平田オリザインタビュー・国際演劇フェスティバルと拠点劇場

 リニューアル後、第2弾となる「act」21号では「京都国際舞台芸術祭(KYOTO EXPERIMENT)」などの国際演劇フェスティバルを中心に劇評をとりあげ特集とします。恒例となった巻頭インタビューでは平田オリザ氏を迎え、日本で最近盛況になりつつある都市型の国際演劇フェスティバルと劇場法などで想定している拠点劇場の関係について、フランスなどでの状況などを踏まえて語ってもらいました。
 中西理(以下中西) 平田さんは今回KYOTO EXPERIMENTにアンドロイド演劇「さようなら」で参加なさったわけですが、これまでもフェスティバル/トーキョー(F/T)のような総合舞台芸術フェスティバルや昨年のあいちトリエンナーレのような総合芸術フェスティバルにも参加なさっています。さらには国内だけではなくフランスを中心に海外でも豊富な国際フェスティバルへの参加の経験があります。内外の事情に詳しい平田さんに今の日本の国際フェスティバルの状況をどのように見ていらっしゃるか、フランスなどの場合、拠点劇場と国際フェスティバルは異なる役割を担っているということを以前おっしゃられたことがあると記憶してます。このあたりのことをまずお聞きしたいのですが。
 平田オリザ(以下平田) ヨーロッパの特に大陸の方の場合ですが、国際フェスティバルという大きな円盤と公共ホールという大きな円盤が回っていて、これは垂直方向にも多少は重なってはいるけれど、前者は国際マーケットで後者は国内マーケットなのでそれはそれぞれに違います。国際マーケットは年々見本市的な性格が強くなっていて、いいフェスティバルほど若いプロデューサーとか芸術家とかが集まってきて新しいものを買い取っていくという機能があります。典型例はチェルフィッチュの岡田(利規)さんがベルギーのクンステン・フェスティバル・デザール*1で大成功して、以後何年にもわたって欧州市場でフェスティバルをまわるということが起こっている。
 平田 フェスティバルには非常に大きなヒエラルキーがあって、トップレベルのエジンバラアビニョンからクンステンのようなより小規模だが特色を持たせたもの、そして地方の夏に行われるさまざまな大きさのフェスティバルがあります。1回作品がヒットすると日本の場合には3〜5カ所あればツアーが組めますから、例えば100のフェスティバルがあるとすれば原理的には20年はツアーを続けられる、そういう大きなマーケットがあるわけです。
 平田 一方で国内市場はフランスならフランス、ドイツならドイツで強固な劇場システムを持っています。フランスの場合、国立演劇センターがそれぞれ作品を作って、それをお互いが買い支えていくという仕組みです。その場合にアビニョンなどでも発表する、それは海外なども意識した作品が多いわけですが、国内市場の見本市的な役割も果たしていて、7月には劇場のプロデューサーや芸術監督はバカンスに入ってますから、そういうところに来て1〜2週間滞在して、翌シーズンか翌々シーズンのラインナップを買い取っていくという風になっています。ですからフェスティバルと拠点劇場には多少の接点はあるわけです。
 中西 それではアビニョンエジンバラが夏のシーズンにあるのはそういう事情があるからでしょうか?
 平田 もちろんそうです。そして、見本市機能が増しているなかでクンステンがいま力を持っているのは芸術監督が非常に目利きで、世界中を回って最先端のしかもフェスティバルが呼びやすいものをうまく選んで上演しているというのがあるわけですね。例えば少人数であったりとか、セットが少ないとか、祝祭性が強いとかいうようなこともあります。だから、青年団はあまりフェスティバルには向いていなくて、公共ホール向きなんですよ。フェスティバルは1日に何本も見ますから刺激の強いものとかの方が喜ばれる傾向がある。アビニョンとかエジンバラというのはご承知の通りフリンジ機能というのが非常に大きくて、アビニョンはたぶん年に20〜30の正式招聘作品に対して、約1000のフリンジの作品があって、このフリンジも段々と評判が出てくるとお客さんも集まるし、劇評もでるし、劇評を表に貼ってとかチラシ配ってとかすごい涙ぐましい努力をして人を集める。それで本当に1000あるうちの30とか50とかがどこかに買い取られていく。そのうち本当に買い取られていくのは1ケタかもしれません。
だから、アビニョンドリームとかエジンバラドリームというのは今は本当に少なくなっていて、それよりはいったん選抜を経たクンステンのようなものの方がチャンスがつかみやすくなっている。アビニョンとかエジンバラとかは本当にお祭りだから、プロデューサーも来るけどなに見ていいか分からないから雲をつかむような話なので大変ですよね。だから本当に見本市機能をさらに強化したようなものの方に流れていっているかなというイメージはあります。
 中西 海外のフェスティバルと比べて、日本のフェスティバル/トーキョー(F/T)やKYOTO EXPERIMENTはどうでしょうか? 後、日本の場合にはもう少し規模は小さいですが鳥の演劇祭とか静岡ののように拠点劇場が主催して開催している国際演劇祭もありますが、これはどうでしょうか。
 平田 もともとさかのぼればもちろん国際フェスティバルの最初は利賀フェスティバルで、国際フェスティバルにはもうひとつ大きな役割として海外の文化に触れるという本質的なものがあると思うんですね。利賀のフェスティバルには海外の最先端のものに日本の演劇人が恒常的に触れられるようになったという大きな意味があったわけですが、時代とともに国際フェスティバルの役割も変わってきた。そろそろ日本でも見本市的な役割のフェスティバルが求められていたところにFTができて、それまでの蓄積もあったわけですが、やはりF/Tになってから、圧倒的に海外からのプロデューサーや芸術監督の来日が増えたことはもう間違いがないです。いくら韓国が文化予算を使っても日本の方がまだまだ表現の多様性があるので、(海外市場への)吸引力がある。F/Tができたことは非常に喜ばしいことで、それに鳥の演劇祭とか静岡が異文化の紹介という最先端のものを紹介する機能を補完して果たしているということが今の状況でしょう。
 中西 それではF/TとSPACの演劇祭では機能が違うということですか?
 平田 SPACは立地条件もあって、毎週末にしか上演できないので見本市的な機能は持たせにくいですね。ただ、静岡がないと本当に最先端のものに触れる機会がF/Tだけになってしまう。昔と違ってあまり世田谷パブリックシアターとかが呼ばなくなってしまったのでそれはそれで大事な役割があると思います。
 中西 そのなかでKYOTO EXPERIMENTの位置づけはどのように考えたらいいのでしょうか?
 平田 そこは多少なりとも立ち上がりの時からアドバイザー的な立場でかかわってきたので、僕がずっと言ってきたのは最初のうちはいいけれども、京都という土地柄からいって、フリンジ的ものを伸ばしていくのがいいじゃないかということです。フリンジ機能はFTもやっていますが、弱いんですよね。東京はだだっ広いから。フリンジというのはエジンバラとかアビニョンみたいに城郭都市で、城郭の中で歩いて全部行けるところでそこかしこにあるというのが、フリンジのいいところなんで、京都はぎりぎりそれができる街なのです。それから京都のブランドイメージがあるから、フェスティバル/トーキョーに来るプロデューサーも、芸術監督も2〜3日京都に足を延ばすかということになって嫌だという人はいないわけで、だとすればFTとのすみ分けを図る意味でもフリンジ機能を強化した方がいいんじゃないかと思うわけです。それは徐々に出てきてるとは思うのですが。もちろん、フリンジ機能というのはフリンジだけではできなくて、集客力のある目玉の作品とフリンジという関係性ですから、フリンジの方は玉石混交でいいと思っているのだけれど、まだそこら辺の割り切りが弱いというか、もっとメチャクチャにした方がいいと思います。つまり、クンステン型の目利きが選んでくるフェスティバルを目指すのか、フリンジ型で徹底させるのかをもう少しはっきりさせた方がいい。それで僕はある種のクオリティーを保証するというのは今の体制ではちょっと厳しいのではないかなと思っている。お金もないといけないですしね。
 中西 そうですね。フェスティバル/トーキョーがどういう体制でやっているのかは分からないのですが、「KYOTO EXPERIMENT」は2人のプロデューサー(橋本裕介、丸井重樹)がすべてを手づくりでやっているような感じもあります。おそらく、もう少し体制というか、その下にグループとしてのフェスティバル運営ができるスタッフがいないとしんどいかもしれませんね。
 平田 フリンジを増やして自己増殖型にした方がたぶんいいと思うんですけどね。
 中西 最初はあの体制で毎年やるとは思っていなかったのでちょっとびっくりしました。
 平田 でもよくやっているし、今年からは文化庁の比較的大きな予算もとってこられたわけですから、滑り出しとしては上々じゃないかと思います。それはいろいろ言う人はいると思うんですが、そんなすぐにできるものではないんです。アビニョンだって何十年という伝統があってあそこまでになってきたわけですから。
 中西 日本だけの特殊な形態なのかもしれませんが、そのほかに平田さんも参加したあいちトリエンナーレのようにアート系の大きなフェスティバルの一部に舞台芸術が含まれているという場合もありますよね。単発ではありますが、瀬戸内国際芸術祭が維新派を招聘している例もあります。特にあいちトリエンナーレはパフォーミングアーツの部門だけでも質量ともに国内の舞台芸術フェスティバルと比較してもひけをとらないどころか、それを上回るような質量があり、1回目だったということもあり、今後どのようなことになるのかはまだまだ予断を許さないところもあるのですが。
 平田 あいちトリエンナーレは本当にああいう形でやっていただいてよかったなと思っています。今後もああいうことは増えていくだろうと思いますし、それもまた大きなマーケットになっていくことは間違いないでしょう。
 中西 いままでの話に出たフェスティバルでF/TやKYOTO EXPERIMENTなどは独立した実行組織があるわけですが、鳥の劇場やSPAC、そしてあいちトリエンナーレで主体となった愛知県芸術文化センターのように拠点劇場として想定されているような劇場が演劇フェスティバルを主催している例も多いようですが、日本における機能の分化などについて平田さんはどのようにお考えなのでしょうか?
 平田 ヨーロッパのフェスティバルの場合は小さい町でやるものの方が多いのです。特に夏のバカンスシーズンなどにそれをひとつの目玉にして町中のいろんな空間を劇場にするということで、例えば今年私たちが行ったイタリアのサンタルカンチェフェスティバルなんとのは劇場がないんですよ。小劇場が1個あるんですが、本人たちも劇場はないと言って納屋みたいなところだとか、「ヤルタ会談」は市議会の議事堂でやったという風にいろんなところ、ありとあらゆるところを劇場にしていく。その面白さはやはりあるんです。まあ、後やはり向こうの夏は雨がそんなには降らないので、野外もできるというのもあります。だから、日本では今までは大きな都市でやっていたので、もっと小さな町がやるのがまずひとつの選択肢だと思います。一番そのイメージに近いのは沖縄市のキジムナーフェスティバルだと思いますが。中核にある劇場はもちろんあってもいいのですが、鳥の演劇祭がだんだんそれに近づいてきてますね。この間「ヤルタ会談」は鳥の演劇祭でも旧鹿野町の町議会の議事堂でやった。そういういろんなスペースを使ってやっていくというのが一般的になっていくと面白くなっていくのではないかと思います。京都もその可能性が十分にある。いろんなスペースがありますから。京都は大都市なんだけれどそれができるちょっと稀有な都市ではないかと思います。周囲を囲まれているし城郭都市に近いでしょ。
 中西 日本の都市では京都がエジンバラと一番似ている感じがします。私が海外の演劇祭を見てきた印象ではたぶん、あのくらいの規模の町が大きさの限界だと思います。
 平田 そうです。限界です。
 中西 東京とかニューヨークとかだったら埋もれてしまってやってる感じがしないのじゃないかと思います。東京国際映画祭などを見ていていつもそう思っていました。
 平田 だから東京の場合は(F/Tは)これまでそういうものがなかったから機能としてはいいのですが、今後ほかの競合するものがでてくると考えなきゃいけないってことになるでしょうね。今は非常に役割をはたしてくれているので有難いのですが。
 中西 一時、演劇祭というのはそういう形式ではないものがバブル時代というか80年代にたくさんあったのが、急速になくなってしまいましたよね。そういうものと今やられているF/TやKYOTO EXPERIMENTでは集客性というか、作品の前衛性などで違いがあると思われますが。
 平田 そこら辺は本当にこれからの課題でもあって、メインの集客性が見込めるものとフリンジとのバランスを継続性を考えると取っていかなくてはならなくて、それはまあ試行錯誤ですごく前衛によってしまう時と大衆性によってしまう時といろいろあって段々とフェスティバルの色というのは固まってくるのです。だから1〜2回開催のであれこれ言わなくてもいいんじゃないかと思っている。ただ、言わないと揺り戻しもないから、言うのは大事なんですが。それでだめっていうことにはならないと思います。
 中西 拠点劇場の方はどういう役割を果たすことになるのでしょうか。
 平田 国がお金を出して演劇作品を作るということを新国立劇場だけにまかせるというのは明らかにゆがんでいるし、非効率なので「創る劇場」というのを10とか20とか30とかきちんと決めて、そこにはちゃんと競争もあって、JリーグのJ1、J2みたいな感じで、そこはきちんと作品を国の責務として作る。それと「見る劇場」、これは地域拠点で別に作らないということではないのだけれど、基本的には買い取りながら回していくというところに機能を分化させていくべきだと僕は考えています。
 平田 たくさんの劇場があって全部が全部作品を作れるわけじゃないじゃないですか。だとすればそれはやっぱり、空港行政や港湾行政と同じで、選択と集中がどうしても必要であると思います。
 中西 そういう中で関西では拠点劇場という役割を今担えるような劇場が兵庫県立芸術文化センター以外は大阪も京都も現状では見当たらないということがあって、その中でひとつ平田さんも準備段階でかかわっていらっしゃる「ナレッジシアター」、あれも当初計画よりはちょっと遅れているようなこともお聞きしているのですが、現状と見通しについて少しお聞きしたいのですが。
 平田 先ほども会議があったばかりなんで、本当に今どうなるかの瀬戸際ぐらいなので、今、話したことと結果として違う可能性があるので、まったく分からないのです。ただ、大阪市内にそういうものがないというのは今確か重点拠点は11カ所全国にあると思うのですが、大阪市内にないというのは特に演劇において、兵庫はどちらかというとオペラ、びわ湖ホールもそうですから、明らかにバランスを欠いている。民間がやるのか、行政がやるのかということは別にしてそれはやはり将来的には必要ですよね。
 大阪大学としては1回総長が替わって、停滞しちゃったんですが、昨日、きょうあたりの話し合いでまあ大丈夫だろうということになったのですが、もう1回上の方で話し合いはしていて、後、1、2週間で結果が出る。いずれにせよ今は私の手を離れてしまっていてそちらの方での結果がでるのを待っているところです。
 中西 京都はどうなんでしょうか?
 平田 京都も市の芸術会館について検討が進んでるようです。
 中西 京都会館のことでしょうか? 建て替えは小劇場などと関係があることなんですか。
 平田 多少関係はあるんじゃないでしょうか。いまいろいろやっているということを聞いています。あそこも貸館需要もあるので、いろいろ難しいみたいなのですが。
 平田 まあやっぱり芸術監督のいる創造拠点は欲しいですよね。基本的に劇場法というのはそんなに難しいことを言っているわけではなくて、劇場というのはただ鑑賞の場ではなくって、創造の場ですよ、ということ。創造の場である以上は専門家が必要ですよ、ということだけなんです。それを法律で根拠づけるということだけなんです。階層化みたいなことは法律にはなじまないんで、実際には現実の助成金の出方もそうなっているので、それを裏付けるような概念的な法律を作るということです。
 中西 フェスティバル/トーキョーやKYOTO EXPERIMENTに出ている助成金というのはどういう類のものなのでしょうか?
 平田 それは国際フェスティバルに対する助成です。それは昔に比べて潤沢に出るようになっています。
 中西 それでは劇場法と関係なくそういう助成金などは続いていくということなんですね。
 平田 もちろんです。それももう少し分業と競争と淘汰が進むと思います。つまり、今はアーツカウンシルがないから分業は個別の申請段階で、自分たちで考えなくてはいけない。だから国の政策というのはあまり出ないのですね。本来だったらアーツカウンシルで主導して、あなたはこういうのをやっていただくといいのですけどねというようなことがもうちょっと言えるといい。それでもちろん拒否してもいいわけです。やるのは自治体だから。今はバラバラで逆に言うと市場にまかせすぎじゃないかと思っています。
 中西 平田さん、あるいは青年団とフェスティバル、拠点劇場との関係なのですが、今海外ではフェスティバルにはロボット演劇あるいはアンドロイド演劇で参加していることが多いですよね。
 平田 だから先ほど申し上げたようにうちはあまりフェスティバルに向いていないんですね。例えば去年「東京ノート」でシビウの演劇祭に行ったのだけれど、うちはやはり待遇がいいので夜10時からとかの開演だったんです。8時からとか10時からとかは待遇がいいメーンです。お客さんは朝からずっと見ていて最後に疲れきって見るから、あんまり向いてないんです。だから、そういうものよりはアンドロイドのような客寄せ的なものの方が好まれて、おそらくこれからはフェスティバルに呼ばれるのはそういうものの方が増えていくと思います。今年もイタリア・ナポリ演劇祭とサンタクアンドレ演劇祭に行ったんですが、それは「東京ノート」と「ヤルタ会談」をセットで持って行ったんです。そしてジュネーブのバティックという演劇祭も「ヤルタ会談」とセットで持っていった。「ヤルタ会談」を見て「東京ノート」を見るといいんですよ。「ヤルタ会談」で少し慣れておいて見るとすごく評判がよくて、だからそういう風にやはり工夫しないと、うちみたいにある程度ブランドイメージが確立してきている劇団でさえも、フェスティバルに行くとなるとなかなかうまくいかない。今度「ソウル市民」5部作を持っていってできれば2年後にアビニョンでやりたいと思っているのですが、そういう一挙上演みたいでなのは1日中ずっと見ているからいいわけなんです。
中西 平田さんに聞くことではないのかもしれませんが、アビニョンフェスティバルは何年か前の日本特集が評判がよくなくて、それ以来日本の劇団がやりにくくなっているというのは難しくなっているという風に聞いたことがあるのですが。
平田 それはそうではないです。評判が悪かった、あまり成功しなかったのは確かですけれど、日本の劇団がやりにくいというのは文法的におかしいですね。だってフリンジは全部開かれているわけですから。
中西 すいません、呼ばれにくいという意味でした。
平田 呼ばれにくいというのはアビニョン自体がフランス語上演が多くてそんなに海外の作品を呼ばない傾向になっているからじゃないでしょうか。そうは言っても2006年ではフレデリック・フィスバックがやった「ソウル市民」は正式招待でした。それでル・モンドの1面に出ましたから、だから、決してそういうことはないです。まあ、フラットだから。いいものはいいし、だめなものはだめ。毎年ディレクターも変わりますし。ただ、(日本特集の失敗で)日本に対する幻想はなくなったということはあります。アビニョンは本当にもうはっきりしていて、正式招待とフリンジとでは全然待遇が違う。「ソウル市民」なんて打ち上げはプールのあるレストランで泳ぎながらシャンパンを飲んでいて、一方でフリンジ参加の劇団はざこ寝ですから、中核に入らないとはっきり言って意味がない。それよりは若手の人たちに言っているのはもうアビニョンでフリンジに行く時代ではない。それよりはF/Tに行ってちゃんとした作品を作ればそこにクンステンのフェスティバルディレクターは毎年来るわけだから、そこで認められる方が全然効率はいいんだよと言ってます。やっとそういう時代になったということですね。だから逆に言うとアビニョンに台湾とか韓国の劇団がいますごくたくさん来ていますが、それはアビニョンにフリンジで参加することがまだステータスになる国だからですよ。(日本では)今はもう構造は分かってしまっているでしょ。だれでも行けるんだということが皆知っちゃっているから、アビニョンから帰ってきましたといっても、スタンディングオベーションで大変だったといっても「へえ、そう」という感じ。それがニュースになったのは日本では20年以上も前のこと。
中西 海外のフェスティバルに行っても次につながらないと仕方ないですからね。
平田 そうです。そして、そういう意味でもつながりやすいクンステンに行く方が確率が高くて、クンステンに行くには日本でやっていてもチャンスはある。そのチャンスをもらえるようになったのはF/Tのおかげだということです。
中西 以前だったら海外公演は日本である程度実績を積んだ劇団が万全の準備をして行っていたのに対し、最近は旗揚げしてまもないような若手劇団が次々と出かけていって、それもただ行くというだけじゃなくて、ちゃんとマーケットに乗っているようなことが増えているような気がするのですが。
平田  それは本当にいいことだと思います。それはある程度ノウハウが確立して、才能のある人が才能をちゃんと伸ばせるようになったというのはいいことで、後はアーツカウンシルができればと思います。国の助成金だけで何度も行っているような劇団は淘汰されるべきだと思います。だけど今の現状は書類を書くのがうまいところが、行っているところがあるから、本当に行かせたいところを行かせるようにしないと思う。セゾン文化財団はクンステンと組んでそれをやっているでしょ。本来あれはアーツカウンシルがやるべきことなわけです。推薦枠みたいなのをもらってどんどん向こうのフェスティバルで今回これどうですかみたいな感じでやるわけです。
中西 向こうの状況ははっきり分からないのですが、クンステンのようなフェスティバルとアビニョンとかエジンバラというのはまたリーグが違うのでしょうか。規模の大きなバジェットの大きなところと小規模なところの間には回る作品の方向性の違いのようなものも感じるのですが。
平田 巨大フェスティバルとそれの次のウィーンとクンステンでは違いがあります。クンステンというのはちょっと隙間産業のようにぐっと出てきたものなんです。そんなに規模を大きなしないで目利きが50集めてきますみたいな新しいタイプですよね。シーズンも全然夏じゃない時期にやるという。また、ブリュッセルという大きな都市で交通の便がよくて、ヨーロッパ中から集まりやすいということもあります。だから、それはそれで新しいマーケットを作ったということはあります。
中西 そして、そこからネットワークが出来てきたことで、プレゼンスが増してきているというのはあるわけですね。
平田 そうです。
中西 ただ、逆に言うとそこからメジャーリーグというべきなのかどうか分からないのですが、アビニョンエジンバラの正式招聘にステップアップして行こうと考えた時にそこには大きな壁があるとも聞いているのですが。
平田 それは少なくともアビニョンの場合はフェスティバルと公共ホールの関係があって、本来だったらこのフェスティバルから公共ホールの方に行ってそこで作った作品とかがアビニョンだから、それは岡田君も、じっくりそこの点について話したことはないのだけれど、オファーがないわけではないだろうけれど、迷っている部分もあるんじゃないかなと思います。要するにまだ彼はフランス語で作るということに多少の躊躇があるという話は聞いたことがあります。
中西 「水と油」がエジンバラとかアビニョンのフリンジをきっかけにいくつもオファーを受けて、ヨーロッパのツアーを始めてけっこういろんなところに呼ばれていた時期があったのだけれど、それだけでは限界を感じたというのを聞いたことがあります。何のために行くのかということもあると思うのですが。
平田 フェスティバルで回っている分にはそれはそれである程度商売になるんですが、やはり限界があるのと、そのうち飽きられる。僕は逆にフランスの公共ホールのマーケットの方に運よく入ったので、毎年クリエーションの依頼が来て、今も向こうで毎年作品は作っているわけです。それはもう非常に特殊な存在であって、運がいいとそれがアビニョンに行ったり、パリのフェスティバル・ドートンヌというのに参加したりするわけですが、そうすると巨額のお金が入ってくる。
中西 来年(2012年)は平田さんの予定はフェスティバル関係ではどうなっていますか。
平田 来年はフェスティバル・ドートンヌというパリの秋の芸術週間のようなところで、これに出ると予算も潤沢にもらえるので、これに出るかどうかを今交渉中です。これはロボット演劇の新作「三人姉妹」を考えています。それから、先ほども言った再来年のアビニョンでの「ソウル市民」5部作一挙上演というのも現在交渉中です。要するに1、2年前からいろいろ大雑把に話をしておいたのが急にぐっと決まっていくものなのです。
中西 アビニョンはもし上演するとしたら日本語上演で字幕をつけるということになりますか?
平田 日本語上演です。
平田 きょう話したことを最後にまとめるとするとやっと日本の若手の演出家が戦略を持って国際展開ができるような時代がやってきたということで、それはとてもいいことだと思います。
(2011年11月24日、大阪大学平田研究室にて収録)