クロムモリブデン「恋する剥製」

ゼロ年代の演劇ベスト10」(雑誌「シアターアーツ」アンケート)でも5位に「なかよしshow」を選んだが、クロムモリブデンは「ゼロ年代」を代表する劇団だった。関西では異端としてついにメジャーな存在にはなりきれず、活動の場を東京に移動させたが演劇的系譜がはっきりとしないこともあり、東京でもやはり彼らは孤高の存在だった。ところがそうした孤立状況が「テン年代」に入り、変わりつつある。

<孤高の存在と書いたが、実は最近、デス電所やWI'REなど明らかにクロムの作風に影響を受けたフォロワーが関西演劇界にも登場している。その作風は一言で括れば作者の妄想を具現化した「妄想劇」と考えることができる。その作劇にはデス電所ら直接のフォロワーだけでなく、五反田団の前田司郎らここ数年若手劇作家に顕著な傾向のひとつとなっている「妄想劇」ないし「幻想劇」の系譜と通底するところがあり、先駆的な事例として注目しなければならないと思う。>

 2007年春に書いた「演劇批評サイトwonderland」の「マトリォーシカ地獄」のレビューの最後をこう締めくくった。こうした現象はさらにその後、顕著になつている。竹内祐(デス電所)、前田司郎らに加え、柴幸男(ままごと)、中屋敷法仁(柿喰う客)、快快、山崎彬(悪い芝居)ら若い作家たちの登場。全体の動きを見るとそれまで演劇界において孤立していると見えたクロムモリブデンが「テン年代」において顕著な新たな動きの先取りに見えてくる。

 リアルな群像会話劇の世界から離れた遊戯性がまず後続の若い作家たちとの共通点である。実際に起こった事件など従来はシリアスな手法でしか描けないようなものデフォルメしながらいわば「寓話」化して描きだす。この「恋する剥製」でもオウム真理教を思わせるカルト宗教や「別れさせ屋」を巡る犯罪事件などいかにも現代社会ならではの病根が 取り上げられるが、それはあくまでナンセンスかつ出鱈目なタッチで描かれていく。 

「あなたには中身がないから」そう言われて女に振られた口先だけの剥製男。彼は恋愛がうまく出来ない。男はその口先を買われて「占い」の世界に。冒頭の場面は口先男が携帯電話で恋人に振られる場面から始まる。この台詞からしてなかなか意味深だ。

 「え、ちゃんとしてるじゃん。それはそっちから見たらそうかも知れないけど、俺はちゃんとしてるし、中身もあるし、別れたいの? 俺は別に そっちは別れたいの? いやだから俺は。別にって。別にの別は別れるって書くけど、そういう意味じゃなくて! え、飄々としてるところが、よかったんじゃないの? 何だよ口先だけって。いや気持ちが入ってないのは生まれつきなんだって。いや生まれつきだから仕方ないでしょって親父もこんな感じなんだって。ちょっと……」

 一見、ただの別れの会話に見えるが、一筋縄でいかないのがクロムだ。「別に」っていうのはだれもがすぐに沢尻エリカの離婚騒動のことを連想するだろう。このように最近の時事問題的な出来事を作品にすぐ取り入れて、それを戯画化して遊んでみせるのがクロムの真骨頂。だとするとこの冒頭の台詞。なんとも意味深ではないか。「それはそっちから見たらそうかも知れないけど、俺はちゃんとしてるし、中身もあるし、別れたいの? 俺は別に そっちは別れたいの? 」。いかにも最近やめたどこかの首相を連想させるではないか(笑)。そういう風に考えていくとここで顔をそろえている3人が1人が口先男、もう一人が自称「ちょっと売れてる女優」のマリエ、だとすると3人目に登場する「デタラメ占い師」というのは最近テレビから干されているらしいあの人がモデルなのかもしれない。そうなるとこちらのグループのメンバーに後から加わることになる「戯言研究家のオイタテ」「友人を刺してしまった女子高生クロエ」も単なるデタラメというわけではなくて、実在人物ないし小説かなにかの登場人物にモデルがいそうではあるけれど、残念ながらそこは判然としなかった。
 クロムモリブデンのもうひとつの特徴は大阪芸術大学の映像計画学科の出身でもある作・演出、青木秀樹の映画好きを反映してか作品の多くが、映画を下敷きにしていることだ。今回はもちろん表題からも明らかであるようにウォン・カーウァイの「恋する惑星」であろう。インチキ新興宗教と並ぶもうひとつの物語には「恋愛代行業」の男(森下亮)が登場する。そのターゲットが警官であるというのは「恋する惑星」が警察官(刑事)との恋を描いた物語だったことと無関係とはいえないだろう。 
 口先男、女優、占い師の共通点は「嘘をつく人」であるということ。これはどうやらこの「恋の剥製」という芝居全体を通底していくメインモチーフということになりそうだ。もうひとつの物語に登場する「恋愛代行業」の男(森下亮)もやはり他人に嘘をついて騙すことを職業とする「嘘をつく人」であり、この物語はいわば2組の「嘘つき」集団の抗争劇の形をとるようになるからだ。
 2つの集団をめぐる出来事は最初は相互の関係はなくそれぞれに進行していく。だが、偶然恋愛代行業の男と口先男らによるインチキ新興宗教の本部がマンションの隣室であったこと。さらにはそのため、「恋愛代行業」の事務所と誤って、教団事務所に入ってきた警察の女に「別れさせ屋」の業務の受託をしてしまい、それで恋愛代行業の男と利害がまっこうから対立することで、2つの「嘘つき」集団は「追うもの」と「追われるもの」となっていく。

 クロムモリブデンの近作では台詞劇中心のスタイルが舞台のクライマックスに向かって変容していく。この「恋の剥製」も例外ではない。「追うもの」と「追われるもの」。警察はインチキ宗教団体の教祖に祭り上げられた女子高生クロエを追いかけ、そしてインチキ宗教組織はそれを匿おうとするのだが、それらの戦いは武力ではなく「嘘をつく」ことで戦われ、しかも舞台上においてそれはダンスやマイムを多用した群像シーンによって表現される。このあたりはもはやナンセンスの極地としか言いようがないのだが、最終的には警官を撹乱するするためにはサルが逃げたという嘘をつこうということになる。しかも、それは毒を持っているサルだという。これはつまり「地下鉄毒サル」事件、つまり「地下鉄サリン事件」からの連想らしいのだが、このなんとも出鱈目な連想が作戦のうちにほぼ訳が分からない混乱のうちに舞台は幕を閉じるのである。