2000年10月下北沢通信日記風雑記帳

 10月31日 ジャブジャブサーキット+少年王者館「8月の南瓜と12月の西瓜とケンタウリ」の感想を書く。(ということで感想を全部書き終わったところで急にマックの調子がおかしくなり、突然エディターソフトが終了してしまい、それまで書いた文章が全部消えてしまった)。一応、もう一度書き直そうとはしたのだが、今日のところは書く気力がすっかり失せてしまった。

 名古屋を中心に演劇活動を行っている2つの劇団の合同公演である。ジャブジャブサーキットのはせひろいちが31の短編ストーリーを脚本化、それを少年王者舘天野天街が再構成・演出し舞台化。両劇団の俳優が出演した。

 2劇団による合同公演はこれまでもいくつかの劇団によって試みられ、劇団の単独公演ともプロデュース公演とも違う舞台成果を上げてきた。もっとも青年団弘前劇場ナイロン100℃+猫ニャー(猫100℃ー)、演劇集団キャラメルボックス惑星ピスタチオなどこれまでは、多くの場合、どちらかの主宰者が脚本/演出を手掛け、もう一方の劇団は俳優が舞台に出演するというのパターンが多かった。すでにジャブジャブサーキットは今年、燐光群との合同公演を敢行し、坂手洋二の脚本をはせひろいちが演出し「神田川の妻」を上演しているが、この時の両劇団のスタイルの違いが同じ料理に例えると同じ中華料理の中で広東料理北京料理の差のようなものだと考えると今回の2劇団はフランス料理のシェフが中華のレシピで料理するほどその演劇としての方向性に違いがあり、果たしてどんな料理ができあがるか予想が難しいところなのだ。へたをすると闇鍋のように異物が混入しかねない危険性があるからだ。

 さて、普段使わない食材を使ってどのような料理を作るかというのがシェフ(演出家)の腕というわけだが、この点では天野天街は手だれの手腕を見せてくれた。

 10月30日 サッカーアジア杯日本対サウジアラビア、1対0で日本の勝利

 10月29日  フィリップ・デュクフレ「トリトン」(2時〜)、ジャブジャブ+少年王者館「8月の南瓜と12月の西瓜とケンタウリ」(7時〜)を観劇。 

 10月28日 CAB DRIVER「明日は天気になる」(2時〜)、弘前劇場「冬の入口」(7時〜)を観劇。

 CAB DRIVERによる松田正隆作品「明日は天気になる」は予想を超えた素晴らしい出来栄えの作品だった。伝言板にも書いたのだが公演は月曜日まであるのでもしスケジュールに都合のつく人はぜひ見て欲しい。この戯曲は元々、作者である松田正隆の演出により時空劇場による初演された作品で、私はこれまで時空劇場の初演版(96年6月)。さらに今回もこの作品を上演したCAB DRIVERによる上演(98年6月)(この公演のレビューはこちら)を見ているので、今回はこの戯曲の上演を見るのは3回目となる。その中でも今回の上演は出色の出来栄えでひょっとしたら時空劇場の初演版を超えたかもしれない。

 きめ細かな演出がもちろんこの集団の芝居の質の高さを支えているのだが、今回に関しては須永役にハイレグ・ジーザスの岸潤一郎を持ってきたキャスティングの勝利といえるだろう。時空劇場版の初演を見て以来この芝居の設定には現代演劇とは思えないリアリティのなさがあって腑に落ちないところがあった。愛人を作ったため妻と不和になり故郷を飛びだしてきた青島はまだしも、詩人になるとの理由で一流企業をやめてしまい友人のところに転がりこんでくる須永という男のキャラクターがどうにもピンとこないのとその役を内田淳子が演じていたので、それなりの説得力はあったため、3人をはじめ下宿の住人がみなあこがれているいわばマドンナ役の河合陽子の存在にそれほど真実味が感じられなかったからだ。しかもこの物語は現代の東京(少なくとも初演が上演された96年から10 年前の80年代半ばの東京)を舞台に設定しているものの下宿といい登場人物といいそういう感じがしてこないのだ。

 ところが今回の上演を見て了解したのだが、松田はどうやらこの芝居においては現代を描くとしても「現代のおとぎ話」をあえて書こうとしていたのではないかと思われてきた。

 岸潤一郎という俳優はハイレグジーザスでもどこか壊れたようなキャラクターを演じることが多いのだが、今回の須永役はそれがとてもよくはまった。この舞台の最後、もくもくと詩を書き続ける須永の姿にはビリー・ワイルダーの映画「あなただけ今晩は」「アパートの鍵貸します」のジャック・レモンのように生きていくことの哀しさを感じさせられた。河合陽子役の青年団の福士史麻も初演の内田淳子とはまったく違う人物造形でこの役を演じていて、これがまたとてもよかった。 

 10月27日    

 10月26日 サッカーアジア杯準決勝、日本対中国TV観戦。日本決勝進出よくやった。守備ももろさをつかれて試合中盤にリードを許す苦しい展開。中盤での横パスを中国の選手にかっさわれて、何度もピンチを迎えるなだ、守備の面では確かに修正点はあるとは思うが、この試合では苦戦によって逆に今の日本チームのポテンシャルの大きさを見せつけたのではないかと思う。中国はフォアチェックからかなり激しいプレスをかけてきて、それが前半、日本がこれまでの試合のように自由に速いボール回しを出来なかった理由だったのだが、後半それが弛んでくると日本のボールが徐々に回りはじめ、いくつかの決定的なチャンスを作ることが出来た。もちろん、だから中国はだめだというのではなくそれが90分間続けられるチームというのはアジアには存在しないのである。もっといえば、アジアだけでなく世界にもめったに存在しない。

 中国の立場にたって今回の負け方を見ると時間帯によってはプレスが効いて自分の時間帯を作れても、試合が進行するうちに相手の個人技や組織的なくずしに徐々に対応できなくなってやられてしまう。これってひと昔前の日本が強豪と戦った時の負けパターンじゃないか。フラットフォーのバックラインといい、中盤での組織的なプレスといい中国は加茂監督時代の日本代表に近いんじゃないかと思う。そういうチームをセットプレーやパスワークによって崩して勝ったというのは反トルシエ派がなんと言おうと日本の歴史上最強のチームであることは間違いない。しかもこのチームは中田英がいなくて、ここまで機能しているというところにトルシエのコーチとしての非凡な才能が証明されていると思う。決勝の相手はサウジアラビアで、これはがちがちに守ってカウンターというチームだから、守備の乱れをつかれて先制されるようなことになれば1次リーグのように簡単に勝てるかどうかは分からないが(サッカーとは強い方が勝つとは限らない競技である)、日本がアジア最強のチームであることはこれまでのゲームで証明できたと思う。この上はがちがちに守ってくるチームに対して足元をすくわれることなく圧勝してほしい。

 今年の代表スケジュールは年末に韓国との対戦が決まっているぐらいらしいが、ここで日本協会に頑張ってしまって、相手が核上の欧州、南米の強豪との試合をどんどん組んでいってもらいたい。勝って当たり前の相手とやって相手が引いてがちがちに守って引き分けだと決定力がないというような批判を繰り返しているだけじゃ実力は上がらないし2002年のワールド杯の役にもたたない。フランスワールド杯のことを考えればわかるが、1次リーグでの3戦のうち日本を相手に引いて守るだけのチームは多くても1チームぐらいで後はアルゼンチン、クロアチア級の強豪だと考えた方が無難だからだ。

 しかも、できれば相手のモチベーションが高く、メンバーも飛車角落ちということのないアウェーでの対戦が望ましい。未確認情報ではあるが、来年3月にはフランス代表とスタット・ド・フランスでの対戦が決まりかけているらしいし、スペイン代表ともホーム・アンド・アウエーでの対戦の打診があったらしい。各大陸のチャンピオンが参加するコンフェデレーション杯はどうやら日本がプレ大会としての受け入れを決め、これにはフランス、ブラジル、カメルーンも参加するだろうし、これまで対戦したことがないので個人的に対戦してほしいのはイタリア、オランダ、ドイツである。イタリア、オランダに勝つのは私が楽観的に考えても難しいと思うけど、今のドイツだったら欧州予選では調子を取り戻しているといってもひょっとしたら勝てるかも(笑い)。それから、日本が押し気味ながら引き分けたパリ・サンジェルマン戦を見ても欧州のクラブチームと相手のホームで対戦すればなま半かな代表チームよりよほど歯応えがあると思うので、ぜひ一度は欧州遠征をやって転戦してほしい。

 中田英率いる日本代表がASローマと対戦するというのは面白いと思うんだがなあ(笑い)。カペロ監督もトッティも負けるわけにはいかないと思うし……。


 11月の仕事のスケジュールがほぼ固まったが11月18日の土曜日が出社になって酒井はなの出演日なので買っていた新国立劇場バレエ「ラ・バヤデール」(3時〜 S席 1階10列9番 10500円)が行けそうになくなってしまった。このページで言っても無理だと思うけだれかチケット引き取ってくれる人ないかしら。

 10月25日 平井和正「真幻魔大戦」5〜8まで読了。表紙の写真の件は全然反応がない。やはり劇団関係者で見ている人は少ないようだ。たまにこの日記コーナーで昨年、一昨年の今ごろなにをしていたのかを覗いてみているのだが、昨年はこの時期リージョナルシアターの連続観劇オフ会があって張りきっていた。えらい違いである。観劇オフ会は桃唄309の「ユカラ アイヌ英雄伝」が最後となってしまったが、この時は特に五輪の最中だったこともあって参加者も少なかったのだけど、正直いうとこのままでは今のスタイルで継続することに意味があるのだろうかという気持ちになっている。というのは一番最初に考えていたことでは取りあえず間口を広げて参加者が増えてきたところで、見た芝居についてこちら側で資料(テキスト)的なものを用意して、その日見た芝居を素材に日本の現代演劇について話しあう「演劇講座」のような形で徐々に変更していくつもりがあったからだ。観劇オフ会に毎回、ゲストのような形でその芝居の演出家や出演者を呼んだりしていたのはそういう心づもりもあったからなのだが、結局はファンの集いのような形になってしまっているので当初の目的とはかなりずれたものとなってしまった。「演劇講座」についてはもし希望者があるのならば例えばク・ナウカ青年団弘前劇場など特定の劇団の公演に際して開催したい気はないではないのだが、この場合は今の現状からいえば観劇オフ会のような形で、ページで募集しても参加希望者はいないのじゃないかと思われるのでこのままでは実現は難しいかなと思っている。

 もちろん、観劇オフ会は知りあいのそしてとてもいい舞台を創作している集団が全然チケットが売れてなくて、困ってる時に急きょやることも多いので、今後もやらないと決めたわけではないが(おそらく最低でももし上海太郎舞踏公司の東京公演がやるようなことがあれば万難を排して実施すると思う)、当分はそんな感じでしばらく休みたいと思ってるのである。それに最近の参加者数ではそもそもたまたま劇場で会った知りあいと誘いあって打ち上げに飲みに行くのとほとんど差別化できていない(笑い)。


 ちょっとしめっぽくなってしまった。せっかく雑記帳と名乗っているのに純然たる雑記をあまり書いてないので、今日はその第1弾で今後は思いついたことをジャンルに拘らず書いていこうと思う。

 とはいえ、いきなり身辺雑記でもなんなので、まずは演劇のことから小心者の私ははじめることにしたい。私は以前から割とアンソロジーというのが好きで京大ミステリ研時代にも機関誌に「私の好きな○○ミステリ」のような文章を自己満足的に書き連ねていたことがある。もちろん、○○のところには例えば「犬」とか「猫」とか特定のジャンルが入るのだ。これをちょっと演劇でやってみようかと思いついた。

 もちろん、ジャンルであるから実例が思い浮かぶものならなんでもいいわけで、「犬演劇ベスト」だっていいわけなのだが、それもそのうちやろうとは思うけど調度シアターTVが「葬式演劇特集」をやっているらしいので、今回は「葬式」で行こうかと思う。

 日本現代演劇における「葬式演劇」の大家(「おおや」でなく{たいか」)としてはなんといっても弘前劇場長谷川孝治の名前を挙げなくてはいけないだろう。今回の新作「冬の入口」も地方都市の斎場を舞台としているので、おそらく「葬式演劇」の範疇に入るものだと思われるが、なんといっても「家には高い木があった」という「葬式演劇」の不朽の名作をものしているのに加え、「FRGMENT」シリーズでもやはり斎場を舞台とした作品を書き下ろしている。「家には高い木があった」は葬式じゃなくてお通夜じゃないかという声もでてきそうだが、ここでは便宜的にこうした周辺テーマの作品もここに含めておくことにする。そうでないと数が集まらないのと厳密な区別がつきにくい作品がでてくるからである。

 実は長谷川以外にも私が「関係性の演劇」と名付けている種類の劇作家には「葬式演劇」をものしているものが少なくない。これはひとつにはこれらの作家の得意とする群像会話劇というスタイルにおいて、登場人物に内部の人間と外部の人間がほどよく交じりあっていることが情報ギャップにともない会話が発生する場として望ましく、彼らの作品に葬式だけでなく「冠婚葬祭」の場が頻繁に登場してくるのは理由がないわけではないのだ。もっとも、それが「葬式」であることにはもうひとつ理由があって「葬式」とは日常的には隠ぺいされている「死という非日常」が日常と地続きで存在することのできる周縁であるという側面もあるからだ。

 こうした側面を典型的に利用した劇作品としてあげられるのがジャブジャブサーキットのはせひろいちによる「非常怪談」と飛ぶ劇場の泊篤史の「生態系カズクン」である。この2つの作品には劇作としては作者の資質の違いからくる志向性の違いはもちらんあるのだが、「葬式」という境界領域を媒介にして日常の中に非日常=異界のものたちを立ち上がらせるという構造が双生児のように類似しているのは偶然の一致とはいえきわめて興味深いことであった。これも厳密にいえば「葬式」というわけではないのだけれど死による喪失によってモノとなった遺体のまわりにかつてその死者と関係のあったものが集うという場を描き出し忘れ難い印象を残したという意味でポかリン記憶舎の明神慈による「Pictures」もこのジャンルのおける傑作といっていいだろう。

 一方で葬式を生者の側から見れば個人の思いもよらぬ側面が明らかになるような逆説的にいえば喜劇的な場でもありえる。平田オリザ文学座に書き下ろした「月がとっても蒼いから」は平田としては珍しくブラックなユーモアに満ちた作品である。ラッパ屋の鈴木聰による「凄い金魚」も葬式コメディーとしてきわめてよくできた舞台であった。

 さて「葬式演劇」ということで書きはじめてはみたもののいくつかの作品を取り上げてはじめて気が付いたのだが、いくつかの傑作がこのジャンルにはあるのだが、全体の数は意外と少ないのではないかということだ。絶対「葬式演劇」はあるとにらんでいるのだけど思いだせないのが別役実岩松了である。別役は「金襴緞子の帯しめながら」がそうだと途中まで勘違いしていたのだが、冷静になって考えてみれば人が殺されたり陰惨な話なのだが、あれは「葬式演劇」ではなくて、「結婚式演劇」じゃないか(笑い)。岩松も○回忌つまり法事というのは尼崎で見たのだが、葬式というのはありそうでないか。そういえば宮沢章夫文学座に書き下ろした芝居は確か皆喪服でえんえんと道を歩いていたような気がしたが「葬式」だっただろうか。

 演劇ではないがイデビアン・クルーの「不一致」は喪服のダンサーが多数登場して日本の葬式における儀礼性を揶揄するような場面が面白く確かに「葬式ダンス」といってもいいものだった。とはいえ、「葬式ダンス」の世界は「葬式演劇」よりも狭いという印象はぬぐえない(笑い)。

 実をいえばここまで書いてはっきり分かったがどうやらテーマの選択を誤ったようだ。「犬演劇」だったらもっといっぱいあったのに。一例を挙げれば「犬ストーン」「犬夜叉」「八犬伝」あれやっぱりないか(笑い)。唐十郎盲導犬」ってあったけど犬ってでてきたんだったっけ。実はほとんど覚えている人はいないと思うけど演劇情報誌じゃむちで以前「犬」という特集をやったことがあって、今回の特集は犬ですって聞いた時、私は正直言って「えっ」といって聞き返してしまった。その号を探して読んでみれば犬演劇のことがもう少し分かるかもしれないけど、その気力も今のところない(笑い)。「葬式演劇」については弘前劇場の新作を見てからもう一度考えてみることにしたい。

 ここまで推敲のかけらもない駄文を書き連ねたのはひさしぶりだが、この内容のなさが快感だったりする。これからも時に応じて書くことにしたい。最近、アクセス数が少ないということはなにを書いても読んでる人は少ないってことで、その分思い付きでいろいろくだらないことも書いてしまおうという気分なのである。

 今回は失敗だったけど今後も日ごろ考えていることをとにかく書いてみることでなにか生まれてくるかどうか試してみたいという気がでてきた。演劇ではけっこう哲学的なテーマじゃないかと思ってるのだが、例えば「女優は美人の方がいいのか」「カッコイイとカッコ悪い舞台はどこが違う」「舞台における華ってナニ」などである。その他にも練習問題的にお題をくれれば書いてみるのでなにかリクエストあれば下さい。    

 10月24日 サッカーアジア大会、日本対イラクTV観戦。日本の4―1での完勝万歳。これはこれまで何度も我が代表に裏切られてすっかり用心深くなってきている私に取っても日本が現在のアジアで最強のチームであることは間違いなく思われる。もっともサッカーの場合、イランが韓国に不覚を取ったように実力上位にチームが必ず勝つとはいえない。とはいえ、今回は他チームとの実力差から言っても日本が優勝するチャンスは8 割はあると思う。ぜひ優勝してもらいたい。

 このページもアクセス数は先週は多くて1日70前後と全くの沈滞気味である。多ければいいってものでもないのだけれど、アクセス少なくても掲示板なんかがもう少し賑わってくれればいいのだけど書き込みも少ないのでページのあり方を考えなけりゃいけないなという気になってきている。とりあえず表紙の壁紙を変えて気分転換でもしたいのだけど……。もし、私がこのページのレビューなんかで取り上げたことのある劇団で公演写真を添付メールで送ってくれる劇団か劇団ホームページに張ってある過去の公演写真を使ってもいいよというところがあればメールで連絡してほしい。申し出が複数あるようなら、月替わりで表紙の写真を変えようかなと思っているので。写真の色合いの問題もあり必ず掲載しますとはいえないけど掲載するときには日記ページでそれなりのフォローもするつもりなので、少しは宣伝になると思いますよ。といってもこのアクセスの少なさでは劇団関係者がどの程度見ているかはおおいに疑問かもしれない。 

 10月23日 大沢在昌新宿鮫 風化水脈」を読了。馳星周真保裕一と日本のハードボイルド小説も一昔前と比べるとレベルが上がってきているが、それでも大沢在昌新宿鮫シリーズが日本のおける本格的なハードボイルド小説としてメルクマールともいえる大きな意味を持っていることは間違いないだろう。そのひさびさの新作というわけだが、組織的な自動車盗難・故買グループというこれまでの作品同様の現代ならではの犯罪をモチーフにする一方で、40年前に起きた殺人という歴史的な事件をそれにからませることで、やくざ、あぶれものたちの巣くう巨大都市東京の核、新宿を俯瞰してみせるようなスケールの大きな作品に仕上がっている。主人公、鮫島だけでなく真壁、雪江、大江老人といったわき役陣の生きざまが魅力的。個人的には贔屓の晶の登場シーンが少ないのが不満といえば不満だが、それでも読みごたえの作品であったことは間違いない。

 ×2.5プロデュース公演「収穫祭」はゴキブリコンビナートの劇団内ユニット、ゴキブリコンビナートボンバーと早稲田出身の劇団ポツドール、ガーディアンガーデン演劇フェスに参加するマダムゴールドデュオの3集団の競演によるプロデュース公演だという触れ込みで、特にポツドールは今年の夏の本公演をアビニョン行きで見そこなってしまったので、どんな芝居をやるのだろうと興味があって見に行ったのだが……。結局、ポツドールは主宰者が自転車をこいでいるだけ。マダムゴールドデュオは……あれはいったいなんだったんだろう。笑わせるつもりだったんだろうか。波長が合わなかったのか哀しいほどにつまらかったのは確かなんだけれど。これに比べるとゴキコンが面白いということは認めざるをえない。それまで本当に死にそうになっていたの私がそれで生き返ったのだから(笑い)。それにしても黒パン一枚で踊り狂う彼らをみているとなんだかあと考え込んでしまうのは確か。でも、マダムゴールドデュオはおそらく当分見ないと思うけど、ゴキコンの次の公演にはなんだかなあといいながらも出かけてしまうと思う。ポツドールもこの日のじゃ全然分からなかったので本公演には期待したい。

 10月22日 トリのマーク「ミアシャムのパイプ」(6時〜)を観劇。前回公演は行けなかった(事情は過去の日記に)ので2カ月ぶり、その前の8月展示だけだったことから考えれば3カ月ぶり。それまで毎月見ていただけにひさびさのトリのマーク公演となる。今回の公演会場は小田急世田谷代田の駅から徒歩5〜6分のところにあるギャラリー「4GATS」が会場。総ガラス張りの正面から通りが見通せ、内部も比較的広々とした空間になっている。もっとも、トリのマークの使う空間としては台所のあるアトリエフローラルアカサカや応接間的から木が見えるアユミギャラリーほどには強烈な個性を感じさせる場ではないため、その分ニュートラルな空間を壁一面に張り付けたコップ状のオブジェや床に置かれたものなどで埋めて、トリ特有の空間に仕立てている。

 トリのマークの芝居には大別して台詞劇とこの芝居のような無言劇とがあり、これまでの無言劇の系譜には今回も登場している魚男が初めて登場した「タペタ娘、魚を待つ」、元上海太郎舞踏公司の沖埜楽子が客演して、柳澤明子と共演した2人芝居(もっともこれにも魚男は登場)「シバとタペタ娘」があり、この他、「ヴァロ 木の帽子」も準無言劇の範疇に入れられる。もっともこれらの芝居が一応魚男の存在は考えないで1人芝居ないし、2人芝居といった少人数の芝居の形態だったのに対し、今回は魚男以外に4人の登場人物というほぼ通常の公演と変わらない陣容で、台詞なしで舞台にあがってなにかを表現して場を持たせるというのはそれだけで、それなりの力量が要求されるわけだが、昨年、今年の連続上演を通じてこの集団が確実に力を上げていることを感じさせる舞台だったのではないかと思う。

 以前、トリのマークの芝居を環境音楽になぞらえたことがあった。もともと、固定された特定のストーリーのようなことよりも俳優がそこにいることで成立する関係のようなものから生まれてくる世界をただ提示することで、なにもない空間において観客の側の想像力を喚起するというのがこの集団の手法である。もっとも、その関係の提示において台詞劇においては台詞によって発せられる言葉が呼び起こす印象のつらなりというのが大きな要素となっているのだが、無言劇においてはそれがないこともあって、関係の提示はより俳優の存在自体ということへの比重を高めていくため、ちょっとした視線の演技など細部の演出の重要性は高まってくる。しかも山中正哉の演出はダンスやパントマイムといったありものの様式/技術を排除していく傾向があるため、ここにはもちろんこの集団ならではの演技のスタイル(様式)があって成立していることではあっても、俳優の力量しかも普通の意味で演技のうまさとかマイムの技術というのではなく、その空間に魅力的に存在するということが問われていく。

 もちろん、様式の完成度という意味ではこの無言劇はトリのマークにおいて台詞劇と比較するとまだ実験の途上という感はある。だが、それだけにこうした新たな演技スタイルへの挑戦が今後生みだすかもしれない芝居の可能性という点では期待が膨らむのである。

 10月21日 仕事の後、六本木「将軍」で×2.5プロデュース公演「収穫祭」を観劇。観劇後ひさびさ会った、えんげきのページのお薦め芝居仲間(?)のにしかどさん、小雪さん、横内会長と会食。詳しいことはここでは怖くてかけないこともあるが、いろいろ話が聞けて面白かった。

 10月20日 サッカーアジア杯、日本VSカタールをテレビ観戦。やはり、控え組で勝てるほどはアジアといえども甘くなかった。それにしても海本の退場が全て。まあ、10人になって同点に追い付いたわけだから、自力は上がっているといえるかもしれないが、先発の2トップ北嶋、久保は戦力にならないのがはっきりした感じだ。望月、三浦も先発しないのはやはり問題があるということが露呈した。メンバーを入れ換えての試合とはいえ、準々決勝イラク戦では第1戦、第2戦のような日本らしいワンタッチの速いパス回しができるかどうか一抹の不安が残る試合であった。

 一度、風邪が治ったかと思ったのだが、どこか身体がだるいので熱を計ってみると37.4度あり、まだ治ってないようである。 

 10月19日 西澤保彦「ナイフが街に降ってくる」、宮部みゆき長い長い殺人」、キャロル・オコンネル「クリスマスに少女は還る」(創元推理文庫)を読了。アントニイ・バークリー「毒入りチョコレート事件」を再読。

 こういう作品と出合うことがあるからミステリを読むのはやめられない。キャロル・オコンネル「クリスマスに少女は還る」は近来まれな傑作だ。舞台はニューヨーク州の片田舎の小さな町、メイカーズ・ヴィレッジ。クリスマスを数日後に控えたこの町から少女が2人失踪する。こんなありがちな冒頭から、物語ははじまる。犯人はクリスマスに少女を殺すシリアルキラー。これをこの町の警察官でかつて妹を誘拐犯に殺されたルージュ・ケンダル、やはりこの町にいたことがあり、顔の傷が呪われた過去を暗示する法心理学者アリ・クレイ、さらになにか腹にいちもつあるらしいFBI特別捜査官アーニー・パイルといった個性的な捜査陣が追い詰めていく。この登場人物がどれも一筋なわではなく魅力的なのだ。「羊たちの沈黙」をはじめシリアルキラーを題材にした警察捜査小説は最近珍しくないのだが、この作品は緊密な構成力においてもそうした作品の中でも群を抜いている。

 さらにこの作品が面白いのはこうした捜査側の動きと並行して、監禁された少女たちの力をあわせてあの手この手で脱出しようと奮闘する姿が描かれていくことだ。この少女たち、なかでもスプラッタホラーフリークのサディー・グリーンの強烈な個性はアンファンテリブルぶりが忘れ難い印象的を残す。作品に随所にでてくる楽屋落ち的なホラー映画ネタもこうしたジャンルのファンに取っては楽しみで、こうした随所にみられる遊び心に引っ張られるように読み進んでしまう。

 これだけでも素晴らしい作品ではあるのだが、こうした魅力的な登場人物や込み入ったプロットがみごとに収束。犯人の登場で大団円を迎える。しかし、この作品が素晴らしいのはそうしたよくできた謎解きミステリの構造を使って作者が仕掛けたある仕掛けにある。これがこの作品を「ある分野」において歴史に残る傑作にしているわけなのだけど、これについてはここに書くわけにいかないので、とにかく読んでみてほしいというしかない。もう一度繰り返すがこれは傑作である。

  

 10月18日 風邪はほぼ治り、熱もほぼ下がったがまだ疲労感は残っていて疲れが取れにくい。風邪で倒れていた今月前半の舞台についてここでまとめて簡単に触れておくことにする。東京バレエ団によるベジャール「M」、Nest+K・ドゥ・シャテル「LInkAge」は体調があまりよくなかったことを差し引いてもはっきりいってつまらなかった。ベジャールの「M」は三島由紀夫をテーマにしているが、深みのあまり感じられない作品でがっかり。ベジャールの東洋趣味の作品はいくつか見て、それほど面白いと思ったことがないのだが、これもそういう範疇に入るという印象。三島をモチーフにしているものの「仮面の告白」「鹿鳴館」「金閣寺」といった作品を表面的になぞっただけの印象が強い。Nest+K・ドゥ・シャテル「LInkAge」も海外のダンスカンパニーとの共同制作ということで暴力的なダンスを期待したのだが、これも残念ながら肩透かしの感を否めなかった。もっともこれは前半はまったく退屈で困ってしまう感じだったのが、後半になって、盛り上がりを見せてきた部分はあったので、60分という短い作品ながら体調的に最悪だったため後半にまで集中力が持たなかったのが響いた感はあるのだが、Nestの場合はこれまでの公演でも映像と音響の強度に対して、身体パフォーマンスの強度が希薄でそれに拮抗できていない印象があり、海外カンパニーとのコラボレーションで、それを覆してほしいとの期待があったのだが、そうはいかなかったというのが正直な感想である。

 一方、山崎広太rosy.co.dance「Picnic」はこのカンパニーのレベルの高さを感じさせる舞台だった。再演で初演のスパイラルホールでの公演は見ているはずなのだが、冒頭の床にあたる照明などでそういえばこういうのがあったようなというような記憶が若干呼び起こされたが、ほとんど前の公演が思い出せないほど完成度が上がってくている。未確認だが、ダンサーもほとんど入れ替わってしまっているのではないだろうか。森本京子(スターダンサーズバレエ団)や島田衣子(井上バレエ団)らこれまでも日本のコンテンポラリー系の振付家としては珍しく女性のバレエダンサーをカンパニーに参加させて振り付けているのが山崎の特色だが、この「Picnic」でも最初男性ダンサーだけによる群舞が続いた後、女性ダンサー(大久保裕子)が加わりこれが作品にとってとてもいいアクセントになっている。このダンサーも元々は牧阿佐美バレエ団に所属していたこともあるバレエ系のダンサーのようだがシャープな動きがなかなか魅力的。今後が楽しみなダンサーである。前半はコミカルさを意識したムーブが続くもののどこかさまになっていない。正直ちょっと退屈してしまったのだが、女性ダンサーが登場してからみはじめる中段以降俄然面白くなってきて、それにさあに山崎広太がソロで加わるあたり見どころ十分であった。 

 10月17日 先週ぐらいから家に積んどく状態になっていた本を何冊かまとめて読んでいる。真保裕一「奇跡の人」、奥泉光プラトン学園」、宮部みゆき「今夜は眠れない」「スナーク狩り」「龍は眠る」「彼らが隣人の犯罪」、井上夢人「パワー・オフ」、若竹七海加門七海+高野宣李「マレー半島すちゃらか紀行」。この中でなんといっても傑作に面白かったのが「マレー半島〜」といったら怒られてしまいそうだが、次々と襲い来るネコブル(トラブルの軽いやつを彼女らはこう呼ぶ)をものともせず逞しくも能天気に旅を続ける女3人組。まさに無敵である。こういう人たちはひょっとしたら珍しくないのかしれないが、こういうのを読むと若竹七海の小説に登場するたくましくもしぶとい魅力的なヒロインたちは単なる創作ではないと思われてくる(笑い)。

 今週、来週の週末の観劇予定。今週は土曜日は出社。日曜日は音楽座ミュージカル「メトロに乗って」(1時〜)、トリのマーク「ミアシャムのパイプ」(6 時〜)。来週は今のところ土曜日はCAB DRIVER「明日は天気になる」(2時〜)、弘前劇場「秋の入口」(7時〜)、日曜日はフィリップ・デュクフレ「トリトン」(2時〜)、ジャブジャブ+少年王者館「8月の南瓜と12月の西瓜とケンタウリ」(7時〜)の予定なのだけど、山崎広太「フォアグラ」も見たいし迷うところである。

 ク・ナウカ「熱帯樹」についてもう少し書いてみる。三島は「エレクトラ」をそのまま翻案したわけではなく、原作ではアイギストスとクリュムネストラに対するエレクトラオレステスの兄妹の復讐譚とされているものをひっくり返し、原作ですでに殺されているアガメムノンを登場させ、アガメムノン(惠三郎)/クリュムネストラ(律子)とエレクトラ(郁子)/オレステス(勇)の(実の)親子に対立の軸を移したうえで、子供の親殺しの挫折を描いている。このように 15日の日記コーナーに書いたのだが、もう一度考え直してみて、この物語はもう少し複雑な構造を持っていることに気が付いた。

 というのは行為を基準に考えれば、郁子の示唆により母親の律子を殺そうとした勇の行為は挫折する。ここには勇を介在にしての母親、律子と妹、郁子の対立があり、これは母親殺しが律子が勇に対する母親としての影響力を行使することで失敗に終わるのだが、その後に暗示される郁子と勇の死は自らの死によって母親から兄を奪いさるといういう意味では必ずしも敗北ではなく、「死による救済」と見なすこともできるからである。

 ク・ナウカの今回のキャスティングではこうした構造を意識してか存在の怪物性を具現する美加理、麿赤兒の神話的な人物像に対して、郁子、勇は卑小ではあるが、より複雑で微細な解像度の高い演技が必要な人物像に描かれており、前者とは異なる川相真紀子、大高浩一の身体性が「役柄」という意味ではキレイに嵌まっていると思われたからである。特に美加理は麿との対比により、これまでのいくつかの作品でみせた神々しく美しいが侵しがたいという巫女的な身体を超えて、神話的な巨大性を感じさせながらも「母親」「女」を感じさせた点で演技において新たなるフェーズに突入したという気がさせられた。

 「熱帯樹」という戯曲を三島作品という側面から眺めると最初にも書いたようにイノセントな若者の敗北とその死による純化=救済の物語と読み取ることができるだろう。その意味で、三島の視点は郁子/勇の側にあると考えられるし、この物語の主役は郁子と勇であると考えられ、初演の時には美加理が重要でありながらワキに引いたという印象があったのだが、この再演版ではそうではない感じがした。これは難しいところなのだが、キャスティングの狙いからいえばだからだめだとは必ずしもいえないのだが、やはり、美加理、麿赤兒の存在感があまりにも強いことから、「存在」の放つ光という点では川相真紀子、大高浩一の2人は残念ながらあまりに線が細くて、美加理、麿赤兒コンビに拮抗できていない印象が否めなかったからだ。ここに実は1人の巨大な人物に劇内の全てが収斂していく「エレクトラ」「王女メディア」「オイディプス王」といったギリシア悲劇とは異なり、多中心的で複雑な対立構造を持つ現代戯曲をク・ナウカの方法論で上演していくことの難しさがあるような気がする。

    

 10月16日 伝言板の方でこの秋の私のお薦めのダンスについてチャコさんから質問があったのでここで答えることにしたい。11月は12日までは10月のお薦め芝居でしでに書いたのでその後ということになるのだが、11月ではなんといっても珍しいキノコ舞踊団の新作「フリル(ミニ)」★★★★がイチ押し。もっとも、月末にはダンスセレクション2000というのがオリベホールであって、23日、24日にはニブロール「駐車禁止」★★★、25日、26日にはレニ・バッソ「ドレッドサカー 双曲線地帯」★★★★がダンスセレクションの中で上演されるのでそれも注目です。その後も勅使川原三郎の新作やダムタイプといった大物も控えているのだが、個人的にもっとも楽しみにしているのは12月9日に森下スタジオで行なわれる「ネクスト・ネクスト」という企画。パークタワー・ダンスプログラムと財団法人セゾン文化財団の共催による若手ダンス・ショーケースということだが、ここに私が今イチ押しの2グループ。クルスタシアと水と油が登場するので、これは必見といえると思う。特にクルスタシアは若い女性メンバーによる関西のカンパニーで、このページでも何度か紹介してきたのだけど東京には今春のスフィアミックスでのフリンジダンスフェス以来の登場。この時もバニョレのプラットフォームと同じ日だったこともあり、会場ではあまりダンス関係者の姿を見なかった。おそらく、上演するのはいずれも短い作品だと思うけどクルスタシアについてはダンスファンもそうだけど関西ダンス界の色物と呼ばれるその魅力(?)を十分に発揮してくれると思うんでダンスファン以外の人にもぜひ見てもらいたい。

 10月15日 昼は起きられずというか、一応、起きはしたものの体調すこぶる悪く、夜観劇予定のク・ナウカ「熱帯樹」に備えて体力温存のため、チケットは確保してあった新国立劇場「太平洋序曲」の観劇はあきらめることにする。これまで見てきた経験則からしてク・ナウカの芝居は出来の如何にかかわらずかなり体力を使うからである。その甲斐あって、体力的には多少しんどかったもののク・ナウカの「熱帯樹」は期待通りに面白かった。

 この芝居はやはり旧細川侯爵邸で上演された初演も見てはいるのだが、今回の再演版ではなんといっても麿赤兒の抜群の存在感に圧倒される。というか、演技がうまいとか下手とかそういうのを超越して、とにかく、全く動かないでそこにいるだけ、ただ存在しているだけで、そこにいるだけでその存在感に圧倒されそうになるのである。もちろん、麿赤兒といえばもともと唐十郎が「特権的肉体論」を唱えた初期の状況劇場を代表する怪優であり、その後、彼が結成した大駱駝艦の身体論がク・ナウカのムーバーの演技論のひとつの基礎になっていると以前、宮城聰に聞いたこともあり、それゆえ、ク・ナウカの演技スタイルにはまるのは必然ともいえるのだが、背景には三島由紀夫の戯曲の設定上において、麿が演じた惠三郎という人物の等身大を超えた巨大性はあるにしても、この狭い一室で大駱駝館の時とはまた違う存在のオーラのようなものを見せつけられてみるちょっと考えさせられてしまった。というのは身体的な表出を主とする演劇の中ではいまや宮城は日本屈指の理論化であると思っている(詳しくは表紙にリンクしている宮城聰のインタビューを参照してほしい)のだが、その方法論を持ってしても超えられない壁が2人1役という特異な演出法を取るク・ナウカの方法論の中に本質的に存在するのではないかという以前からの疑念が一層深まってしまったからである。

 三島由紀夫の「熱帯樹」という戯曲はギリシア悲劇の「エレクトラ」を下敷として、現代戯曲としては珍しく古典的な様式を持っていて、しかも、その登場人物は現代劇でありながら、等身大をこえた人物となっている。その意味ではギリシア悲劇エレクトラ」「王女メディア」「オイディプス王」やフランス悲劇「フェードル」、日本の古典劇「天守物語」「桜姫東文章」など古典的な様式性を持つ戯曲を得意としてきたク・ナウカの方法論には比較的なじみやすいものだ。ところがこれはやはり現代劇であるというのは三島は「エレクトラ」をそのまま翻案したわけではなく、原作ではアイギストスとクリュムネストラに対するエレクトラオレステスの兄妹の復讐譚とされているものをひっくり返し、原作ですでに殺されているアガメムノンを登場させ、アガメムノン(惠三郎)/クリュムネストラ(律子)とエレクトラ(郁子)/オレステス(勇)の(実の)親子に対立の軸を移したうえで、子供の親殺しの挫折を描いている。(続く) 

 10月14日 土曜出社だが、仕事が早めに終わったため、モスクワ・ユーゴザパト劇場「ロミオとジュリエット」をアートスフィアで観劇。アルメイダ劇場「コリオレーナス」とどちらを見ようかと迷ったのだが、このところ風邪で体力的に弱っているので、上演時間3時間以上と聞いており、内容的にもハードそうな「コリオレーナス」は諦め、ロシア語の上演ではあるがこれだったら半分眠ってしまったとしてもストーリーは分かるからということで、「ロミジュリ」の方を選択する。

 10月13日 まだ微熱が続くが、えんげきのページのお薦め芝居が締め切りなのでなんとかそれだけは執筆する。今月前半の五輪ショックから風邪で倒れるまでページ更新が滞っていたためか、ホームページアクセス数も激減してしまったようだ。考えて見れば、本格的の風邪をひき、体調を崩したのは今週のはじめごろからだが、それ以前にも芝居を見てしんどかったり、見ていてつらくなったりしたこちが増えたのは夏以降慢性的に疲労がたまっておたからかもしれないということに気が付いた。ここ当分芝居でも無理するのはやめた方が無難なかもしれない。

 更新してないから仕方ないのだけれど、2つの伝言板への書き込みもこのところ激減というかとだえてしまっていた。更新できない時でも一応、ここだけはほぼ毎日覗いていたのだけれど。内容のあることは体調が戻ってから書くので今日はこれで勘弁して。 

 10月10日〜12日 風邪で発熱。その後も熱が下がらずホームページほとんど更新できず。 

 10月9日  MODE「秋のエチュード」(2時〜)、山崎広太rosy.co.dance「Picnic」(6時〜)を観劇。 

 10月8日 東京バレエ団ベジャール・ガラ「M」(3時〜)、Nest+K・ドゥ・シャテル「LInkAge」(7時〜)を観劇。

 10月7日 水と油「見えない男」(7時〜)を観劇。

 10月6日今週末は7日〜9日と珍しくも3連休が取れることになった。なかでも楽しみにしているのがお薦め芝居にも書いた水と油「見えない男」である。7日の夜にセッションハウスで見る予定なのだが、今年の夏アビニョンの公演を見て完成度の高さとセンスのよさに驚かされた舞台が、アビニョン、エンジンバラ演劇祭での上演をへてどのように作品が熟成してきたかが楽しみである。 

 10月5日 またまた、更新が滞ってしまっている。どうやら、五輪中の睡眠不足のせいで夜すぐに眠くなってしまっていたのだ。それに文章を書くということについてどうもスランプぎみで、芝居の感想についてもレビューについても自己満足のように垂れ流しのような駄文を書き連ねていてなんになるのだというクライ気分になってしまうのだ。暑い夏がやっと終わったエアポケットのようなものだろうか。自業自得とはいえアクセスの方も減っているようだが、どうも以前のように負けるもんかという闘志が湧いてこない。

 でも、気をとり直して芝居のことを書こう。とはいっても加藤健一事務所の「ラン・フォー・ユア・ワイフ」のような芝居は「面白いことは請け合うから、まだ公演をやっているうちにぜひ見て欲しい芝居である」という以上のことをいいずらい芝居である。それほどレイ・クーニーの台本は緻密で笑わせるための劇構造というのはこういうものだという見本のようによく出来ている。この芝居は要するに身からでたさびというか嘘が嘘を呼び、誤解が誤解を呼ぶことで、主人公の状況が雪だるま式に悪化していく状況を描いていく。これは日本の劇作家では三谷幸喜がよく使う手で、というより、彼が主張するシテュエーションコメディーの規範がレイ・クーニーの作劇にあるといった方が正確なのだが、それでも三谷の場合、「12人の優しい日本人」「笑の大学」「ショーマスト・ゴーオン」「ラジオの時間」など描かれる世界への思い入れが感じられるのだが、ことレイ・クーニーの場合、その作劇の目的は観客を笑わせるということにあってそれ以外の要素はほとんどなにもないといっていい。この潔よさが最大の特徴といっていいだろう。

 それゆえ、レイ・クーニーは人間が嘘をつかなくてはいけないもっともありふれたシチュエーションとして、衒いもなく二股をかけている男という陳腐ともいえる設定を持ってくる。もっとも、それが車で数分というところに2つの家庭を持つ重婚男ということになればそれほど尋常な設定ともいえないのであるが。

 さて、笑いの錬金術ともいえるレイ・クーニーの緻密な作劇は前提として、それでもなおこの作家のテキストの凡庸な上演と異なり加藤健一事務所のレイ・クーニーを非凡なものとしているのは絶妙なキャスティングによるところが大きいといえよう。主人公のジョン・スミスは冷静になって考えてみれば重婚というとんでもない犯罪を犯している人物であり、それゆえ、観客の特に男性からは羨望の念は持たれることはあってもしかたないところだが、妙な2枚目がこれを演じたりして、反感を持たれるようなことがあればコメディーとしては失敗である。その点、これを演じる加藤健一の無骨でありながら誠実そうなキャラクターはぴったりだといえる。さらにこのスミスを助けようと嘘をついたためにこの事件(?)に巻き込まれていくスタンリー・ガードナーを演じる石丸謙二郎。この2人の憎めない男たちが状況に巻き込まれていく中であうんの呼吸で超絶技巧のその場しのぎの嘘を繰り出すことで窮地を逃れていく、この名コンビぶりがこの芝居の魅力でもあるわけだが、その名コンビを演じきるためにはあうんの呼吸で加藤とかけあいが出きる俳優が必要なわけで、つか事務所時代からの僚友であり、気心も知れ、コメディーの勘所も熟知している石丸とのコンビネーションは熟練の境地を感じさせるからだ。

 もちろん、この2人だけでなく、2人の妻を演じる比企理恵、加藤忍も、2人の警部を演じる山崎清介、有福正志も対比の妙を見せてくれる役づくりでそれぞれ光るものを見せてくれるし、演劇集団キャラメルボっクスの西川浩幸を究極の飛び道具として使ったキャスティングならびに綾田俊樹演出の冴えは脱帽ものである。それにしてもさすがに成井台本ではこういう役を振られることはないだろうから(笑い)、アドリブがなくても喜々として演じているのが観客にも伝わってくる今回の西川の演技ぶりにはちょっとやり過ぎじゃないかとの疑念を感じながらもなぜか好感を持ってしまったのだ。

 この芝居、本多劇場は9日までだけど、この後、関西公演もあるし、東京周辺でも鎌倉(12日)、三鷹(14日)、江東区民ホール(11月26日)、神奈川青少年ホール(12月12〜15日)、多摩市民館(12月10日)などまだまだ見られるチャンスはあるから見逃した人は必見だと思う。 

 10月4日 加納朋子「いちばん初めにあった海」「ガラスの麒麟」を読了。 

 10月3日 平井和正「真幻魔大戦」2〜4、阿井渉介「まだらの蛇の殺人」、宮部みゆき火車」を読了。

 10日2日 若竹七海「ぼくのミステリな日常」を再読。       

 10月1日 加藤健一事務所「ラン・フォー・ユア・ワイフ」(1時〜)、遊気舎「JULIO」(5時〜)を観劇。  6月30日 今週末の予定。土曜日7月1日は新国立劇場バレエ「ラ・シルフィード/テーマとバリエーション」(3時〜)、阿部一徳と(ゆかいな)仲間たち「Knob」(7時半〜)。日曜日2日は西田シャトナープロデュース「熱闘!!飛龍小学校パワード」(1時〜)、ラッパ屋「ヒゲとボイン」(6時〜)を観劇の予定。