LUCY/KOTA Project@京都芸術センター講堂

 日本の山崎広太とオーストラリアのルーシー・ギャレン(Lucy Guerin)が互いに相手の国でオーディションにより集めたダンサーにより、それぞれ現地に滞在して製作した作品を持ち寄り初演した。山崎の振付家としてのよさに舞台空間にダンサーを複数配置しての空間構築力の高さがあるのだが、ソロ作品が多かったこともあって近年の作品ではそうした面白さがあまり出ていなかったのがこの「Chamisa4℃」ではひさしぶりにそれを堪能することができた。
 
 山崎にとってはこのプロジェクトは国際交流よりもひさしぶりにいずれもバレエを主体にした高い技術を持つ粒ぞろいのダンサーたちとの共同作業の場を与えられたということに大きな意味があった。振付はかなり細かい部分までが「振り移し」であって、これらのダンサーたちがこれまでの経験である程度処理できるコンテンポラリーダンス的な動きと「舞踏」をベースにしたゆがんだ身体や静止ないし、微細な動き、痙攣的な動きのミクスチャーである。山崎の振付が面白かったのはそうした要素の指示をダンサーに与えた後でそれを「舞踏の型」に無理やりはめ込むことはしないで、それぞれのダンサーがそれまでつちかってきた自分自身の身体性のなかでの処理をまかせていたことで、そこに結果として「舞踏でも西洋流のコンテンポラリーダンスでもないなにか」が生まれていたように思われたことだ。
 舞踏的身体を持たない西洋のダンサーが舞踏の振付家の作品を踊る時にありがちなのは表面的な形だけを真似ることで「ニセモノ舞踏」みたいな作品になってしまうことだが、山崎のはそうではなくて白人のダンサーが持つ彼ら特有の身体のありかたは生かしたままで、そこに振付として舞踏表現の特徴のうちのいくつかの要素を盛り込んでいった。山崎は日本でも自分の持っている身体とは大きく異なるバレエダンサーに積極的に振りつけたり、最近はセネガルのカンパニーとの共同作業によりアフリカ人のダンサーに振りつけたりしてきたが、そうした経験が生きて、このような作品が可能となったのではないか。
 空間構成という意味合いでいえばこの作品ではきわめて効果的に鏡が使われていた。実際に舞台上に存在しているダンサーのほかにそのダンサーの姿が鏡に映って、その両方が観客の目に同時に映る。それに加えて、照明がこの作品では非常に短い時間の間に複雑に変化していく、ということも試みられ、この2つが相互作用することで、時間に合わせて刻々と変化していく非常に複雑な空間のイメージの変容が騙し絵的に舞台上に立ち現れた。
 逆に疑問があったのはダンサーに英語でいろんなせりふをしゃべらせていたこと。ナラティブ(物語)の構造がある作品ではないので、日本での上演ではせりふは時に重なったりして、聞き取れないことで音的なものに解消されて、私が見る分には気にならなかったが、言語テキストは意味性をともなうため、英語圏の観客にとってはかなり印象が異なり、本来意図していたものとのズレが生じるのではないか。この作品では言語テキストとダンスの動きとの関係性が厳密に規定されていないため、そのあたりが気にかかった。せりふはいらないのではないか。