POOL3@新世界BRIDGE

「POOL3」(新世界BRIDGE)を見る。
 大阪現代芸術祭プログラムミュージカルインスタレーションシアターFACEとして企画されたパフォーマンス「POOL」の3回目の公演である。ミュージシャンで維新派の音楽監督も務める内橋和久のプロデュースで、この日はBプログラム。内橋が昨年、山口情報芸術センターで行ったインスタレーティブ・コンサート「path」で使ったマルチムービングサウンドシステム(システムプログラミング/伊藤隆之=YCAM)を用いたパフォーマンスだったのだが、これが相当に面白かった。まだ、公演が明日(4月2日夜8時)1回残っているのでもう時間が許す人はぜひ新世界・フェスティバルゲートまで見にいってほしい。
 1回目の「POOL1」では床一面に無数とも思われる蛍光灯を敷き詰め、2回目「POOL2」では十数トンの白い砂で会場を埋め尽くすなど「そんなことやったら、大変なことに」という無体な企画を続けてきただけに、「今年は暗闇だ」と内橋に聞かされた時には正直言って「次は水かまたまた火か」と滅茶苦茶な期待を勝手にしていた身としては正直言って「それはまた地味なことを」とも思った。
 さらに言えば完全暗転の真っ暗闇のなかでの演奏だったと聞く、プログラムAと比べても会場に入ってみると確かに周囲のすべてに暗幕が張られているため暗いことは暗いけれど、フロアの周囲を取り囲むように9つのモニターが置かれていて、それにうすぼんやりと映像のようなものが映し出されていて、それが照明代わりになっていたためにしばらくいて目が慣れてくるとうすぼんやりとではあるけれど、周囲の様子も自分以外の観客の陰も見えている。
 その意味では会場の設営自体には過去2回の「POOL」の時ほどの衝撃というのはなかったわけだが、パフォーマンスは素晴らしいものであった。会場の中央にはパソコンや機材などがセッティングされたブースがあってそこで内橋が演奏するのだが、フロアの周囲を取り囲むように9つのスピーカーとテレビモニターが置かれていて、そのすべてを内橋がたったひとりでリアルタイムでオペレーションしながら、演奏する。
 内橋がパソコン上で操っていたのがどうやら伊藤隆之の構築によるマルチムービングサウンドシステムで、覗き込んでみるとパソコンのモニターは4つに分割されていて、その上を黒いぼんやりとした円形の影のようなものが動きまわっていて、どういう風になっているのか詳しい理屈は分からないながら、パソコン上にペンスティック状のマウスを当てて、動かすとそれに黒い影が反応する。どうやら、その影と影の動きが実際に会場のなかでどのスピーカーにどれだけの音がその瞬間にでてるのかをあらわしているようなのだが、それを操ることでまるで演奏しているかのように自由自在に音の出る位置を動かすことが可能になる仕組みのようだ。
 これまでもエレクトロニカやノイズ系の音響を駆使するダンス公演やライブで会場全体を音場空間が取り巻いていて、自分がそのなかに放り込まれているような感覚を味わったことはあるけれど、今回のパフォーマンスはそれとも少し違って、少し暗い空間で音だけに集中して耳をすますと、それこそその空間のなかを音があるときは周囲をまわったり、あちこちを飛びまわっていうようにも感じる不思議な感覚があった。
 またこのシステムには周囲に置かれたテレビモニターも連動していて、ちょうどそれが暗闇のなかでは映像をそこで映すというだけではなく、発光体としての役割も果たして、今度は音に耳を傾けながらも、視線を周囲に向けてみると、音だけではなく、光もあちこちに走りまわっているようにも感じられる。
 パフォーマーとしてはこの公演には内橋以外に東野祥子も参加していて、冒頭から内橋の音楽に合わせて会場のあちらこちらを移動しながら即興でダンスを踊っていたのだが、面白かったのが後半の部分。前半では踊るといっても東野は照明としてはモニターの光だけの暗い空間のなかで踊っているので、そのプレゼンスというのはそれほどではなかった。しかし、後半になると突如、内橋がいるブースの後方の床面に照明のように見えるものが天井に設営された映写機から映し出される。しばらく見ていると、その方形に区切られた光のなかに東野が入って踊る時に床にはその東野の映像が映し出せていて、しかもそれはリアルタイムの映像だということも分かってくる。
 ここが面白かったのはその床に映し出された東野の映像がある時にはまるで万華鏡のように円状の図形をつくり、不思議な模様を見せだしたことで、それが千変万化に変化していくなかで、その踊る影たちと共演してるかのように東野が踊ることで、不思議な構図を見せていく。
 これはよほど複雑なプログラムで映像をリアルタイムで加工処理しているのかと思って、聞いてみたのだが、実はこれはまったくコンピューターなどは使っていないというのを聞かされてまた驚かされた。これを見ていて思い出したのがやはり踊るダンサーをリアルタイムで加工していたフィリップ・デュクフレの公演での映像で、あの時も確か、山口情報芸術センターのスタッフが入っていたなと改めて思い、終演後確かめたところ、「その時の公演で入ったのは別のスタッフだが、原理としては同じ」(伊藤隆之)ということだった。
 これはどういう仕組みかというとここではカメラで映像を映し、その映像をリアルタイムで床に映し出すわけだが、その映った映像を再びカメラが実物と同時にとらえるので、それが無限にフィードバックしていって、合わせ鏡みたいな現象が起こる、ということだった。この説明で一応、その場では納得したのだが、どうももう一度考え直してみるとよく分からなくなってきた*1(笑い)。そこで私が感じたのはとにかく理屈は分からないが「恐るべしYCAM」ということです(笑い)。
 さて、ここまで書かなかったが、そういういろんな要素はあってのこの日のパフォーマンスがよかったのは内橋の音楽・演奏が素晴らしかったから、これに尽きる。最近、いろんなパフォーマンスでオリジナルの音源で音を作ってくるなかで、聞いていて、どうも私はノイズやエレクトニカやもろもろのいわゆる尖った音楽が苦手なんじゃないかと思いだしていたところなのだが、当たり前のことだけれど好みはあるとしてもそれはジャンルじゃなくて、人だということが確認できた。

博士の異常な発明 (集英社文庫)

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*1:その後気になってネット上で検索してみると原理を説明したページを発見http://www.fsinet.or.jp/~oncle/kazetachi/20031004.html