エジンバラ演劇祭観劇リポート3

 今回からはエジンバラフェスティバルズのもうひとつの中心であるフリンジフェスティバル(The Edinburgh Festival Fringe )について紹介してみたい。まず、最初に特筆すべきことは巨大(huge)としかいいようのないその規模である。それがどの程度のものであるかをフリンジフェスティバルの公式サイトに掲載された情報をもとに数字で示してみるとフリンジフェスティバルに参加している劇場の数が261(しかもそのうちには複数の公演設備を持っているところが数多くある)。そこで上演される演目の数が1800。そして、公演数(総ステージ数)は28000にのぼり、販売されたチケットの枚数が1.5 millionというから、なんと1500万枚(笑い)。フェスティバル自体の比重はその数において圧倒的でもあるフリンジの方にむしろ傾いているということさえできる、と以前に書いたのはこういうとてつもない数字を踏まえてのことだった。
 今年、私は約10日間、エジンバラに滞在して40本の舞台を観劇したのだが、正直言って全体像を把握するのは不可能である。というか、エジンバラ在住のプロの批評家でこの時期のすべての時間を観劇に当てることが仮にできるとしても、演目が1800あるとすれば単純計算しても、フリンジフェスティバルの期間が22日間だから、これで割ると1日あたり81本の舞台を見なければならず、つまり重なって同時には見られないものがあるのを差し引いても、私の経験から言えば1日8本ぐらいが限界。そうだとすればそれが「観劇の鉄人」みたいな人だったとしても、全体の10分の1程度しかカバーできないわけだ*1
 さらに言えばこれだけの数の公演があると当然ながらどれを見ても面白いわけではなく、内容は文字通り玉石混交。だから、限られた時間のなかでどの公演を見るべきかという選択の基準が重要になってくる。その選択のためには現在ネットレビューを含めて、クリティックのお薦めのような情報が重要な役割を果たしているわけだが、それ以上に重要なのが劇場によっての公演内容のレベルの格差なのだ。
 エジンバラフリンジにはだれもがそこで上演できるというわけではなく、劇場のプロデューサーがその演目を選び抜いて、その目にかなった公演だけを上演している劇場があり、その中のトップに位置するのが俗にトップスリーと呼ばれたりもしているAssemblyPleasanceGilded Baloonの3劇場なのだ。そのほかに少し毛色のかわったところではダンス&フィジカルシアターに的を絞って、レベルの非常に高い海外のカンパニーを招聘してフリンジ内の独立したフェスティバル「AURORORA NOVA FESTIVAL」を開催しているSt Stehenスコットランドにおけるダンスの拠点であるDANSEBASEという演劇・コメディーが中心のエジンバラフェスティバルにおいてきわめてユニークな存在となっている劇場もあるのだが、今回はまず前述のビッグスリーのうちAssemblyとGilded Baloonで観劇した演目について紹介してみることにしたい*2
 「Midnight Cowboy 真夜中のカウボーイ」(Assembly Rooms, Edinburgh)*3 *4ジョン・ヴォイトダスティン・ホフマンが共演したアメリカン・ニューシネマの傑作、映画「Midnight Cowboy 邦題・真夜中のカーボーイ」で有名なJames Leo Herlihy の小説の舞台化である。Assemblyというのはエジンバラフリンジフェスティバルを代表する劇場の1つでここを皮切りにUKツアーや米国、オーストラリア、ニュージーランドなどの英語圏各国へのツアー、あるいはロンドン公演を前にした試金石的にワールドプレミア(世界初演)をここで行うという演目が多数含まれ、ここで上演される演目はそういう意味でかなりレベルが高い。
 最近人気になっているAssemblyでの演目を見ると2003年には「12人の怒れる男たち」、2005年には二ール・サイモンの「おかしな二人」*5、後、年は忘れたが「カッコーの巣の上で」など映画化もされて有名になった作品のリバイバル上演が多く、今年の「Midnight Cowboy 真夜中のカウボーイ」もそういう流れのなかの1本ということができるかもしれない。
 この芝居は分かりやすく、普通に楽しむことができた。映画の方はずいぶん以前に見たためにストーリーなどはほとんど忘れてしまっていたのだが、それでも全然大丈夫。主演の2人もカウボーイ(Charles Aitken)、ラッツォ(Con O'Neill)ともになかなかの好演でもあった。
 ところがそのことで逆説的にどうしようもなく浮かび上がってきてしまったことがある。それは映画がベトナム戦争という時代背景のもとに製作され、イギリス人の監督が皮肉な目でテキサスの田舎からニューヨークに出てきた青年の挫折を通じてアメリカンドリームの終焉のようなものを描き、そこに映画のアクチャリティーはあったのであるが、この舞台からはそういう背景もはぶかれてしまったこともあって、ここには「今のリアル」はほとんどないのである。その結果、単なるウェルメードな芝居に堕してしまい、「Midnight Cowboy 真夜中のカウボーイ」をなぜ今リバイバルで上演するのかという意味合いはこの舞台からはあまり感じることができなかった。
 もっとも、これは明らかに前衛ではなくて日本流の言い方をすれば例えばパルコ劇場(あるいは大阪ならシアタードラマシティ)でかかるような商業演劇なのでそれにそういうことを望んだりすること自体が木によって魚を求むようなところがある。ただ、それが「12人の怒れる男たち」や「おかしな二人」ならおそらくそんな理屈を考えもせずに素直に楽しめたと思うし、ここではこの演目だけというわけではなく、この同じ劇場を使って、時間で区切って複数の演目が上演されるため、舞台装置などは簡素なものにならざるをえず、そういう意味での制約はあったのだが 演劇としてのクオリティーは日本語の上演だったとしたら、パルコ劇場クラスの劇場で上演されたとしてもなんの遜色もないものであった。
 それでも、あえてそういうことが気になるというところに演目の選定における「Midnight Cowboy 真夜中のカウボーイ」という題材の微妙さがあるのかもしれないと思った。
 一方、Assemblyで見たもう1本の舞台はジョージ・オーウェルの風刺小説「動物農場」をひとり芝居に仕立て上げたGuy Masterson Productions 「Animal Farm 動物農場*6(Assembly)*7であった。Assemblyには毎年のようにそこで舞台を上演している常連といっていい集団がいくつかあり、Guy Mastersonの率いるプロデュースユニットもそのひとつ。前に挙げた「12人の怒れる男たち」もこの集団によるもので、キャストに俳優ではなくて全員スタンダップコメディアンを起用したその舞台はきわめて水準が高く、その年のエジンバラフリンジのベストアクトのひとつと言える好舞台であった。この「Animal Farm 動物農場」は新作ではなくて、元々Guy Masterson自身が演じて95年に評判をとった舞台の再演であり、今回はGary Shelfordがたったひとりでオーウェルの小説に登場するさまざまな動物たちのキャラクターをマイム的な形態模写を駆使して演じ分けた。  
 この舞台の演劇としての面白さはそれぞれの動物についてのキャラクタライズされた特徴を身体表現でビジュアル化していくことで、数多い登場人物(というか登場動物)がそれがなんなのか(馬なのか、雌鶏なのか、豚なのか)が瞬時に分かるように作られていることで、さらに声色を使い分けるようなGary Shelfordの巧みな演じ分けともあいまって、役者の多芸ぶりを存分に堪能できるような仕掛けとなっていることだ。
 さらに今回の上演が演出的に面白かったのはシェイクスピアの上演などによくあるようなある種の現代的な見立てがなされていたことだ。オーウェルの原作自体は動物たちにより、動物の理想の農場の実現が首謀者の独裁により裏切られていく過程を描いたもので、共産主義なかんずくスターリン主義への批判がそのなかでされている、というのが伝統的な解釈であるが、演出家のTony Bonczaは舞台の最後の方に短くトニー・ブレアの就任時(あるいは就任前の)演説を挿入してみせることで、その当初の理想がさまざまな条件のなかで裏切られていったというここ10年ほどの英国の状況と重ね合わせて労働党政権を揶揄してみせる。そして、旧ソ連圏の崩壊などで風刺のアクチャリティーが失われて、現在では歴史的な価値しかないとも思われがちなオーウェルの風刺が実は人間が陥りがちな理想主義とその崩壊の全般を射程圏にいれたもので現在でもその矛先はけっして鈍っていないということをさりげなく示してみせたのである。
 一方、ビッグ3のもうひとつの劇場Gilded BalloonではGamarjobat(が〜まるちょば*8「A Shut Up Comedy 2」(Gilded Balloon Tarbot)を見た。こちらは日本から来たパントマイム出身の2人組である。エジンバラにはこのところ連続してやってきているようで2004年にダブルアクトアワード受賞、2005年にタップウォーターアワード受賞とエジンバラフリンジでの賞を連続して受賞。今年は満を持してのGilded Balloon登場となった。
 パントマイムとは書いたが彼らの舞台はいわゆる道化服を着て、赤鼻をつけてというようなトラディッショナルなタイプなものではなく、モヒカン刈りのような奇妙な髪型の2人が背広スタイルで出演するいかにも現代的な香りのするショーで、そこのところが現地でも評価されているのではないかと思う。
 劇場と書いたがこのGilded BalloonもAssembly、Pleasanceも日本でいう本多劇場のような単一の劇場ではなくて、大小規模の異なる複数のスペースを保持している複合施設と考えた方がいいのだが、Gilded Balloonでも彼らが上演したスペースは詳しい客席数は不明だが、おそらく客席数は400以上、日本で言えば中劇場規模の比較的大きな劇場である。それでも、前の芝居からの移動で会場に着くのが開演ぎりぎりになったせいもあるが、劇場に着くと空席が簡単には見つけられないほどの超満員の状況。なんとか、最後列の客席に空きを見つけてもぐりこんだが、現地での彼らの評判の高さがうかがえた。
 
 舞台の方は2部構成で、1部はちょっとしたマジック(奇術)のショーのような内容なのだが、実際に道具を使って本当の奇術をやるわけではなく、マイムの高い技術を生かして実際の奇術ではないものをそのようなものとして見せてしかも観客を書き込みながら、存分に笑いをとってみせた技量はたいしたものであった。第2部はチャールズ・チャップリンの映画「街の灯」を下敷きにした軽演劇のようなお芝居で、これももちろん台詞なしですべてマイム的な身体表現により、しかもたった2人だけで衣装の早替えを駆使して何役を演じ分けることで成立させていく。
 パントマイムといえばエジンバラフリンジには数年前に日本からは水と油が参加して、エンジェルアワードという賞を受賞しているのだが、こちらの方がフィジカルシアターやダンスを紹介する劇場のプログラムで上演され評価を受けたのに対し、Gamarjobatは向こうの芸人らを対象とする賞を受賞していることに方向性の違いが現れている。Gilded Balloonはビッグ3のなかでもコメディーに力を入れている劇場として知られており、他の劇場からも声をかけられていたらしいが、それゆえのGilded Balloonの選択であったようだ。今回のエジンバラ公演は現地のプロダクションが肝いりで力を入れて宣伝も引き受けていたようで、大きめのポスターが突然エジンバラ空港に張ってあったり、フリーペーパーの裏表紙を飾っていたりとその現地での露出ぶりはなかなかのもので、野球に例えればメジャー入り近しというところであろうか。日本での知名度はまだそれほど高くはないのだが、こういう奴らがエジンバラで活躍しているのは同じ日本人として嬉しいことであった。11月15、16日にはこのエジンバラで上演した演目を上演する名古屋公演*9もあるようなので、興味を持った人はぜひ劇場へ出かけてみてほしい。

*1:もちろん、実際には私の経験則からすると1日8本を続けていると、3日ももたないで体力的な限界が来て、死んでしまう(笑い)し、プロの批評家は見るだけでなくレビューを執筆しなければならないから、それを考えるとその数は激減することになる(笑い)

*2:残念ながら今年はPleasanceでの公演は観劇できなかった

*3:http://enjoyment.independent.co.uk/theatre/reviews/article1217944.ece

*4:http://entertainment.timesonline.co.uk/article/0,,14936-2304762,00.html

*5:ソールド・アウトで見ることができなかった

*6:http://www.britishcouncil.org/jp/arts-performance-in-profile-2006-guy-masterson-productions.htm

*7:http://www.theatretoursinternational.com/Diaries/Ed2006.html

*8:http://www.gamarjobat.com/jp/index.html

*9:http://www.soho-japan.co.jp/gamarjobat/nagoya/index.html#aisatsu