劇団に乗り込んで行って、作演出のみならずキャストの選定から全面的に手掛けているだけあって、演じている俳優たちも演技においてかなり流暢に平田メソッドを使いこなしている。このあたりに新劇団の小劇場系の劇団にはない俳優集団としての層の厚さというものを感じさせられた。演劇集団円は最近でも、渡辺えりこや岩松了に書き下ろし作品を依頼し上演するなど小劇場系の外部の劇作家の作品の上演には積極的ではあったが、今回の場合、平田が演出まで担当しているのが特徴。おそらく、この作品を他の人が演出していたら、ここまでの成功はなかったのではないかと思われるので、平田の演出を劇団公演として受け入れたという劇団としての勇気に敬意を払いたい。



 10月1日 ラグビーのワールドカップが始まった。さて、平尾ジャパンはどんな試合をしてくれるのだろうか。前のワールドカップで100点差試合を見せられてから、どんな試合を見ても懐疑的になってしまうのが、日本のラグビーファンを続けてきたものの性だが、今回は少なくともサッカーの岡田ジャパンよりは期待できそうな気がする。サッカーの五輪最終予選もあるし、ほとんど国内では話題にもなっていないがヨットのアメリカズカップの挑戦艇決定戦ルイ・ヴィトンカップも10月18日からスタートする。初戦はアルゼンチンが健闘を見せたものの大方の予想どおりにウェールズ勝利。この結果はいかに見るべきか。とにかく初戦のサモア戦勝たないと話にならないからならなあ。

 明日はなんとか早く仕事が終わったら、なにか芝居を見に行きたいけどおそらく難しいだろうなあ。日曜日のバレエと芝居に期待である。