ポストゼロ年代演劇と東日本大震災

ポストゼロ年代演劇と東日本大震災
 国際演劇評論家協会日本センター(AICT)の関西支部の演劇批評誌「ACT」のリニューアル新創刊にあたり、今回以降劇評以外に毎回誰かを取り上げてインタビューないし座談会を掲載し、それを特集の主題とからめていこうと考えて、これがその第1回目です。今回は「ポストゼロ年代演劇と東日本大震災」を総合テーマに関西で今もっとも旬だと私が考えている3人の若手アーティスト(きたまり、杉原邦生、山崎彬)に集まってもらうことにしました。
 中西 まずこの3人の関係だけど、杉原さんときたまりさんはどちらも京都造形芸術大学でしたよね。お互いのことはいつから知ってました?
 杉原邦生(以下杉原) 年は同じなのだけれど僕の方が1期上になるのですが、きたまりのことは入学した時から知ってました。
 中西 それって、入学した時から有名人だったってこと?
 杉原 そうじゃなくて、入学式の時に紹介されて、新歓公演やるから来てくださいって……。
 きたまり(以下きた) そうそう。だけど結局その公演は行かなかったんだよね。
 杉原 僕は大学に入った時は(その前には)なにもやっていなかったから、別にきたまりがその前に何やっていたかとかまったく知らないし、新入生として知ってただけだった。
 中西 お互いの舞台を見たことは?
 きた 私、相当見てないんだよね。
 杉原 俺はたぶん一番最初にやった「女の子と男の子」から見ていると思う。
 きた 私何から見たんだったったかなあ。春秋座は見た。
 杉原 あれ、俺たぶん初演出だよ。
 中西 山崎さんときたまりはこの京都芸術センターできたまりが企画したトークセッションが最初だったんですよね。
 山崎彬(以下山崎) その時点では見てはなかったけれど名前は知っていました。KIKIKIKIKIのことも。ウェブのインタビューとかも読んでいたし。会うとよくしゃべる楽しい人だなと思いました。
 中西 でもその後は劇団の公演に客演してもらったり、ひとり芝居の演出をしたり、この前は逆に山崎さんがきたまりの舞台に出演したりと深い関係でしたよね。
 山崎 深い関係ね(笑い)。ずっと一緒だった1年間がやっと終りましたね。
 きた もうしばらく会うことはありませんねという感じですが。
 山崎 僕も(きたまりの)作品は見て「ないのですが、基本的には表現がどうのというよりは話していて面白い人とやりたいと思っているたちなので、話しましょうよという打ち合わせの時に僕もきたまりさんを呼ぼうと考えていたんですよという話をしたんです。
 中西 それで2回ほど演出したんですよね。
 山崎 僕の悪い芝居の公演とKIKIKIKIKIKIの委託公演(ごまのはえ作)の2度。
 中西 演出して見てどうでしたか? 本人の前ですが(笑い)
 山崎 いや、素敵な人でした(一同笑い)。
 杉原 本当に? 
 きた 結構いいよ、私使うと結構いいよ。
 杉原 従順なの?
 きた 従順かどうかは分からないけれど。
 山崎 従順じゃあないなあ。外部の人を呼んだという感覚でもないし、ダンスの人を呼んだという感覚でもないですが、でも面白いですね、基本的には普通の役者さんよりも自分でカンパニーを持っている人と一緒にやるというのは。楽しかったです。
 中西 きたまりと杉原さんは木ノ下歌舞伎で競作してますよね。
 杉原(きた) そうだ。(そうです)
 中西 その時は杉原さんが美術でしたっけ?
 杉原 そうです。
 きた   
 中西 3月11日に東日本大震災が起こって、それでポストゼロ年代を中心とした若い人たちの演劇がどのように変わるのか、あるいは変わらないのかが今もっとも興味があるところなのです。作品のあり方とかにどういう形にせよ影響が出ざるをえないと思うのです。例えば阪神大震災の時はちょうどその年(1995年)に鴻上尚史平田オリザ岸田戯曲賞を同時受賞しているのですが、鴻上に代表されるそれまで主流だったバブル期のポストモダン的なものが急速に後退していき、演劇において平田オリザに代表される現代口語演劇が台頭してくる。その大きなきっかけが震災とオウム事件だったように思うのです。
 山崎 関西にいましたからテレビとかでしか分からないし、あれ以降東京へも行ってないので、話とかを東京の演劇の友人から聞いたぐらいしか正直分からないですし、作品を書き始めたのも震災の後からでしたが、関西にいたので大きな影響があったかというとそれに対してはあまりなかった。でも確かにあの直後は気分は落ち込みましたが、関西にいたから公演やってどうなのかという声もとどかなかった。まだ、自分としてはようやく今じわじわと実感してきたぐらいなんです。     
 中西 きたまりさんはこの間公演を行ったけどどうでしたか?
 きた 本当に難しいんですよ。地震の日以降、地震があった時に私たちが一番最初に思い出すのは阪神大震災の時のことなんです。地震あった直後、私やたら人と阪神の話を人としゃべったんですよ。やはり、ああいう光景あったから。そして、そこからどうにかして今回の地震とつながりをつけようとしたんですよね。ただ、やはり当事者じゃないとこの問題は絶対に分からないから、揺れを体験してるかしてないかで全然違うし、それは体感だから揺れただけであのことを思い出すんです。そういう体験をしてるかしてないかで全然違うし、身内が亡くなっているか、いないか。知ってる人に被災者がいたかどうかで全然違う。私は今回の地震はそういう意味ではなにもいえないと思っているんです。本当になにもなかったですから。
 ただ、私はちょっと暗い作品は作れないなと今回思った。この前ダンスボックスでチャリティーとかもあったけれどあそこもなにをしようかとすごい悩んだんですよ。7分の中でチャリティーで収益全部を被災地に持っていくのでなにかしてくださいと言われた時になにをしたらいいのかを。    
 その時に暗いことだけはできないなと思った。それで今回もすごくそれはあったかもしれないです。次の作品もまず暗いことはできないですよね。なにかこうどうせみな死ぬんだけど、なにをしていても、それでも生きているということをちゃんと確かめるようなことをしたい。それしかできないなって、舞台を作るうえで。だから無理やり私が今回の地震について発言しようとしたらいけないと思う。重みが違うもん。でも、杉本君は実際に揺れがあったじゃない……。
 杉本 そう、シャワーを浴びてた。神奈川県の実家にいて、本当はその日、僕はたまたま仕事で名古屋に行く予定だったんですけど、行けなくなっちゃって、海から500mしか実家が離れていないから、避難したりもして。その後、仕事だから次の日に名古屋に行ってすぐに京都に帰ってきてしまったから、計画停電がはじまったとか、原発がやばいとかっていうときは実際にはあっちにはいなくて、3月末ぐらいに実家に帰る予定があったものだから帰ったんですが、帰るまで不安でしょうがなかったわけです。どうなってるんだろうか、全然実感がないから。帰って逆に友達に会ったり、家族に会ったりして安心して、そこでやっと俺は落ち着いたような感じがあった。僕の身内とかには亡くなった人はいなかったですけど、皆あっちだからいろんなコンビニものねえとか、停電がどうとかいろいろあって、で、京都に帰った時にあ、なんもねえ、そういう感じがあった。それが別に悪いということじゃなくて、でも僕もやっぱり阪神大震災が起こった時にやはり遠くの出来事だったし、海外の大きな地震やあるいは9・11が起こった時に遠い出来事に感じる。
 それによってなにかを感じてはいるけど、遠くで起こっている出来事でしかない。それはそれで全然いいというかそれがむしろまっとうというか、素直な意見だと思うからそれでいいと思う。でも、僕はどっちも行ってるから、そういうなかで3月の末に帰った時に舞台を見に行ったんですけど、その時もみんなこの公演をなぜやるかということをたまたまNODAMAPを見に行ったから、野田秀樹さんがカーテンコールでしゃべったり、オリザさんの公演ではオリザさんが前説をしたり、1枚の紙で説明が入っていたりということが実際にあって、それをやっていない劇団は逆に見てると怖いなというのがあって、やってくれるとどういうつもりでやっているのかが、こっちに伝わってなんとなく安心できるというのがあった。だから、そういう状況を体験したなかで自分はなにをやれるかというのは僕はその時たまたま公演がなかったんだけれど、何をやるかを考えた時にそれを自分でどう出すかを考えて作品を作っても仕方ないので、そういう中で自分がやりたいことをどうやってやっていくかを考えた時にシンプルに考えてやりしかないなと思っていて、さっき暗い作品作れないと言っていたけど、僕はなにかさっきの話じゃないけれど、演劇界全体がどういう方向に進んでいくのかは分からないし、どうでもいいんですけど、僕はそこにいままでやってきたことも含めて祝祭性のようなものに回帰していくんじゃないかと自分で個人的には思っています。