束芋展「ヨロヨロン」@原美術館

束芋展「ヨロヨロン」原美術館)を見る。
 昼起きてトヨタコレオグラフィーアワードが始まる4時までは少し時間があるので、以前から見ようと思っていた束芋展を見に原美術館に出かける。行ってみてあらためて気がついたのだが、束芋だからスケッチなどのドローイングも関連展示としてはあるものの、メインは映像インスタレーションなわけで、要するにしごく当然のことだが、見るのに時間がかかる。もう少し早起きして時間に余裕を持って出てくればよかったと後悔したが、後悔先に立たずである(笑い)。
 もう少し時間があればとも思ったが展示自体はよかった。図録がまだ出来ていなかったので、作品名などの詳細が思い出せないのだが、特によかったのは下手うま系の人物スケッチがアニメーションになって音楽に合わせてダンスを踊る映像作品と北斎富嶽三十六景風の波濤が床面を動いていくのを部屋の上から眺めるようにした映像インスタレーション*1
 絵がダンスを踊る作品はたぶん作るのには時間がかかるのだろうから、実際には難しいかもしれないのだが、普段コンテンポラリーダンスを見ていることもあって、これを本物のダンサーと舞台上で競演させたら面白い舞台作品ができるのではないかと思ってしまった。束芋京都造形芸術大学の教授をしてるのだから、だれかそのあたりで仕掛け人になったら刺激的な企画になりそうなんだがな。
 ひとつ会場の外側(野外)に張られた半円形のスクリーンに映写する作品があり、これは暗くならないと見られないので見ることが出来なかったのが残念だった。

*1:これは「真夜中の海」という作品だったようだ

トヨタコレオグラフィーアワード(2日目)

トヨタコレオグラフィーアワード2006"nextage" (2日目)」世田谷パブリックシアター)を見る。

岡本真理子Mariko OKAMOTO 『スプートニクギルー』 sputnik*gilu
山賀ざくろZakuro YAMAGA 『へルタースケルター』 Helter Skelter
遠田誠 Makoto ENDA 『ニッポニア・ニッポン』 Nipponia Nippon
常樂泰 Yutaka JORAKU『広島回転人間』 Hiroshima Rolling Man

 2日目の最初は岡本真理子「スプートニクギルー」。岡本のダンスはある意味、東京でよく見られる踊らないダンスの典型である。舞台上に持ち込んだ小道具類を利用しての美術的な空間造形にその持ち味はあり、作品の方向性というか、彼女の意図は分からないでもないのだがどうも実際に見ている時に相性がよくない。この日も睡眠不足にならないようにとホテルで昼すぎまで十分に睡眠をとったにもかかわらずどうも舞台に集中できずになんども意識を失いかけた。素顔の彼女は茶目っ気も表情もあるだけにもう少しそういうところが作品にでたらと思うのだが、
作品が変わってもテイストはいつでも首尾一貫しているので、これは彼女の作り手としての美学から来る確信犯的なものであることは間違いなさそうで、彼女にとってはそんな感想は余計なお世話でしかないだろう。ソロ以外の作品を作ったらどうなるのかについてはっちょっと興味を覚えるけれど。
 山賀ざくろ「へルタースケルター」もソロ作品だが、もうオジサンといってもいい年の山賀があえて女子高生の衣装を着て踊る不気味さが魅力だ。しかも、いささかデフォルメされた形ではあるが、若い女性特有の仕草を真似てみせたりしてなり切っているところが余計に気持ちが悪い*1。山賀のダンスとしての動きの特徴としては通常のダンスの動きに加えて、身体にノイズとして現れてくる制御不能の「痙攣」とか「麻痺」を思わせる動きが重なって来るところがあって、そこに現在の日本のコンテンポラリーダンスにおいて重要な問題群となっている身体のノイズ性あるいはノイズ的身体が山賀ならでは「狂気」を想起させるような形で立ち現れてくる。
 狂気の女性を演じる、あるいはそれになりきるということはコンテンポラリーダンスの世界でいえば大野一雄の踊りが思い起こされるが、大野のなりきった女性がたとえ狂気を感じさせるとしても、そこには日本の舞踊の伝統としての「狂女もの」を想起させるような老女としてまず立ち現れたうえで、それが時として一瞬、若い女性にも見えたりするような舞踊特有のイリュージョンを見せるのに対し、山賀の演じる女性はあくまで「ちょっと頭のねじがはずれたような若い女性」である。
 さらにいえば山賀の場合は基本的には「ちょっと頭のねじがはずれたような若い女性」としてそれが見える、ということもなく、むしろ「ちょっと頭のねじがはずれたような若い女性を演じる頭のおかしな男」に見えるということがあり、それが迫真的なために「この人は本当に大丈夫なんだろうか」と考えてしまうのだ。
 山賀の舞台ではよく笑いが起こるが、それは笑いを意図してそうなったというよりも、笑いでもしないと観客が不安になってくるからというところもあり、普段劇場のロビーなどで会うと素顔では一見普通の人のように見えるだけにそれが舞台上ではこのように変容できるところにパフォーマーとしての並々ならぬ力量を感じさせるのだ。
 この日の舞台ではこれまで狭い劇場で踊っていることしか見たことがなかった山賀がこの大劇場の舞台に立っているというだけでも「一世一代の晴れ舞台」という言葉を思い出させて、見る側としても若干の感慨があった。ただ、残念ながらこの日の演技自体は若干空回り感もあって、完全燃焼とまではいかなかったようで、そこのところが少し残念だった。
 遠田誠「ニッポニア・ニッポンはよく出来た作品で、ダンスとして目新しさには欠けるところがないではないが、クリシェ的な日本の慣習をサンプリングして、それを組み合わせてダンス作品に仕立て上げるというアイデアはなかなか秀逸ではないかと思った。ただ、よくも悪くも、分かりやすい形でそれをやっているところがあるので、コンテンポラリーダンスとしてオリジナリティーが高いというよりはショー(エンターテインメント)として非常にうまく作っているという評価にならざるをえない。こういう職人的な技術を持っているコレグラファーは日本においては貴重な存在であり*2、それぞれのシーンの作りこみも熟成していて、「これは評価すべきもの」ではないかと思った。
 ここまで見た時点では今日は遠田誠が持っていくかなと思っていたのだが、その次の常樂泰(身体表現サークル)「広島回転人間」を見てすべてがすっ飛んでしまった。ムーブメントのオリジナリティー、作品に盛り込まれたアイデアの豊富さともに群を抜いている。主力のメンバー3人に加えて、後半登場した3人のなかに異常に下手な人がいて、「おいおい大丈夫か」と思ってしまうところもなかったでもないが、そういう人もうまく使って作品に取り込んでしまうというこの人の演出力は相当なもの、と逆に感心させられた。
 この時点で今年のトヨタアワードはひょっとしたらついに身体表現サークルが取るかもと思い、オーディエンス賞も躊躇なく彼らに投票したのだが……。
 
 
 
 

*1:半分はほめ言葉のつもりだが、本人の素を知っているからまだ演じているのが分かるが、知らなかったらマジで気味が悪いかもしれない

*2:たとえばジェローム・ロビンスはそういうタイプの振付家のなかで最高水準のコレオグラファーだったと思う