パフォーマンスとしてのももいろクローバーZ Webレクチャー

(2012年大阪で開催したレクチャーの抜粋です。後半は加筆の必要あり)
その1 ダンスとしてのももクロ
  ももいろクローバーZももクロ)が私の琴線に触れたのは観客(モノノフ)のコールと一体になった一体感のあるライブパフォーマンスの映像を見たことがきっかけだった。演劇やダンスに関する批評活動を今でも続けているのはかつて本当に奇跡としか思えないような瞬間を劇場で受けたことがあったからだが、それは2011年に開催された「男祭り」「女祭り」のDVDだったのだが、映像を通しながらもその時にももクロから感じた衝撃はかつて演劇やダンスで味わった奇跡の瞬間と比較してもなんら遜色のないものだった。
 そしてそれは単にももクロのパフォーマンスが素晴らしいというだけにとどまらずポスト3・11のこの閉塞した雰囲気の世間にそれは待望してたものが現れたという「この時・ここ」にあたかも運命のように出現したということがあるのではないか。
今回は「パフォーマンスとしてのももいろクローバーZ」と題して、ももクロのライブパフォーマンスをさまざまな舞台芸術との比較において分析しその魅力を掘り下げていきたい思う。
 その前にまずひとつ確認しておきたいことがある。それはももクロに限らずアイドルの舞台(ライブ)というのは楽曲(歌)だけにとどまらずにダンス、衣装、特に最近は映像、場合によっては演劇の要素も取り入れた総合芸術であるということだ。総合「芸術」という言葉が引っ掛かるのであれば総合エンターテインメントと言い替えてもいいのだが、だからももクロのライブも当然、総合エンターテインメントである。総合エンターテインメントにはいろんなジャンルがある。演劇の一部もそうである。典型的な事例としてはブロードウエーミュージカルに代表されるアメリカのショービジネスの舞台がある。そして、その中で「しょせんアイドル」などと下に見る風潮がないでもない。それは特に舞台関係者に強いのだが、土俵が違うだけで、日本特有のアイドルというジャンルには端倪すべからざる水準の高さがあるのではないかと考えている。
 それではさっそくだが、ももクロを取り上げて具体例を検証していきたい。最初の検討テーマは「ダンスとしてのももいろクローバーZ」である。
 ももクロのダンスや歌は「下手である」というのが定評になっている。これはある意味では当たっている部分もなくはない。ただ、こういうことはよくももクロは同じくアイドルグループの××と比べてダンスも歌も全然なっていない、などと使われることが多いのだ。ダンスにおいて「うまい」とは何か?西洋における伝統的なダンスの考えからすれば「うまい」とは「完璧な技術による完璧な身体のコントロール」であるということが一応できる。そして、その基準によればももクロのダンスは世界最高峰とは言い難しのかもしれない。
 それでは世界最高峰水準のダンスとはどんなものなのか。それを今から見てもらいたいと思う。最初に見てもらうのはバレエダンサー、シルヴィ・ギエムである。これは「完璧な技術による完璧な身体のコントロール」の史上最高の実例である。
シルヴィ・ギエム「In the middle some what eravated」

 バレエしかも現代バレエではジャンルが違いすぎるという人にはアメリカのショービジネスを例に、こちら。もちろん、マイケル・ジャクソンである。
マイケル・ジャクソン

 そんなものを見せられてもピンと来ない。アイドルはどうなんだという人に見てもらいたいのがこちらの映像を。これはSPEEDである。特筆すべきはこのときまだ小学生だったということだ。アイドルにおける歌唱とダンスの総合的なレベルにおいての完成度において、私はいまでもこのSPEEDがピカイチだと思っている。もちろん、それを認めない人もいるだろうし、現にそういう人のひとりと明け方近くまで論争したこともあったのだが、日本のみでなく、特に最近の韓国のグループアイドルなどへの影響力も考える(彼らは認めないかもしれないが)とSPEEDが参照例として重要だというのは間違いないないと思う。

SPEED
1996年8月5日にシングル「Body & Soul」でデビュー。デビュー当時の平均年齢は13.5歳。当時のメンバー全員が小中学生であったことが大きな注目を集めた。



http://www.nicovideo.jp/watch/sm16104186

 とはいえSPEEDでは実例として不満だという人に見てもらいたいのがこちらのperfumeの映像である。冒頭に述べたようにもし「うまい」ダンスの条件が「完璧な技術による完璧な身体のコントロール」であるとするなら、確かにももクロのダンスはこれら2つの先行グループに比べて、まだまだという段階のように見えるかもしれない。
perfume


Perfume - MIKIKO先生の指導シーン

ユメノハシラ 振付師 石川ゆみさん

仲宗根梨乃(少女時代の振付家)
http://matome.naver.jp/odai/2134303897572991701
UZA(仲宗根梨乃振付)

ももいろクローバーZ 人気の秘密を徹底解剖!

 いろんな身体所作を引用(サンプリング)して振付のなかに入れ込んでいく

chaimaxx  

最強パレパレード

 ももクロのダンスはそれぞれがバラバラで、例えば少女時代やEXILEがそうであるようにはユニゾンできちんとそろってはいない*1。動きの再現性もあまりない。ネット上などでももクロのパフォーマンスが上手いのか下手なのかが、取沙汰されることがあるが、たいていの場合は下手だという文脈で語られることが多い。ここまで「うまい」とされるパフォーマンスを取り上げてきたのはもちろんそうした批判に加担するためではない。むしろ、逆だ。彼女たちのパフォーマンスはここまで見てきたような「うまい」という方向性を目指さないところにその本質があるのだ。
 もう一度繰り返す。つまり、バレエなどがその典型なのだが、「うまい」ダンスというのは通常は動きが技術によって完璧に制御されているというところにその本質がある。つまり、うまく制御できなくなった状態のことを「下手」だとするひとつの価値観があるわけですが、これはバレエのみならずジャズにせよヒップホップにせよ西洋起源のダンスでは通常このことが成り立ち、そして歌の場合も同様のことがいえる。
 ところがコンテンポラリーダンスなどに代表される現代表現ではこうした「上手」「下手」はかならずしも自明のこととはいえないのだ。そして、ももいろクローバーZのダンスというのもそういう範疇に入ると考えられる。身体制御の代わりに問われるのはその瞬間の動きがいかに魅力的かということだ。そのための方法論として身体的な負荷を意図的にかけ続けることで、アンコントロールな状態に追い込み、そこで出てくる「いま・ここで・生きている」というような切実さを身体のありかたにおいて表出させるような表現がでてきている。そこではいわゆる従来のような「上手」「下手」という基準はあまり意味がない。
 そうした手法を取る振付家・ダンサーのひとりに黒田育世がいる。黒田はもともとバレエの出身でもあり、カンパニーであるBATIKの所属ダンサーにもバレエ経験者が多いが、映像を見てもらえば分かるように彼女の踊りは激しい回転を続けたり、倒れてまたすぐ立ち上がったり、身体に大きな負荷のかかる動きを持続していくことで、しだいにダンサーを身体能力の限界、制御できない状態に追い込んでいく。そこから生きた肉体の持つ「切実さ」のようなものが浮かび上がってくる、というものだ。

 一方、演劇畑でそういう試みを共有しているのが多田淳之介の率いる東京デスロックという劇団である。ここもそうした「切実さ」を身体表現として追求している劇団でこれから見せる「再生」という作品は劇中で登場人物が激しく踊りまわるという同じ芝居を3回繰り返すという作品なのですが、3回繰り返すといっても人間の能力には限界があるので3回同じように繰り返すのは無理で、そこから「どうしようもなく疲弊してしまう存在」であり、いつか年をとり、死んでいく人間という存在を逆説的に浮かび上がらせるという狙いがあった。
東京デスロック「再生」

実はこの身体的な負荷をかけ続けることで立ち現れる「切実さ」こそがももクロの「全力パフォーマンス」の魅力だと考えている。よく「ももクロは全力だから好き」という言い方に対して「全力パフォーマンス」というけれどもアイドルはももクロだけじゃなくて、「どのアイドルも全力だ。ことさらももクロのことだけを言うな」という批判がほかのアイドルのファンらからあるわけだが、ほかのアイドルとももクロは「全力」は質が違う。ももクロの「全力」はこの「切実さ」つながっているから、そこにももクロの最大の特徴があると思われます。
 これから紹介するのはファンの間で「伝説」と言われている「Zepp Tokyo 第3部」の映像です。ここでは極限に追い込まれたなかで技術による身体の制御を超えたなにものかがたち現れてきているのじゃないかと思います。これはそういう条件に置かれて偶然そういう要素が現れたとみることもできますが、ももクロを育ててきた運営側には初期の楽曲を多数提供したヒャダインにしても、振付の石川ゆみにしても、ギリギリ出るかどうか限界に近い、あるいは限界を超えた音域であえて歌わせること、うまく制御して踊れないような振付で踊らせることなど「負荷をかける」という方法論については随所で語っていて、そこから出て「切実さ」のももクロの魅力のひとつの源泉があるのではないかと思う。

Zepp Tokyo 第3部



男祭り2012


女祭り2011
怪盗少女

走れ!

コノウタ



黒田育世

みてみて☆こっちっちのremixで踊る深夜練(木皮成+喜多真奈美)

  
 『「祝祭の演劇」の復権』としておくことにしました。これは平田オリザが90年代にその著書で「都市に祝祭はいらない」という著書を出し、演劇における祝祭性を否定したということが前段にあります。SPACの宮城聰はほぼ同時期にク・ナウカ時代のインタビューで、舞台における祝祭的な空間の復活を論じて、生命のエッジを感じさせるような宗教的な場が失われてしまった現代社会において、それを示現できる数少ない場所が演劇で、だからこそ現代において舞台芸術を行う意味があるのだと強調した。90年代に平田が現代演劇の主流となっていくにしたがい、宮城の主張はリアリティーを失ったかに見えたが、「祝祭性への回帰」という性向が「ポストゼロ年代演劇・ダンス」には確かにあり、3・11を契機に生と死という根源的な問題と向かい合った作り手たたちが、祝祭空間を見せる今こそ宮城の夢想した「祝祭としての演劇」が再び輝きはじめる時なのかもしれません。

平田オリザの仕事〈2〉都市に祝祭はいらない

平田オリザの仕事〈2〉都市に祝祭はいらない

 演劇と異なり、「魅惑するもの」であることをその本質とするアイドルが「祝祭性」を持つのは当たり前のことともいえなくもありませんが、先に挙げた宮城聰の言う「生命のエッジ」のような生きている全力感を前面にうちだし、彼女らがモノノフと呼ぶ観客との相互反応による盛り上がり感はももいろクローバーZの最大の特徴です。それではここでももいろクローバーZのライブ映像を見てもらいたいと思います。
   
 
  
 

 

*1:もちろん、はなからそろえる気がないので、それは振付家の石川ゆみが高城れにの自由すぎる動きを直そうともしていないことに典型的に表れているだろう