音楽座ミュージカル「アイ・ラブ・坊っちゃん」

 日本のオリジナルミュージカルを作っている集団の中で、私が唯一、評価しているのが音楽座なのである。この集団の作品としてはなんといっても、土居裕子が主演した「マドモアゼル・モーツァルト」が傑作で、音楽に TMNを解散した直後で、現在のように大御所的存在になっていない小室哲也を起用。曲としてモーツァルトの音楽と小室の音楽を両方使っているのだが、これが渾然一体となっていて、素晴らしい出来栄えなのである。「マドモワゼルモーツァルト」は私の中で自由劇場の「上海バンスキング」やアトリエダンカンの「阿国」(こちらは上々颱風が音楽を担当している)と並んで国産ミュージカルのベストを争うものとなっているので、なかなかこれを超えるという印象にまでいかないが、今回上演された「アイ・ラブ・坊っちゃん」もこうした作品に近いレベルに迫る好舞台であった。

 「アイ・ラブ・坊ちゃん」はだれでも知っている夏目漱石の小説「坊っちゃん」をモチーフにしている。こう説明すると単純な痛快活劇をイメージする人も出てくるかもしれないが、そういうものとは違う。「坊っちゃん」を執筆している漱石自身と「坊ちゃん」の作品世界が交互に進行するという構造になっている。ここでは「坊っちゃん」を手掛かりにして漱石の評伝劇を描こうとしているわけだ。

 ミュージカルと評伝劇とは奇異な取りあわせのようにも思えるが、考えてみるとミュージカルには意外と評伝劇が多い。「ジーザス・クライスト・スーパースター」が評伝劇といえるかには問題があるとしても「エビータ」は明確にそうだ。作家セルバンテスとその登場人物ドン・キホーテを2重映しにしながら、ちょうど本作のように入れ子構造を多用した傑作「ラ・マンチャの男」があるではないか。そう思って考えてみると「アイ・ラブ・坊ちゃん」はひょっとしたら、日本版「ラ・マンチャの男」を意識したのではないかと思われてきた。

  この舞台では進行につれて、「坊っちゃん」の作中人物である山嵐がしだいに漱石の親友であり、夭折した歌人正岡子規の姿と重なっていく。「坊っちゃん」で描かれる舞台は漱石が英語教師として赴任した松山だが、そこはまた子規の故郷でもある。この舞台には漱石を訪ねる編集者として、高浜虚子が出ているが、「坊っちゃん」が掲載された「ホトトギス」はもちろん子規が創刊した雑誌であり、もちろん、漱石が英国留学中に急逝してしまった子規はここにはいないのだけど、この「アイ・ラブ・坊っちゃん」の中では山嵐と子規を1人の俳優(佐藤伸行)が演じることでこの作品における子規の存在感は漱石に迫るものとなっている。そういえば、ここまで考えてうかつなことにあらためて気が付いたのだが、このミュージカルの群像によるダンスシーンでここには「吾輩は猫である」の猫をはじめ、漱石作品に登場するキャラクターが次々に登場してダンスを踊るのだが、その中になぜか場違いにドン・キホーテサンチョ・パンサのコンビがいたのである。しかも、このサンチョもこの舞台では佐藤が演じているのである。

 これほど明確な証拠が提示されていながら舞台を見ていた時には「知ったかぶりの世間智に挑んでいく主人公、坊っちゃんにはなんとなくドン・キホーテを思わせるところがあるし、その象徴かな」ぐらいにしか理解してなかったのだが、こうなればこの舞台と「ラ・マンチャの男」の間には明確な関連があることは間違いない。子規=山嵐=サンチョだとすれば当然、その同士であるのは漱石坊っちゃん=キホーテということになるではないか。もちろん、漱石自身はこの小説の中に出てくる人物としては悪役となっている帝大出の教頭赤シャツの立場に松山赴任当時は近かったわけで、そう簡単に等号で結べるものでもないのだが、そういう風に考え始めると「坊っちゃん」という作品と「ドン・キホーテ」には重なりあう部分も多い。

 狂気のドン・キホーテが妄想の中でラ・マンチャ周辺のなんの変哲もない人たちを騎士道物語のなかの人物のように名付けるように「坊っちゃん」という小説では主要登場人物が皆、主人公のつけたアダナで呼ばれる。中でも注目すべきは「マドンナ」の存在である。ドン・キホーテが宿屋の娘、アルドンサを理想に姫「ロシナンテ」と呼んだように婚約者であったうらなりから、赤シャツに乗り換えてしまったように美貌の持ち主ではあってもおそらく凡庸な女性だったと思われる人間が「マドンナ」と呼ばれた時、よくも悪くも文学史に残る存在となったからである。

 脱線はこのくらいにして、「アイ・ラブ・坊ちゃん」に戻ろう。実はこの作品は初演、再演を見ていて、今回が3回目なのだが、音楽座でいつも感心させられるのはキャストのよさである。特に今回のキャストは坊っちゃん役の中村繁之漱石浜畑賢吉が予想以上の出来栄え、役へのはまり方であった。特に浜畑の演じる漱石漱石という人物の複雑さをよく表現していて、子規=山嵐を好演した佐藤伸之と相まって、芝居としての奥行き、深みを感じさせてくれるものであった。演出面では初演、再演では漱石のあこがれの存在であった登勢と妻、夏目鏡子をどちらも土居裕子が演じていてどうもこれを同じ人物が演じてしまうと鏡子の存在がぼやけてしまう気がして釈然としなかったのだが、今回は別人が演じていたのですっきりした。

 鏡子役の今津朋子は土居裕子ダブルキャストに文字通り抜てきされたデビュー時から見ているので、若手の印象があるのだが、ベテランの浜畑とやりあっても貫録負けしない女優ぶりでこの集団の看板といえる存在感を見せてくれた。

 相変わらずの健在ぶりを見せてくれたのは嬉しいのだが、一度、事実上解散して、やっとここまで復活したとはいうものの、新体制になって以来は新作がないのが残念で、今度はぜひ新作を見たいと思った。