大竹野正典氏の早すぎる死を悼む

 くじら企画の大竹野正典氏が亡くなった。水難事故による突然の訃報に驚かされるとともにその早すぎる死になんともいえない気分になった。犬の事ム所「密会」(93年、スペースゼロ)は衝撃的な舞台であった。テアトロ・イン・キャビン戯曲賞佳作を受賞した「夜が掴む」(1989年)と並んで犬の事ム所時代の大竹野の代表作といってもいい作品であろう。私はこの作品をその年のベストアクト第1位に選んだ。スペースゼロという小さな空間で上演されたため、観劇できる幸運に恵まれたのは少人数であったが、90年代の関西演劇を代表する好舞台のひとつであった。
 「密会」は安部公房の小説「密会」を原作としている。もっとも小説の世界を素材としながらも得意とする事件ものの趣向も取り入れ東京深川の通り魔殺人事件の川俣軍司を主人公に登場させた異色作だった。上方小劇場の看板だった秋月雁が劇団退団後ひさびさに舞台復帰し鬼気せまる演技で川俣役を演じたのが鮮烈に記憶に残っている。
 それ以上に唖然とさせられたのが、象徴的な存在として安部公房の小説に登場する「馬」を、2人の俳優が演じる二人羽織で表現して場内を大爆笑の渦に巻き込んだ珍妙きわまる演出で「なぜそんなことをしないといけないのか」と考えてしまうと理解に苦しむところはなくもなかったが、そのハチャメチャな破天荒さがこの時代の犬の事ム所の魅力でもあった。
 犬の事ム所は実際に起こった犯罪事件などのシリアスな題材を芝居にしながらも先に挙げた秋月雁をはじめ戎屋海老、九谷保元ら関西を代表する奇優・怪優を揃え、彼らが舞台狭しと自由奔放に遊び回る。先に挙げた二人羽織の演出をはじめ、ハチャメチャ、破天荒なパワーを感じさせる内容で、事件ものを扱うことの類似から「笑える山崎哲」とも評され、ついに実現することはなかったけれど、私にとっては長い間、「東京の知人に一度は見せたい劇団ナンバー1であった」。
 97年には犬の事ム所を散会(解散)し、くじら企画を立ち上げた。くじら企画旗揚げ後も「サヨナフ」(ピストル連続射殺事件)、「流浪の手記」(風流夢譚事件)と引き続き昭和史に残る事件を取り上げた。本人に直接聞いて確かめたわけではないので確認はできないが、横浜放送映画専門学院時代に薫陶を受け、「楢山節考」などの撮影を手伝ったという今村昌平の影響が大きかったのではないかと以前から考えている。「流浪の手記」は深沢七郎の「風流夢譚」を題材にした事件ものでもあり、こうした事件ものの原点は今村の映画「復讐するは我にあり」ではないかと常々考えていた。だが、本人を目の前にすると聞きそこなってしまい、ついに聞きそびれたまま逝ってしまった。
 近作では「夜、ナク、鳥」(2003年)が大きな転機となった。犯罪事件に材を取りながらも作風を変化させ、新境地を開き円熟の味を見せた。以前の大竹野作品では主人公の犯人は現代社会に対し違和感を感じている人間。作者である大竹野の分身のような存在であることが多かった。だが、「夜、ナク、鳥」では事件そのものに迫り、人間の心の持つ暗闇に迫ろうという意図が強く感じられる。純粋に事件と対峙することで、犯人の心に潜む謎に迫った。川田陽子をはじめ、女優陣の魅力を前面に押し出した芝居作りに変化してきたことも大竹野の最近の作品の特徴であった。岸田戯曲賞の最終候補に挙がり惜しくも受賞を逃したが、次の年のOMS戯曲賞佳作を受賞した。
 翌年には平成事件史三部作と題し「海のホタル」が上演された。「海のホタル」で描かれたのは保険金のために母親が愛人と共謀して夫と次男を殺すというなんとも陰惨な事件である。登場人物は川田陽子演じる主婦レイコ(山口礼子)をはじめ、ほぼ現実に起こった事件の通りの実名で登場し、物語も実際の事件をなぞって展開していく。この事件を最初に新聞紙上で読んだ時に奇妙に思ったのは主婦が愛人である勤め先のバーのなじみ客と共謀して保険金を詐取するために夫を殺した、ここまではよくある話だが、なぜかその後、実の息子を殺して、事件が発覚したということにあった。いったいどんな人間が単に保険金に欲がくらんだというだけの理由で実の息子を殺すのか。愛人と共謀して、邪魔な夫を殺したというのは分かる。だが、第1の事件(夫殺し)と第2の事件(子殺し)の間には簡単には超えられない深い溝がありはしないか。
 大竹野は謎を解くカギをレイコの人間性に求めた。ファムファタル(魔性の女)とはまったく違うタイプの無作為の悪女を大竹野は山口礼子の影に見出した。この悪女には悪意がない。むしろ、けなげな女性といっていい。けれども、彼女にかかわる人間は皆自ら身をほろぼしていく。レイコは悪女のように自ら企んで悪を行うことはないが、レイコと出合った男たちは蟻地獄に捕らわれたアリのように滅びへの道を歩む。1人は殺され、1人は殺人者となる。
 ギリシア悲劇のような悲惨な結末にいたる物語だが、芝居の前半部はこの男たちの情けなくもいじましい姿がくじら企画の常連である戎屋海老、石川真士、そして今回初めて出演したイシダトウショウという情けない男を演じさせたら天下一品の役者たちによって演じられていく。この男たちのやりとりは笑えるというよりはあまりにもいじましくて笑ってしまうしかないともいえるが、こうした軽妙といってもいい語り口が後半にいたって、一変していく恐ろしさが「海のホタル」にはあった。その恐ろしさを支えているのがレイコを演じる川田陽子の迫真の演技だった。情けない男たちはいずれも以前の芝居でも登場していた大竹野の分身的人物ともいえるが、大竹野があえてこの芝居でレイコという謎を持った存在を舞台に上げたのは女優、川田陽子の存在があったからこそであろう。
 「密会」の秋月雁、「海のホタル」の川田陽子。早すぎる死はいくら惜しんでも足りないぐらいだが、素晴らしい俳優との出会いという意味では幸福な作家だったかもしれない。