五反田団「俺のお尻から優しい音楽」@三鷹芸術文化センター

【作・演出】 前田司郎
【出 演】 石澤彩美、大山雄史、木引優子(青年団)、後藤飛鳥、墨井鯨子(乞局)、西田麻耶、布川雄治、前田司郎、宮部純子、望月志津子、用松 亮、吉田 亮(ハイバイ)
【サイト情報】 特設サイト http://gotanndadan.com/orenooshiri.html

 ガラス細工のように美しい少年大山がフランス音楽学院に留学し数多くのライバルと友情や憎悪を交わしあいながら成長しあうという体の演劇です。五反田団史上もっともくだらない演劇!これを観て五反田団を評価しないでください!
 2006年度のENBUゼミ*卒業公演として上演された作品を五反田団本公演として再演。“五反田団史上、最高にくだらない演劇”というのがキャッチフレーズなのだが、まさにその通りかもしれない(笑い)。
 初演時は舞台は生では見てないのだけれど、偶然舞台映像が手に入って、見たことがあった。その時思ったのは「いくらなんでもこれは下手すぎる」ということで、「これはこういう風に下手に演じることを演出的に指示されてやっているのだろう」とは思ったのだが、ところどころセリフが止まっていたり、変な間が入ってしまっていたりして、明らかにこれは意図的にこうしているというよりはぐだぐだになってしまっているというところがあり、「どこまで意図的にそうなっていて、どこまでは意図に反してすなっていたのだろう」というのが不思議な公演だった。
 そして、内容はくだらない。岸田戯曲賞を受賞するずっと以前のインターネット演劇大賞を受賞した作品「ながく吐息」が立小便したらその小便が止まらなくなるという話だった(笑い)ので、くだらない話というのは五反田団の持ち味のひとつではあったのだが、
最近はそういえばF/Tなど行政が主催してのフェスティバル参加が増えてきているためかそういうのが少なくなっている。だが、よく考えてみると今回の公演だって三鷹芸術文化センターというれっきとした公立ホールでの公演ではあるわけで、そこにあえてこういうものを持ってくるところに三鷹芸術文化センターのスタッフ陣がいかに作家に信頼されているかが窺えて嬉しい。そういえばあのいまや伝説となっている「猫演劇フェスティバル」もここで行われたと思い出したりもした。
 今回はよりグレードアップしての本公演ということもあり、青年団、ハイバイ、乞局といった他劇団や五反田団の常連俳優らENBUゼミ卒業公演とは違って きちんとした演技がしっかりとできるうまい役者たちを起用しており、それでどうなっているのだろうというのが公演を見る前の最大の注目であった。
そして仰天した。というのはその本来はうまいはずの役者たちが、見事なまでの初演のヘタヘタ芝居をシュミレートしていたからだ。ひょっとしたら初演も実は今回同様に物凄く緻密に演出されていた? そうだとすれば信じられないほどの超絶技巧だが、さすがにそうではあるまい。ただ、今回については初演との比較があるので自信を持っていえるが、役者の演技に本当に受けていたりする人を食ったような前田本人の演技を除けば残りのキャストは一見演技をとちったような場面も含めほぼ完全に初演の演技(もちろん、主演の大山以外の役者は代わっている)をそれこそ青年団のような緻密さでほとんどアドリブなしにコピーしているように感じられ、これはちょっと凄いことなのではないかと思った。
 

ロロ「グレート、ワンダフル、ファンタスティック」@こまばアゴラ劇場

 脚本・演出:三浦直之
 照明:工藤雅弘(Fantasista?ish.) 音響:池田野歩 衣裳:藤谷香子(快快)
 舞台監督:鳥養友美 宣伝美術:玉利樹貴 制作助手:幡野萌 制作:坂本もも
 企画制作:ロロ、(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場
 主催:(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場 http://llo88oll.web.fc2.com/
 出演:
 亀島一徳[ロロ]:金田ミラクル男(ぽつねんと語る男子)

 多賀麻美   :桐野真琴(まこと。女子高生。金田を気に掛ける 男勝り)
 望月綾乃[ロロ]:雨宮一穂(いちほ。女子高生。クールな女子)
 山崎明日香  :榎本春香(女子高生?。体臭がない、その匂いを探す。)

 青木宏幸[ヘッドクリエイティブ]:博士博士 博士(発明家)
 篠崎大悟[ロロ]:秋冬モデル(アンドロイド。言葉を集める)
 板橋駿谷   :藤堂志郎丸(博士から仕事をもらう。マッチョ)
 森本華    :合成獣 せつなさ(女子高生。博士自身とその改造に憤り)

 ロロは最近東京で話題の若手劇団。「いつだって可笑しいほど誰もが誰か愛し愛されて第三小学校」を昨年京都アトリエ劇研で見たのがロロの初観劇で、今回が2度目の観劇となった。前回見た「いつだって〜」は小学生同士の恋愛の話で、展開のセンスがポップでスピーディーで今風でこれは同世代の共感を呼びそうだなと思ったものの、この集団の特徴というのはまだはっきりとしないところがあった。今回は前回とはずいぶん違う印象で「どういうことか」と思いながら見ていたのだが、次第にロロが目指しているものの方向性がはっきりしてきた気がした。

PULL演劇人インタビュー ロロ主宰三浦直之さん

ゼロ年代における(小説・現代美術・映画などの)表現傾向は簡単に言えば「漫画やアニメやゲームみたいだ」ということなのだが、ロロの三浦直之にはどうやらそうしたほかのジャンルの表現の要素を演劇に積極的に取り入れ展開していこうという強い意思があり、確信犯としてそれを目指しているようだ。
 演劇の世界では平田オリザの現代口語演劇の影響力からか小説などのほかのジャンルにおけるアニメ・漫画的なキャラクター設定やゲーム的な仕掛けなどのいわゆるゼロ年代的な要素の導入が目立ちにくいきらいがあった。そのため、先行するジャンルとは明らかにタイムラグがあり、演劇においてもようやくそれが顕在化してきたのが2010年以降になってからだ。
 それでも前回見た「いつだって〜」は比較的それまでの現代演劇にも前例がないわけではない表現で比較的とっつきやすかった。それに対して、今回の舞台「グレート、ワンダフル、ファンタスティック」が「いい、悪いの評価が見る人によって完全に分かれている」と聞いて、どういうことなんだろうと思っていたのだが、観劇してみて氷解した。この作品は参照項として数多くアニメ、ライトノベル、漫画からの引用や見立てが仕込まれていて、元ネタを知る人はそれがトリガー(引き金)となって、アニメ的なイメージが立体化されて再現させるような仕掛けとなっているのだが、参照元のジャンルへのリテラシーがないとこれは本当に「なにがなんだか分からない世界」なのだ。そういう意味でこれはよくも悪くも極めてポストゼロ年代的といえると思った。
 この芝居では大きく分けて2つの物語が同時進行する。ひとつがある日突然空から降ってきた男(金田ミラクル男=亀島一徳)の持っていた誕生日ケーキが女の子(桐野真琴=多賀麻美)の顔に激突してしまうことから起こる2人の物語。もうひとつは言葉を集めているアンドロイド「秋冬」と彼が好きになった女の子との出会い。この2つを巡って芝居は進行していく。
 ここで興味深いのはこの2つのうちの1つであるミラクル男と真琴の出会う世界が無限にループする世界(円環的構造)として設定されていることである。この種の円環的構造は「涼宮ハルヒシリーズ」や「けいおん!!」などゼロ年代のアニメや漫画、小説によく出てくるもので、さらに興味深いのはこのループにはミラクル男だけが繰り返しの生の記憶をすべて持って生き続けており、真琴との出会いも世界が更新されるたびに繰り返されるが、ループが繰り返される時には前の出来事はすべてリセットされる、ということだ。
 舞台の床にはいくつか六角形の板の形をしたものが沢山置かれていて、出演している役者たちが舞台の間中これをあちらこちらに移動し続けていた。観劇の際には気づかなかったことだが、twitterのフォロワーの指摘によればこれは「HEX」というゲーム*1ではないかということなのだが、無限ループの循環構造とゲームについての見立てをメタファー(隠喩)として作品内にちりばめながらも主人公である男に「プレイヤー視点」(のようなもの)が導入されているのがこの作品の特徴だ。そうした形で芝居の全体を一種のゲームのようなものと擬えていく「ゲーム的リアリズム」により、舞台は展開する。
 実際、この舞台に対する是非のうちかなり多くの評価がこういう種類の「ゲーム的リアリズム」をリアルなものとして感受できるか、それとも荒唐無稽な絵空事にしか感じられないかが、作品評価の臨界点となり、それゆえ、単に世代的なものだけではなく、こういうリアルに触れた経験の有無が作品の評価において決定的な要因をなすことになってしまう。
 新世紀エヴァンゲリオンの用語から「シンクロ率」という言葉を援用すればどうやらこのロロという劇団には若い世代を中心にシンクロ率のきわめて高い層が存在するようなのだが、ネット上での今回の公演の評価などを見てみると激しい拒否反応を起こす層も一定以上に多い。これはある意味、先に挙げた「涼宮ハルヒシリーズ」や西尾維新のようなゼロ年代的とされる最近のある種のアニメやライトノベルの受容のされ方と似ている部分があるように思われた。ロロに関しては三浦は今後どのような方向性に進むのかはまだ模索中のようだ。シンクロ率の高い層だけを対象にしてこのままの路線を突っ走り、いわば一般の小説に対するライトノベルのような位置を新たな客層を獲得することで演劇において勝ち取るのか。あるいは「ゲーム的リアリズム」「アニメ・漫画的リアリズム」を核としながらも、より広い層に訴求力のある作品作りを目指していくのか。
 今回の作品については私自身は私にとって不可視な部分が多すぎて、手放しで絶賛する気にはならないのだが、それゆえにこそこの集団がポストゼロ年代演劇の台風の目となっていきそうな気配を濃厚に感じた。