維新派「聖・家族」@栗東芸術文化会館さきら

維新派「聖・家族」@栗東芸術文化会館さきら

 「聖・家族」は1本の芝居ではなくて、過去の公演の場面の抜粋や新作パフォーマンスをバレエ・オペラでいうガラ公演風にまとめたものだ。「青空」の冒頭に近い「アパッチ」のシーンからはじまる。ここでは少年たちが大阪砲兵工廠跡地の襲撃を計画し実際に実行する様子が演じられるが、単語的な断片フレーズを群唱するヂャンギャン☆オペラのスタイルだけでなく、会話もあり、当時の作風はかなり演劇的なものであったことが窺える。後に今回の新作「呼吸機械」が続くのだが、こちらはダンスと言わざるを得ない群舞である。内橋和久の音楽に合わせて皆で足を踏み鳴らす維新派版タップダンスのような足音と動きながらパフォーマーが発する息づかい、呼吸の音を身体の動きとともにあたかも音楽のように聞かせるというもので、最近の数作品にあたって「動きのオペラ」と呼んできたものの進化形である。この二つの場面は連続して見ると対照的で、ヂャンギャン☆オペラという特異な表現スタイルのなかに豊富なバラエティーがあることに驚かされる。
 維新派は以前の祝祭色の強い野外劇から変わりつつあると書き続けてきたが、例え劇場公演としても維新派=大規模な舞台の印象が強かった。ところが、今回小劇場での維新派を見て、目から鱗。新たな発見をした。小劇場の維新派には小劇場でなければ出せない魅力があり、これは今後に向けて新展開のヒントになりうるとも思ったからである。
 野外あるいは大劇場の公演との大きな違いは群舞などの集団演技において個々のパフォーマーの顔がよく見え、それぞれの個性の違いなどがはっきりと分かることである。例えば「呼吸機械」でのパフォーマーの発する息遣いや足音などが大劇場などではマイクで音を拾ってPAを通さざるえなかったものが、直接舞台上の音が客席に聴こえるというのも大きな違いである。三百−四百席程度の劇場にこれだけ大人数のパフォーマーが出演してそれを生で見るということにも普通の演劇にはないような臨場感溢れた迫力があるし、マイクで拾ったりした場合は単なる群唱としてしか聴こえないのが、この台詞は誰がどこで発したいうことが客席にいても分かることで、舞台が今まで以上に立体的な「もの」として迫ってくる印象を受けた。
 特にそれが顕著に感じられたのは「家族の食卓」と題されたシーン。ここでは舞台上に正面奥、下手上手手前と三つのパフォーミングエリアが設定されて、そこにはそれぞれ役者が配置されている。それが交互にスポットが当たり、進行していくのだが、全体としてのマクロなイメージに加えて、それぞれのエリアで細かな芝居が展開されるというような作りになっている。これまでの維新派に比べるとすごく細かい芝居を役者に要求している。なかでも「家族の食卓2」の舞台下手のなぜだか食卓に置かれた赤いハイヒールを目の前に困ったような表情で会話を続ける二人組などはコミカルで諧謔味に溢れていて、思わず笑いをさそってしまいような感覚があるのだが、こういうのもこれまでの維新派にはあまりなかったことで、これは明らかに舞台の大きさと表現される内容による「小劇場」ならではの表現ではないかと思ったのである。