セミネール特別編Web版「ももいろクローバーZ(ももクロ)とポストゼロ年代演劇」in東心斎橋

コーディネーター・中西理(演劇舞踊評論)

 東心斎橋のBAR&ギャラリーを会場に作品・作家への独断も交えたレクチャー(解説)とミニシアター級の大画面のDVD映像で演劇とダンスを楽しんでもらおうというレクチャー&映像上映会セミネール。これまでは個別の作家について取り上げて紹介してきましたが今回は特別編として少し趣向を変えて、AKB48の次に来るアイドルとして西武ドーム公演も決定するなど今注目のももいろクローバーZポストゼロ年代演劇の関係についてさまざまな角度から分析をしていくことで、ポストゼロ年代演劇の持つ特質について考えていきたいと思います。
【日時】2012年5月25日(金)7時半〜 【場所】大阪・東心斎橋〔FINNEGANS WAKE〕1+1 にて開催


 今回はなんと今もっとも旬といってもいいアイドル「ももいろクローバーZ」 とポストゼロ年代演劇・ダンスの関係を考えていきたいと思います。といっても、いきなり羊頭狗肉といわれかねないのですが、この両者に直接的な影響関係はおそらくほぼありません。そんなこと言い始めたらそれこそ話が終わってしまいかねないわけですが、最近興味深いと思っているのは実は直接の影響関係はないはずなのにももクロとポストゼロ年代演劇にはいくつかの共通項が散見されて、いわば補助線としてももいろクローバーZを持ち込むことで、これまでも取り上げてきた若手作家たちの作品に新たな光を当てることができないかと考えたからです。
ももいろクローバー

 日本の現代演劇において1990年代半ば以降は平田オリザら現代口語の群像会話劇中心の流れが主流を占めてきました。それが大きく転換したのは2000年代(ゼロ年代)後半に、群像会話劇の形式からはみ出した若手劇作家・演出家の相次ぐ登場にしたことによってでした。ここではひとまずそれを「ポストゼロ年代演劇」と呼ぶことにしたいのですが、その重要度は2010年以降の2年間でままごと(柴幸男)、東京デスロック(多田淳之介)、快快(篠田千明)、柿喰う客(中屋敷法仁)、悪い芝居(山崎彬)に加え、バナナ学園純情乙女組(現革命アイドル暴動ちゃん、二階堂瞳子)、ロロ(三浦直之)らより若い世代の台頭でますます顕著となっています。今年初めの岸田國士戯曲賞ニブロール矢内原美邦、マームとジプシーの藤田貴大が同時受賞したのもこうした動きを反映したものといえそうです。これは3・11以降も一層拡大する兆しをみせています。
 それではポストゼロ年代演劇はどのような特徴を持っているのでしょうか。もちらん、いずれも同じような作風というわけではなく、そのスタイルは千変万化であるため、ここで列挙する特徴がすべてのこの世代の演劇にあてはまるというわけではありませんが、大雑把ににではありますが、この世代の演劇に当てはまることが多い特徴は次の3つが挙げられると考えます。

ポストゼロ年代演劇の特徴

1)その劇団に固有の決まった演技・演出様式がなく作品ごとに変わる
2)作品に物語のほかにメタレベルで提供される遊戯的なルール(のようなもの)が課され、その遂行と作品の進行が同時進行する
3)感動させることを厭わない(あるいは「祝祭の演劇」の復権

 さて、きょうは「ももいろクローバーZとポストゼロ年代演劇」を主題としていくわけなんですが、いきなり結論を言ってしまうことになりそうで、若干の躊躇もあるのですが、この3つの特徴をももいろクローバーZというアイドルのあり方、さらにそれを生み出したプロジェクトの戦略が共有しているのではないかというのがひとつの仮説で、そのことをきょう皆さんと一緒に考えていきたいと思うのです。
 特徴1)その劇団に固有の決まった演技・演出様式がなく作品ごとに変わる
 というのは実はこの世代の演劇にはその人の作品にはその人に特有な独自のスタイルがない、ということでした。すべての作家がそうだというわけではないのですが、この世代の作家の作品を継続的に見続けて困惑したのはどうやら彼らのうちの何人かは作品ごと、あるいは作品の主題ごとに異なった芝居のスタイルを取ることが多く、それ以前の世代の作家がそうであったようには固有のスタイルがないのではないかと考えたことです。実はこれについては東浩紀が「動物化するポストモダン」で指摘しているポストゼロ年代のカルチャーの特徴における「データベース消費」、それに基づく「漫画・アニメ的リアリズム」ではないかと考えています。

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

 ももいろクローバーZの特徴はアイドルでありながら、純粋にアイドル的な要素以外のオタク的要素が入っていることです。それを言い換えればニコニコ動画こそデータベース消費の典型であるため、それをニコ動的ということもできるのですが、ももクロはアイドルの中でもニコ動との相性がいいといえるでしょう。それは初期からライブで歌っている曲のなかにアニメの楽曲を入れていることにもうかがえます。
 これはももクロの「最強パレパレード」ですが、これは「涼宮ハルヒの憂鬱 SOS団ラジオ部OP」のカバー曲で、ここではドイツ、ドルトムントで開催された日本文化紹介イベントでのライブですが、ここではなんと初音ミクと共演しています。
ももいろクローバーZ 最強パレパレード

 ポストゼロ年代演劇のなかでもっともニコ動的な要素が強く、ももクロとのシンクロ率が高いのがバナナ学園純情乙女組*1です。こちらもハルヒからなんですが、同じ曲を探したのですが見つからなかったのでこちらは「ハレ晴れユカイ」の路上ライブをまず見ていただきたいと思います。
バナナ学園純情乙女組 ハレ晴れユカイ

 これはyou tubeでの映像ですが、ニコ動でいう「踊ってみた」といえるでしょうね。

 ももいろクローバーZも従来の基準からいえば「アイドルなのかどうかがあやしいアイドル」なわけですが、このバナナ学園純情乙女組も演劇だという風に簡単にいいきるにははばかられるようなところがあり、演劇の要素はかなり強くはあるのです。アイドル歌謡から発生したオタ芸的なもの、アニメのコスプレなどさまざまな要素をごった煮的に盛り込んで、ジャンルボーダレスなカオスとして展開する。2011年ベストアクトでは以下のようにコメントしました。

ポストゼロ年代の新たな世代では京都で初めてそのライブを目の当たりにしたバナナ学園純情乙女組「バナ学バトル★★熱血スポ根秋の大運動会!!!!」も同時多発的でカオス的に展開されていくオタ芸風パフォーマンスは「いま・ここで」ならではの魅力を感じさせ、マームとジプシーとは対極的ながらも決して引けをとらない衝撃力があった。身体表現と映像を駆使して「オタク的」なイメージが奔流のように飛び込んでくるスタイルのインパクトは大きく、近い将来クールジャパンのキラーコンテンツとして海外を含めブレークするだろうとの確信を抱いた。これを1位に置いても構わないのだけれど、「果たして演劇として評価すべきものなのか」、むしろジャンルで言ったらももいろクローバーZとかのが近いんじゃないかという若干の躊躇とそれでもはずすのにしのびないとのジレンマから苦渋の選択でとりあえずこの順位に置いた。逆に言えば演劇ベストアクトとかではなく、現代アートとしての可能性ならこれがダントツ上位かもしれない。

 実はこのバナナ学園純情乙女組は公演中に引き起こされた事件をきっかけに解散を決めてしまったのですが、実はももクロもファンとメンバーの間のパフォーマンス中の接触があり、今夏のツアーで大きな問題となったということがあり、予想外の部分でも両者がシンクロしてしまったことに驚かされたりしました。 
2)作品に物語のほかにメタレベルで提供される遊戯的なルール(のようなもの)が課され、その遂行と作品の進行が同時進行する
 2)は同じく東氏が提唱する意味とは若干違うのですが、いわゆる従来のような物語よりもそうしたインタラクティブともいえるゲーム的要素が作品に入り込んでいることから、ゲーム的なリアリズムと関係していると考えています。ここで若干の補足が必要だと思うのですが、実はポストゼロ年代演劇というのは特徴という意味でいうと小説、漫画、アニメなど他分野のゼロ年代と共通の特徴が見られると考えています。こうした複数分野での文化の特徴というのは80年代前後に建築、哲学、美術など複数の分野で「ポストモダン」と当時呼ばれた文化現象が生まれてきましたが、実はその間にはやはり若干のタイムラグがあった。今回演劇だけそこでなぜ10年というタイムラグが生じたことの原因がなにだったかということに関してはさらに詳細な分析が必要でしょうが、そこには平田の提唱した現代口語演劇の影響力というのが、チェルフィッチュなど若干の例外はあったとしても、五反田団の前田司郎、ポツドール三浦大輔をはじめ、群像会話劇というスタイルのくびきがきわめて大きかったということを指摘しておかないといけないかもしれません。
 ももいろクローバーZはいろんな意味でユニークなところがあるのですが、そのひとつであり、アイドルらしくないと言われたりするする要素として、その戦略(といえるかどうかは微妙なところがあると思っているのですが)がアイドルのこれまでのやり方とは違う論理で構築されていることです。それは実はいくつもいあるのですが、目立つもののひとつが「プロレス」「格闘技」です。ももいろクローバーZはメンバーである本人たち以外にファンの人(モノノフと呼ばれている)運営の人たちがいるわけです。そして、運営と呼ばれるスタッフは戦略的にいろんな企画を仕掛けてきたのですが、その大きな軸となっているのがプロレスないし格闘技なのです。もっとも、80年代以降の歴史を振り返ってみても、小劇場演劇(現代演劇)とプロレスとの関係は深く、関西を代表する老舗劇団である南河内万歳一座は座長の内藤敬裕がプロレスの大ファンであり旗揚げメンバーの何人かが学生プロレスのメンバーでもあったことから、舞台にプロレス的な格闘を取り入れたような演出を多用していたし、同じく関西の老舗劇団だったそとばこまちもシェイクスピア劇にタイガーマスクを登場させて格闘場面をプロレス仕立てでやっていたことなどもありました。
 ただ、ポストゼロ年代演劇とプロレスないし格闘技とかかわりはそういうものとは少し異なったところがあるようです。ここで取り上げたいのは多田淳之介と東京デスロックです。多田は「演劇LOVE」というキャッチフレーズを口にしているのですが、これはももクロとの関係の深い武藤敬司の「プロレスLOVE」を下敷きにしたものであり、これも偶然の一致とはいえ、若干のかかわりもあるといえかもしれません。ただ、実は多田淳之介の演劇とももいろクローバーとの間にはもう少し本質的な共通点があるのです。

 それは前述の3)の特徴とも関係があります。問題は3)です。実はこれまでこれを「感動させることを厭わない」としてきたのですが、これが一番論議を生むことなりました。そこで今回はこれを『「祝祭の演劇」の復権』としておくことにしました。これは平田オリザが90年代にその著書で「都市に祝祭はいらない」という著書を出し、演劇における祝祭性を否定したということが前段にあります。SPACの宮城聰はほぼ同時期にク・ナウカ時代のインタビューで、舞台における祝祭的な空間の復活を論じて、生命のエッジを感じさせるような宗教的な場が失われてしまった現代社会において、それを示現できる数少ない場所が演劇で、だからこそ現代において舞台芸術を行う意味があるのだと強調した。90年代に平田が現代演劇の主流となっていくにしたがい、宮城の主張はリアリティーを失ったかに見えたが、「祝祭性への回帰」という性向が「ポストゼロ年代演劇・ダンス」には確かにあり、3・11を契機に生と死という根源的な問題と向かい合った作り手たたちが、祝祭空間を見せる今こそ宮城の夢想した「祝祭としての演劇」が再び輝きはじめる時なのかもしれません。

平田オリザの仕事〈2〉都市に祝祭はいらない

平田オリザの仕事〈2〉都市に祝祭はいらない

 演劇と異なり、「魅惑するもの」であることをその本質とするアイドルが「祝祭性」を持つのは当たり前のことともいえなくもありませんが、先に挙げた宮城聰の言う「生命のエッジ」のような生きている全力感を前面にうちだし、彼女らがモノノフと呼ぶ観客との相互反応による盛り上がり感はももいろクローバーZの最大の特徴です。それではここでももいろクローバーZのライブ映像を見てもらいたいと思います。
  

 ネット上などでときおりももクロのパフォーマンスつまりダンスなり、歌なりが上手いのか下手なのかが、取沙汰されることがあるのですが、彼女たちのパフォーマンスは「うまい」という方向性を目指さないところにその本質があります。つまり、例えばダンスでいえばバレエなどがその典型なのですが、「うまい」ダンスというのは通常は動きが技術によって完璧に制御されているというところにその本質があります。つまり、うまく制御できなくなった状態のことを「下手」だとするひとつの価値観があるわけですが、これはバレエのみならずジャズにせよヒップホップにせよ西洋起源のダンスでは通常このことが成り立ち、そして歌の場合も同様のことがいえるわけです。
 ところがコンテンポラリーダンスなどに代表される現代表現ではこうした「上手」「下手」はかならずしも自明のこととはいえなくて、その代わりに問われるのはその瞬間の動きが魅力的かどうかということで、そのために身体的な負荷を意図的にかけ続けることで、アンコントロールな状態に追い込み、そこで出てくる「いま・ここで・生きている」というような切実さを身体のありかたにおいて表出させるような表現がでてきており、そこではいわゆる従来のような「上手」「下手」という基準はあまり意味がないことになっています。
 多田淳之介の東京デスロックという劇団はそうした「切実さ」を身体表現として追求している劇団でこれから見せる「再生」という作品は劇中で登場人物が激しく踊りまわるという同じ芝居を3回繰り返すという作品なのですが、3回繰り返すといっても人間の能力には限界があるので3回同じように繰り返すのは無理で、そこから「どうしようもなく疲弊してしまう存在」であり、いつか年をとり、死んでいく人間という存在を逆説的に浮かび上がらせるという狙いがありました。
東京デスロック「再生」

実は身体的な負荷をかけ続けることで立ち現れる「切実さ」こそがももクロの「全力パフォーマンス」の魅力だと考えています。よく「全力パフォーマンス」というけれどもアイドルはももクロだけじゃなくて、どのアイドルも全力だという批判があるわけですが、ほかのアイドルとももクロは「全力」についての質が違う。これは違うからももクロが偉くて、ほかはだめと言おうとしているわけではもちろんありません。
 これから紹介するのはファンの間で「伝説」と言われている「Zepp Tokyo 第3部」の映像です。
Zepp Tokyo 第3部


バナナ学園純情乙女組


革命アイドル暴動ちゃん


SVアーカイブ
再録「特集☆ももいろクローバー
http://studiovoice.jp/?p=25607 
室井尚・横浜国大教授のブログ
http://tanshin.cocolog-nifty.com/tanshin/2012/04/post-c217.html
Lマガジン特集 非オタのための、ももクロ入門。 
http://lmaga.jp/article.php?id=928

*1:バナナ学園純情乙女組 その後、活動休止をへて革命アイドル暴走ちゃんとして活動再開 http://www.missrevodolbbbbbbbberserker.asia/index.html