ミュージカル「シンデレラストーリー」(1時半〜、シアタードラマシティ)を観劇。
 「シンデレラストーリー」は鴻上尚史が脚本を担当したオリジナルミュージカルである。鴻上作品とは最近相性がよくないこともあるのだが、「いくらなんでもこれはちょっと手抜きじゃないのか」と思ってしまった。シンデレラ物語を元にした改作だが、物語の枠組みを生かした新解釈というよりは物語の筋立てはほぼ原作そのもので物語のうち不自然な部分をつじつまが合うように作り替えている。
 確かにシンデレラの物語は現代人の目から見るとつっこみどころありまくりではあるが、それをいうのならおとぎ話なんてものは多かれ少なかれ、「なんでそんなことは都合よく」といったことが連続する御都合主義の展開になっているんじゃないのだろうか。そういう物語から本質的な構造を読み取ってそれを現代的解釈で読み替えるというのならともかく、設定を細かく手直しして、つじつま合わせに終始して、その物語に一応、説明がついたとしても「それがどうなるんだ」と思わざるをえないのだ。
 魔法の効力が夜12時で消えるのになんで魔法で出てきたはずのガラスの靴は消えないのかとか、魔法自体の効力に時間制限があるのはなぜなのかとか、練習したことさえないはずなのにシンデレラはなぜ舞踏会でダンスを踊ることが出来たのかとか、私も確かに話を最初に聞いた時からおかしいと思ってつっこみを入れたくはなったのだが、だからといってそれがつじつまが合うような解釈を考えついたとしてもそれが説明できたとして、この物語が少しでもリアルになるかといえばそうじゃないので、そういう枝葉末節にこだわったうえに最後の最後で身分の違いがあったのにシンデレラが結婚できたのは元々、高貴な家柄に生まれた預け子だったからなんていくら現代の世の中では愛があれば身分の差なんて関係ないなどというおとぎ話の理屈がそらぞらしく見えようとも、そんなところでいかにも御都合主義なつじつま合わせを突然持ち込んでくるよりは劇作家としてほかにもっと工夫するべきところがあるだろうと思わざるをえないのだ。
 よく出来た古典の読み替えといえばどんなのがあるかというとミュージカルではないがそうした要素も持った舞台としてはアドベンチャーズ・イン・モーションピクチャーズの「白鳥の湖」がある。これは古典バレエの「白鳥の湖」の世界を現代の英国の王室に読み替えて、王子を誘惑する存在として男性バレエダンサーが演じる白鳥を舞台に登場させているのだが、パロディー風の味付けはあっても、ここではおとぎ話的な「白鳥の湖」の世界はある種のリアルな現代の戯画に読み替えられているのだが、鴻上尚史の「シンデレラストーリー」にはそういうリアルさとというのは一切ない。鴻上にそういう才能がまったくなければそういう期待はしないところではあるのだけれど、古典の読み替えというのとは違うのだけれど、鴻上の代表作である「朝日のような夕日をつれて」は「ゴドーを待ちながら」を下敷きにした現代的読み替えといえるし、「天使は瞳を閉じて」も「ベルリン 天使の詩」のその後を描くという構想から出発した作品であった。だからこそ、鴻上が「シンデレラストーリー」を作るのに際して、作品の本質を読み替えるという作業ではなく、小手先のつじつま合わせに終始したような戯曲を書き下ろすということはどうにも納得がいかないのだ。
 いきなり、厳しいことを書いたが、それじゃこの作品が舞台として全然楽しめないのかというとそういうわけではない。そういうしょうもないような解釈で水を差されながらも、この舞台にはキャスティングのオモシロさがあって、出演している役者が芸達者ぞろいでキャラも立っているので、それだけで結構見せてしまうのだ。
 王子役が今一番似あうミュージカル界のプリンス、井上芳雄が王子。シンデレラは東宝シンデレラ大塚ちひろというキャストはもちろんはまり役なのだが、池田成志に「ママ母」、橋本さとしに「侍従」という、そしてデーモン木暮閣下に「父」と「魔女」、川崎麻世に「父王」とミュージカル、小劇場、音楽界からのバラエティーに溢れたキャスティングのいかにも分かりやすいはまり役感がなんともいえず絶妙で楽曲などではロンドンミュージカルを意識したかなと思わせるところがある一方でキャラクターの立て方は劇団★新感線を彷彿させるところがあって、このミスマッチ感がなかなか面白かったのである。    
フリー批評誌「パンプレス」の原稿を執筆。TAKE IT EASY!「御法度。」(HEP HALL)で書こうと思っているのだが、なかなか筆が進まず苦吟する。