ACT16号巻頭言

 大阪在住で関西の舞踊や現代演劇について批評などに筆をふるっていた柳井愛一氏が亡くなられた。享年52歳。早すぎる死が無念でならない。関係者から直接連絡を受け、そのことを知ったのだが、先日の千日前青空ダンス倶楽部の公演では偶然隣の席で観劇することになり、ちょっとした言葉をかわしたばかりであったので今でもなにかの間違いではないかとまったく信じられない思いでいっぱいであった。こういういわば個人的な思いが巻頭言の趣旨に合うかどうかは若干躊躇はあったが、どうしても彼の早すぎる死に対して一言記しておきたいと思い、彼との思い出について書きたいと思う。

 最初に柳井氏と出会ったのは1992年。彼が編集者としてかかわっていた演劇情報誌「JAMCi」(松本工房)の編集者とその執筆者としてであった。柳井氏は一時、「JAMCi」の編集長を務めていたが編集者としては異彩を放つ存在であった。当時毎号で特集記事を連載、執筆していたのだが、その特集の主題は「なぜ演劇雑誌なのにこんな特集を」と思う異色なものが多く、なかでも特集「犬」というのは思わず仰天絶句させられた、という思い出が残っている。

 私はそこで毎号、当時住んでいた下北沢を中心に東京および関西の演劇を批評する「下北沢通信」という名前のコラムを連載させていただいていたのだが、そのほかにその雑誌には演劇以外に柳井氏の肝いりで作られたと思われるダンス&パフォーマンスのレビューを掲載するコーナーがあり、私は柳井氏、現在も舞踊評論家、プロデューサーとして活躍されている上念省三氏とともにダンス評も書き始めることになった。今考えてみればこれが演劇評に加えてダンスも批評の視野に入れるきっかけとなった。

 関西においては当時、あるいは現在もコンテンポラリーダンスについて特別に取り上げる雑誌媒体は皆無であり、私もこうしたきっかけがなかったら、その後、舞踊評に手を染めることになったかどうか分からなかった。自ら筆にとったダンス評も含めて、関西のコンテンポラリーダンスに対して柳井氏が果たした役割はけっして小さなものではない。このACTに関西ダンス時評と題して演劇だけではなく、ダンス評も毎回載せていこうと提案したのは私だったが、柳井氏が編集者として行ったことの遺志を継いで今後はより新しい書き手の発掘や育成にもっとしなければならないと柳井氏を失って改めて痛感さえられたのであった。

 AICTの会員ではなかったが、ACTにも「樹霊がラフレシアに降りてきた/『耳水』」(3号)、「ペットボトルに思い出を詰めて鴉は空を舞う−浪花グランドロマン『激情都市〜Song of Brds〜』−」(7号)、「うまくまとまり過ぎた、失策に関する物語-A級ミッシングリンク『決定的な失策に補償などありはしない』」(9号)、「座敷童子が見えてしまった時-空の駅舎『太陽風』-」(14号)と再三劇評を寄稿してくれた常連筆者でもあった。