維新派「nostalgia」

 「nostalgia」*1には「<彼>と旅する20世紀三部作#1」という副題がつけられている。つまり、三部作の最初の作品となるわけだが、主題(モチーフ)的にもこれまでの作品から少し変化が見られ、次の段階(フェーズ)に入った印象が強い。「キートン」「ナツノトビラ」とモノトーンな印象の静謐な舞台が続いたが、南米を舞台にしたせいもあってかいくつかの場面ではエキゾチックな色彩に溢れた明るさがある。目に付いたのはこれまでの松本雄吉の世界ではいつでも変奏されていた少年のイメージが今回はやや退いて、物語の中心に少し生々しささえ感じさせる大人の男女を登場させたことだ。これが外国のミュージカルだったら別段どうでもない場面だが、2人の男女が抱き合うキスシーンなどもあってこれにはちょっと驚かされた。
 この物語を引っ張っていくことになる3人の人物。ノイチ(藤木太郎)=少年時代は木戸洋志、アン(大石美子)=少女時代は尾立亜実、チキノ(岩村吉純)がこれまでとは少し違う構成である。維新派では少年の主人公を女優が演じることが多く、それがこの集団のひとつのトーンとなっていた。ここ10年間ほどはその役柄を看板女優、春口智美(昨年退団)が担っていたので、これは松本の世界観が変わったことよりも、春口の退団後初の新作*2ということも大きかったかもしれない。もっともそのために「生々しい」と書いたのだが、この「nostalgia」においてはこれまでは維新派の劇世界においては意図的に排除され、あるいは隠蔽されていた人間の「セクシャリティー(性的なるもの)」についての表現が次第に表面化してきたともいえる。
 アン役の大石がそうなのだが、少女時代を演じる尾立もどちらかというとユニセックスな印象が強いこれまでのヒロイン春口、小山に比べると色気を感じさせるタイプで逆に言えばそれを松本演出は消そうとしていないところが興味深い。
 ただ、今セクシャリティーと書いたばかりですぐ撤回するようだが、ノイチとアンが何度も何度も抱き合う場面が繰り替えされてもそれは単純にエロチックなもの、というよりはそこ(生殖)から新たな生命が生まれてくること、家族的集合体の最小の単位を象徴しているところもある。歴史の大きな流れに小さな家族が翻弄されていく姿、幾度にもわたる騒乱や革命、戦争といった歴史的な出来事の流れを日本からブラジル、そしてアルゼンチン、チリ、ペルーと南米を縦断する一種のロード・ムービーとして壮大なる大河ドラマのように展開していく。これが「nostalgia」なのだ。
 この舞台は最初に移民船である笠戸丸をノアの箱舟になぞらえたように旧約聖書の一節が引用されるところからはじまる。旧約聖書の神話的イメージはここだけではなく、描かれる内容と二重写しになって作品全体を支配している。例えばそれはブラジルにわたった移民たちがその子孫を増やしていくことを提示していく場面の「創世記」のパスティッシュ的な台詞がそうだし、「El dorado」の場面はバベルの塔の逸話を連想させる。「約束の地」を求めてのノイチらによる南米縦断の旅は日系人迫害の場面も含め「出エジプト記」になぞらえることもできる。だとすれば最後の場面、摩天楼が林立するアメリカ・ニューヨークはアンらにとっての約束の地となることができるかというのが次の主題となっていくのであろう。
大河ドラマであっても例えば「noctune」のように時空の流れが往来したりすることはない。比較的わかりやすいといえるが、やや隔靴掻痒の感があるのはブラジル公演の時に実際に向こうの日系社会と遭遇して体験したことが元になったせいか、描かれている南米の地理と歴史が作品と密接に関係しており、それについての具体的なイメージが湧かない観客にとってはやや消化不良感があることだ。
 物語はノイチが1908年に神戸港を出港した笠戸丸により、サンパウロに着いたところからはじまる。第二次世界大戦による日系人迫害などその後の数十年の歴史を一気に駆け抜ける。ただ、具体的に個々の場面に歴史上のどんな出来事が描かれているのかということになるとブラジルないし南米についての歴史の知識を基本的に欠く身にとってはわかりにくい。例えば最初の方の場面で革命のような場面が描かれており、これはブラジルで20世紀に何度も繰り返し起こった反乱ないし蜂起を描いたものだが、具体的にそれがどの出来事を描いているのかはよくは分からずもどかしい。台詞の半分以上が日本語以外の言葉(ポルトガル語スペイン語、マヤ語)で大体の意味しか分からないこともそれに拍車をかけた。
 同じようなことは実は「noctune」の時にもなくはなかったが、あの時は描かれる対象が満州中国東北部)だったのでまだイメージを結ぶところがあった。こと南米に関してはアルゼンチンのペロニスタのクーデターとか断片的な知識しかないので具体的なイメージを結びにくい。舞台はそれが分からないと楽しめないわけでもないので、これは結局物事を見るについての自分の性分の問題といえなくもないのだが。観劇後気になったので調べてみるとブラジルでは1908年以降毎年のようにゼネストやそれがきっかけになって引き起こされた騒乱が起こっていることが分かって少しびっくりした。
 もっとも分からないという意味では最大の謎は舞台上に登場する<彼>と呼ばれる「大きな人」の存在であろう。これは最初に登場したときにまずビジュアル的にインパクトがあるし、いったいどんな風になってるんだろうと非常に興味を引かれたのだけれど、どことなくユーモラスなところもあって思わず笑ってしまった。
 この「大きな人」が副題である「<彼>と旅する20世紀三部作#1」の<彼>なのだが、松本がそれにこめた「20世紀の記憶の場」のような役割付けは分からないでもないけれど、残念ながらこの第一部では、具体的にはそれがなんなのかについては描かれておらず、この舞台のなかだけでは<彼>に帽子を渡した少年はだれなのかとか、明かされていない謎がまだまだ残っている。これは自作以降で明かされていくのであろうと思いながらもやや肩透かしではあった。ただ、「大きな人」が動くところはやはり一見の価値はある。全体としてもこれからの観劇となる人(さいたま芸術劇場、京都芸術劇場での再演を予定)は期待していい出来だと思った。

  
 
 





 

*1:最初に補足しておくと以前に上演された「ノスタルジア」とはまるで関係のない作品で今回が初演である

*2:前作「ナツノトビラ」は日本公演は春口退団後。彼女は出演していなかったが、ブラジル・メキシコ公演においては小山加油とダブル主演を担い、彼女の出演を念頭に製作されたものであった