雑誌「COMUNICATION」原稿 今、なぜ人は芝居を見に行くのか

 90年代半ばにいたって、夢の遊民社、第三舞台といった人気劇団によって主導された演劇ブームは終えんした。その後「演劇・冬の時代」と言われて久しいが、一方では再び、演劇ブームが再びとの声もちらほら聞こえる。確かにTVドラマの人気者が出演する三谷幸喜の作品やアイドルグループSMAP稲垣吾郎主演の「広島に原爆を落とす日」などチケットは発売初日で売り切れ。プラチナペーパーとなる人気演目はあり、その人気ぶりが雑誌やテレビでも取り上げられている。一方では平田オリザらに代表される「静かな演劇」の台頭など創作面での新たな息吹も報じられ、それだけを取るとあたかもブーム再来にも見えるのだが……。

  「演劇全体では観劇人口のピークは94年。この後は微減ないしはいいところ横ばいという傾向が続き、それは今も変わらないと思いますよ」とこの10年ほどチケットセゾンで演劇を担当してきた清水言一は現在の演劇の置かれた状況を説明する。本当ならブームどころか演劇の置かれた現状は極めて厳しいものと言わざるを得ない。演劇には映画やスポーツなどのように観客の推移を簡単にたどれる統計はない。小屋貸しの場合など劇場側も観客動員の状況についての正確な情報を把握できないことも多いからだ。そんな中でもっとも客観的に全体の動向を掴める立場にあるのがチケットセンターなのである。それだけに、この分析はかなり信憑性が高いといってもいいかもしれない。

 「演劇ブームといわれたころにそれを引っ張ったのが90年代初頭からの歌舞伎ブーム。四季に代表されるミュージカル、そして、若手劇団を中心にした劇団ブーム。このうち劇団ブームが最初に勢いをなくし、ミュージカル、歌舞伎もなんでも入るという状況ではなくなった」。最近の不況により厳しい状況に置かれているのが、団体動員が急落した大手商業演劇。清水によれば最近になって企画力、営業力の差が如実に現れてきているという。こうした中で、比較的健闘しているのがパルコ劇場、銀座セゾン劇場といった自ら演劇制作も手掛けている中程度の規模の劇場。冒頭に挙げた人気演目もこれらの劇場が手掛けたものに集中している。

 「内容的には80年代半ばには前衛劇的な演目を多かったが、最近はエンターテインメント路線が定着している。そういう違いはあるがほぼ観客動員では全盛期の数字を維持している」とパルコ劇場で演劇制作を担当する株式会社パルコの祖父江友秀劇場部プロデューサーも興業成績の好調ぶりを肯定する。「お客さんがなぜ劇場に来るかといえば笑いとか感動とかを求めてくる。なかでも三谷幸喜に代表されるコメディーの人気は顕著。だが、笑いだけでなく美和明宏の芝居や『ロッキー・ホラー・ショー』も人気が高い。特色がはっきりして訴えかける力の強い芝居に客が入るのではないか」と祖父江は語る。

 ただ、不況の影響は確かにあるという。「芝居はそんなに高価ではないので、多少、使えるお金が減ってもそれで、今まできていた人がこなくなるわけじゃない。しかし、それまで月3本見ていたのが1本になるということはある。その分、入る芝居とそうじゃないもの差がはっきり、二極化しているということはいえるだろう」。観客の作品に対する選別はこういう時には厳しくなる。だが、「例えば、三谷幸喜さんの『笑の大学』は満員だし、要するに企画しだい。はずれがないとの期待の持てる舞台はどういう状況でも人気は高い」と説明する。

 老舗の新劇の関係者はどう考えているだろうか。「ここ10年ほどの間に劇場が増えているので、全体としての観客は延べ人数としては増えているかもしれないが、例えば文学座の場合でも1公演でのステージ数は増えていず、むしろ減っている」いうのが文学座制作部の陰山陽太の現状認識である。プロデュース公演の数と劇団数の増加はあるが、ぴあの演劇ページの扱いにしても縮小ぎみであり、「小劇場ブームの時のようにブームにはなっていない。劇場の増加により、多少観客が増えたとしてもそれが、観客層の広がりにつながっているかは分からない」と厳しい見方を隠さない。

 一方、ワハハ本舗東京サンシャインボーイズなどが大劇場進出前に好んで公演を打ち、今でも小劇場劇団の登竜門的な役割を果たしているのが演劇の街・下北沢の下北沢駅前劇場。そのプロデューサーである星野みゆきも「80年代からやっている中堅の劇団では動員が伸び悩んでいるところがほとんどではないか」と陰山の見方を裏付ける。

「若手の劇団でも順調に動員を伸ばしている劇団は数える程度。ただ、80年代半ばの小劇場ブームと言われていたころと比較すると芝居を上演できる小スペースの数は大幅に増えており、劇団の数は確実に増えている」とし、「劇団やプロデュース公演の増加で劇場の稼働率は昔とほぼ変わらず、埋まっている状態だし、公演数が増えていることは劇場の挟み込みのチラシの数の増え具合をみても確実に断言できる」。ただ、半面、一昔前の小劇場ブームの時のように急激に観客数を増やしているところも少なく、「関係者などを中心に手売りでチケットをさばいているところがほとんど」という。

 さらに、最近の傾向としてはかつてのつかこうへいや野田秀樹のように演劇の作り手全体にインパクトを与えるような作家は出にくくなっているという。動員を伸ばしている劇団にしてもほとんどが、エンターテインメントに徹した「演劇らしくない演劇を求めているところ」(星野みゆき氏)といい、こうした傾向もこうした一部劇団の人気が必ずしも演劇界全体の活性化につながらない要因となっているかもしれない。

 ただ、演劇の作り手の方から見ればこうした状況は必ずしも逆風というだけではないようだ。「静かな演劇」と呼ばれる90年代の新たな演劇の流れを代表する劇作家である青年団平田オリザは「観客が全体として増えているかどうかは分からないが、裾野が広がって観客動員だけを竸うような風じゃなくなったのは僕なんかからすると面白い状況になっている」と語る。最近の観客の動向では「地域など横の広がりや、世代間を超えた縦の広がりが出てきている。海外の場合を見ても演劇がそんなに圧倒的にお客さんを動員するということはミュージカルを除けばないわけで、どちらかというと詩なんかと同じように芸術活動全体おうからいうとコアの部分を担う部分があるのが演劇。そういう意味からすれば表現活動の純粋な意味での演劇というのは最近、見直されてきている。学問分野の人や他のジャンルの人など一時演劇から、離れている人たちがまた戻りつつある」との感触を持っている。

 自分の芝居を見にくる観客のイメージとしては「楽しいほうがいいし、すっきりするほうがいいし、ストレスが解消されたほうがいいと思う人間が多数だと思うが、それは一過性のお客さんであって、他に楽しいものが発見されれば、いなくなってしまう。それにはあまり未来を感じない。それよりは演劇でなくてはならないという人がいるはずなので、そういうお客さんと長く付き合っていきたい。その数はそんなに多くはないかもしれないが、そういうお客さんは地道に活動していけば徐々に増えていくという感じはある」と自信もみせる。

 一方、演劇界の内部だけでなく、「最近の社会風潮全体が演劇にとっては追い風」との持論を展開するのは台詞を担当する俳優と動きを担当する俳優を分離して、二人一役というユニークな演出法で高い評価を得ているク・ナウカの宮城聰である。宮城によれば80年代の演劇などでいわれていた「癒しの演劇とは基本的にこういうことを考えているのは自分ひとりじゃないんだということを確認させることで孤独感から抜け出るという種類のものだった」という。「笑いというのがその典型であり、そうだ、そういうことを自分も面白いと思ってるんだよというようなある世代とかの共感を拾い上げることで自分は一人じゃないんだという幻想を共有することだったのではないか」と分析する。ところが、「日本もヨーロッパと同じように比較的先の見える社会になってきてしまっている。巨大なシステムの中に部品として組み込まれる中で、人間の疎外が深刻化している。多くの場合、バーチャルなメディアでは、娯楽として人間にはできないことができるというメカニズムとしての機能の拡大であり、これは逃避として自分が人間であることから離れていくことに過ぎない。これでは人間としての活力を取り戻すことはできない」という。ここから抜け出すためには「人間というのはこんなに素晴らしいのだということが、実感できるようなものでないといけない。これを実感できるのが一つはスポーツであり、一つは演劇である。もちろん、こうしたことを意識して観客は劇場に来るわけではないが、観客の無意識の欲望を満たすことも演劇に課された使命である」というわけだ。

 実際、80年代には劇団の成功のイメージとして大量動員による商業的成功というのがあったが、しだいにロングランシステムが取れない日本の興行形態では演劇自体で採算を合わせるのは難しいということもあり、演劇の盛衰を昔のように観客動員の大小で把握するのが適当かどうかという側面もでてきている。

 全体の状況を俯瞰すると劇団の数の増加にしたがって観客の裾野は広がりを持ちはじめ、観客はエンターテインメント志向の人気演目に集まるマスの観客と静かな演劇やカルトな笑い、身体表現を多用する演劇など多様化した表現をそれぞれ自分で選択するより好みの細分化されたコアな観客層の両極端に二分化する傾向がでているということもいえそうだ。

 演劇表現自体の多様性からいえばリアリズム表現主体の欧米の演劇と比較しても日本の現代演劇の表現の幅の広さは群を抜いている。加えて、最近では文学座がアトリエの会で、小劇場系の劇作家の書下し新作を連続上演するなど、従来のジャンルにはとらわれないボーダーレス化も進行しておりこれには先にあげた安易なプロデュース公演など負の側面もないではないが、着実な成果もあげている。

 観客の立場からいっても様々な選択肢の中から自由に選択できる状況はいいことである。これが全体として観客増につながればこれほど望むべき状況はないともいえる。しかし、状況が刻々と変化している中で問題点もでてきそうなのも確かなのだ。 今後、問題となりそうなのは情報のかたよりである。採算が合いにくいこともあり、演劇の専用メディアというのが数えるほどしかなく、演劇表現が多様になっているといっても新聞・雑誌などもマスメディアで演劇の情報はきわめて得にくいのが実状である。しかも、欧米とは異なりロングランシステムのない日本の現状ではどうしても後追い記事になりがちで、しかも取り上げられるのは動員の多い人気演目だが、そうしたものの多くは実はその時点ではすでにチケットを手に入れるのが難しいというジレンマがある。

 ただ、これも近い将来、状況が激変するきざしがある。その可能性を支えるのがインターネットである。現在のところ、利用できる人の数と層に片寄りがあるため、影響力は限定的ではあるが、特に一部の演劇のように不特定多数ではなく、マスから見れば特定少数の人間を相手にする情報発信にはきわめて向いたメディアであるからだ。さらにCS多チャンネル放送の普及にともなう放送コンテンツとしての2次利用でも今、シアターテレビジョンなど一部でスタートしているもののまだまだ採算は苦しいようだが、普及度が高まれば状況を一変させる可能性を秘めている。 こうしたインフラ面での状況変化はまだ始まったばかり。演劇内部での動きとからみあってどんな新たな演劇状況を作りあげた時こそ、従来とは違った形での演劇ブームが再び訪れるのかもしれない。