エジンバラ演劇祭観劇リポート5

 エジンバラスコットランドの首都である。日本では英国といえばイングランドスコットランドも一緒くたにされてしまいがちだが、現地に行ってはっきり分かるのはスコットランドにはイングランドとはまったく違う国民意識愛国心があるということだ。「マクベス」はシェイクスピアの代表作品であるがこれがスコットランドの王位争いを巡る物語であることはとりわけこのエジンバラ演劇祭では強く意識されている。ご当地ものということもあって、毎年、この作品はさまざまなカンパニーがさまざまな工夫を凝らした演出で上演。華を競っているのだ。
 シェイクスピア作品自体も毎年、頻繁に上演されていて、その中には「ハムレット」「オセロ」「夏の夜の夢」「十二夜」「テンペスト」のような定番から、今年の国際フェスティバルの「トロイラスとクレシダ」や以前に見た「アテネのタイモン」のように日本ではあまり見ることができない演目を含まれていて、エジンバラの楽しみのひとつだ。なかでも「マクベス」は上演数が多いこともあってどんな趣向ものが見られるのか期待している。
 過去にはFRANTIC REDHEAD PRODUCTIONの野外移動劇「マクベス*1や「マクベス」をエジンバラのギャングの抗争に見立てた現代劇的な上演、モダンゴスの衣装を着た若い女優たちが演じたファンタジーなどユニークな演出の好舞台もそのなかには含まれていた。
 今年もフリンジ公式ガイドを見る限りでも5,6作品が上演されていたようだが、そのうち見ることができた2本を紹介しよう。「Young Macbeth」*2(C too)は表題通りに全員20代。演劇大学に在学中ないし卒業したばかりかと思われる若い俳優らによる上演。演出のFiona Cliftもまだ20代の女性である。
 冒頭ヒップホップの鳴り響く中、俳優たちがステップを踏んで飛び出して以降、それこそ若さにまかせてカタストロフフィーに向けて突き進んでいく。上演時間60分のスピード感溢れる演出だ。
 女性1人、男性2人がキャストなのだが、このうちマクベス役の1人を除いて、後のふたりが女性(マクベス夫人、魔女、マクダフ夫人ら多数)、男性(ダンカン王、バンクォー、マクダフ、医師ら)と次々と衣装を早替わりして演じ分けていく。なかでも女性のNaomi Cranstounの演技は最初に両手にへびの頭のおもちゃみたいのをはめて、アニメキャラのようなつくり声で魔女を演じ始めた時には「なんか可愛いことは可愛いけど子供劇場かよ」と思って心配になったが、マクベス夫人に扮すると雰囲気は一変して優れた女優だけが見せられる輝きを垣間見せる。男性役でも声色を使いながら何役かを演じ分けてみせる。まだ、大学3年生というからところどころで若さゆえの未熟も見えるがなかなかの逸材。英国にはキャサリン・ハンターという見本もいるからちょっと意識してるところもあるかもしれない。なかなかに末恐ろしい存在だと思わせた。
 演出のFiona Cliftも学生を対象とした演出家の賞をいくつか獲得した後、プロとしてのキャリアを歩みはじめたところだが、こういう表現が女性に対してふさわしいかどうか若干躊躇はあるが、公式サイトの資料の顔写真を見ても、見るからに不敵な面構えである。切れのある演出は大器を感じさせるところがあり、もう数年したら気鋭の演出家として大舞台に飛び出してくるかもしれない。
 「Young Macbeth」がプロの卵による公演だとすれば「Macbeth THE OLD BLACK MAGIC」(Stage by stage Edinburgh Academy)はよくも悪くもいかにも学生演劇という匂いを強く感じさせる上演であった。だから、最初は「マクベス」というドラマを見ているというよりもそれぞれのキャスティングなどを見て、魔女役の3人はどう思ってるんだろうな、本当はマクベス夫人役がやりたいと思ってたんだろうか、所詮汚れ役だしなあ(笑い)とか。「将来絶対プロになるぞ」という感じの子は少なくて「ひと夏の青春の思い出作り」という感じがするキャストだったので、そんなことをつい考えてしまった。
 演出的にはこちらは場面と場面をつなぐ場面転換で舞台そでに控えた生バンドの演奏による歌が挿入され、音楽劇の要素もからめて進行していく。この選曲が昔のアメリカの懐かしの歌謡曲フランク・シナトラの歌うようなもの)なので最初は「どうも場違いでは」と思っていたのが、後半になってこれが意外とはまってくる。それに従って舞台も盛り上がってくるので、予想以上に楽しめた。なかでも思わず笑ってしまったのが、マクベスがダンカン王を殺し手に血まみれのナイフを持って出てきた後の場面で歌われた「マック・ザ・ナイフ」。クルト・ヴァイルによるブレヒトの「三文オペラ」に出てくるあの有名な曲だが、確かにこの場面は「ナイフを持ったマック(ベス)だよな」と感心されられたのである。後半マクベスの主題歌のようにミュージカル「ラ・マンチャの男」の「見果てぬ夢」が歌われて、これもあまりに通俗的で違和感があったのだが「こういうやりかた(解釈)もありかも」と次第に納得させられて、最後には「けっこういいものを見せてもらった」と思わされてしまった。
 舞台の中央に常に棺のような箱が置かれていて、登場人物のだれかが死ぬと、魔女が出てきてその頬に「死」を意味する赤い血の線を引いて、その後でこの棺のなかにかついで運びこむ。これを見てるとこの「マクベス」という芝居が最初から最後まで死屍累々、まさに最後のマクベスの独白のように「人間は歩いている影にすぎない」というのがビジュアル的に分かりやすく見られるというのが面白く、秀逸な演出であった。
 エジンバラ演劇祭におけるご当地もの演劇ということでいえばFRANTIC REDHEAD PRODUCTIONS*3という劇団がこのところ毎年、コナン・ドイルシャーロック・ホームズものを上演していて、これも演劇ファンであると同時にミステリファン、そしてホームズファンでもある私にとってエジンバラ訪問の楽しみのひとつとなっている。今回上演されたのは「三人の学生*4」を脚色したSherlock Holmes The Three Students」という作品でもちろん新作である。この芝居は彼らがWalking Playと名づけている移動劇で、そのスタイルは観客が集合場所に集まった後、エジンバラの街中を俳優たちと観客が一緒になって移動しながら作品が上演されていくというきわめてユニークなスタイルのものでもある。

1895年、ある大学町での奨学金試験の問題用紙が何者かによって書き写された。容疑者はその試験を受ける予定であった、3人の学生である。

問題用紙はトゥキディデスギリシャ語英訳で、ゲラ刷り3枚に渡るものであった。用務員のバニスターが部屋に鍵をかけ忘れてしまい、その間に何者かが試験用紙をいじったという。試験用紙がいじられているほか、窓際のテーブルには鉛筆の削りくずがあり、書き物机に3センチほどの切り傷がいくつかと粘土の小さな塊が残されていた。

試験を受ける3人の学生は、同じ建物の2階に住むスポーツマンのギルクリスト、3階に住むインド人のダウラット・ラース、4階に住む秀才だが怠け者のマイルズ・マクラレンである。ホームズはまず用務員のバニスターに事情を聞き、それから3人の学生に話を聞こうとするが、マクラレンのところだけは話を聞けずに終わった。

翌朝、シャーロック・ホームズは事件の真相を解明するため、バニスターをもう一度呼ぶ。その後、ソームズ氏に、真犯人とされる、学生を呼びにやらせた。

数少ない犯罪ではない事件を解いたホームズの一篇。
フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』からあらすじを引用させてもらうと以上のようなものになるのだが、この芝居は物語の筋立てはほぼ原作に忠実である。ただ、冒頭に脚色と書いたのは原作ではそれがオックスフォードかケンブリッジかで若干の議論はある*5ようだが、いずれにせよイングランドの大学を舞台にしたものであるのが、この芝居ではその舞台をエジンバラ大学に移し変えて、ご当地ものとして上演している。
 最初の写真は依頼人のソームズ(手前)がシャーロック・ホームズに会って、事件の解明を依頼するという冒頭の場面である。野外移動劇と書いたが、その言い方は本当は正確なものではない。移動しながらそのそれぞれの場所をそこで事件が起こっている場所に見立てていく、一種の「見立て」の手法が作品には取り入れられているからだ。その移動の過程では野外だけではなく、エジンバラ大学の交流施設の一部屋を事件の現場に見立てて、そこに事件現場を再現して、拡大鏡を片手にホームズが現場検証を実際にしてみせる「室内での芝居」も含まれている。

 このFRANTIC REDHEAD PRODUCTIONという劇団は毎年、このフェスティバルの時期にはエジンバラで芝居を上演しているいわば常連といっていい劇団である。
 シャーロック・ホームズが活躍の場としたことはあまりないのだが、このエジンバラは作者のコナン・ドイルとは関係が深い。ドイルはエジンバラ大学医学部で学び、ファンの間ではホームズの推理のモデルとしたということで有名なベル博士*6エジンバラ大学医学部教授)がいたのもこのエジンバラであった。この芝居が上演された場所の近くにはドイルが学生時代に住んでいたというアパートメントも当時の建物が残っていて、その建物の扉近くにはそれを記念したプレートもあり、それを実際に見ることもできる。

 この劇団がこの方式でホームズものを上演したのはこれが3本目で、これまでの2本も過去に観劇したけれど、それは同じエジンバラでもディーンギャラリーを出発点に少し田舎めいた景観を残す場所(場所的には郊外とはいいがたいが、東京でいえば田園調布のような高級住宅街のあるエリアなので、演劇祭が主として行われているエリアとは少しはずれる)だった。この新作ではこれまでの実績から協力者も増えてきたのか、エジンバラ大学の構内や若き日のウォルター・スコットが学んだという寄宿学校の庭なども経由して、観光客にとっては普段は見られないエジンバラの中心部が見られるという趣向にもなっている。

 これまで上演された2本は「フランシス=カーファックスの失踪THE DISAPPEARANCE OF LADY FRANCES CARFAX」と「ソア橋」をそれぞれ脚色したもので、特に後者では実際の川の近くの公園を使って、事件のトリックを再現してみせたのが面白かったが、ホームズの推理という点ではやや物足りなさが残る作品でもあった。今回の「三人の学生」は窓際のテーブルにある鉛筆の削りくずや書き物机に3センチほどの切り傷がいくつか、粘土の小さな塊」といった証拠をホームズが現場検証で調査してみせたりするので、事件の解明としては純粋推理による部分が多いホームズらしさが発揮された作品だ。その意味で脚本化に関してはこれを観客の目に解りやすく見せるためには特に実際の現場の状況を会話のなかに登場させるだけでなく、ビジュアルとしてだれにも分かるように見せるというのが不可欠なのだ。事件の現場の再現が可能な場所探しというのがこの公演の実現のための最大のハードルだったんじゃないかと思われるのだが、交渉を通じてこの場所を探し当て使用の許可をえた努力というのはすばらしいと思った。
 今回の脚本の執筆者は地元の大学の先生らしい*7がこれももちろん地元のこうした協力者の尽力もあってのことなんだろうと思う。ただ、この芝居はアクションよりも推理の部分の要素が強いだけに私の語学力では大体の概略は分かっても微細なディティールで聞きとれないところもあり、そこのところでやや隔靴掻痒。もう少し英語ヒアリングの力があればと悔しい思いもした。
 演出的に面白かったのはこの芝居では黒服を着た男が複数登場して、それが交互にホームズとやりとりして見ている時にはこのコロスのような男たちがなんなのかよく分からないところがあったのだが、終演後、パンフで確かめてみると(ワトソン1、ワトソン2…)と記述されていて、「そうか、複数の人間でワトソンを演じていたんだ」と初めて分かった。見ている時にはエジンバラに舞台を移したのでこの舞台にはワトソンは登場しないのかと思っていたのだけれど、とんだ勘違いである。観客がホームズを遠巻きに囲むような形になることが多いので、この時にワトソンたちは観客に交じって立って(あるいは座って)いて、あちらこちらで順番に声を挙げることになるのだが、確かにこの方が観客にとっては台詞が聞こえやすいし、面白い趣向であった。
 全体として面白く楽しませてもらったのではあるが、今回の公演でひとつだけ不満を挙げるとすればホームズ役の俳優がやや小太りで鹿撃ち帽とコートというよく知られたホームズの服装をしてなかったら、ホームズなのかどうかが分からなかったろうと思われるキャラの見掛けだったことだろうか。写真を見て皆さんどう思われるでしょうか(笑い)。
 最後にWalking Playという趣向。トリのマークなどで少し似た趣向の芝居が上演されたことはあるが、場所さえ見つかればミステリ劇などでは結構有効かも。向こうと比べると警察の許可が得られるかとかいろんな問題はあるとは思うが、日本でもこういうのがやられれば面白いのにと思った。
lee3-naka24-naka24-lee3@docomo.ne.jp

*1:毎年上演されている人気演目でエジンバラ演劇祭の中心であるロイヤルマイルの近くの裏路地や旧市街に忽然と現れる小さな公園、住宅の中庭的空間を観客と一緒に歩いて移動しながら上演される。今年見た「Sherlock Homes The Three Students」も同じ劇団によって上演されている同趣向の移動野外劇

*2:http://www.youngmacbeth.com/

*3:http://www.franticredhead.com/Welcome.masp

*4:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%AD%A6%E7%94%9F

*5:シャーロッキアンの間ではそれが議論になっており、それについての論考も書かれている

*6:http://www5.ocn.ne.jp/~shworld/naganuma/ball.html

*7:おそらく間違いなく一流のシャーロッキアンでもあるのだと思う