アガサ・クリスティー「もの言えぬ証人」

 アガサ・クリスティー「もの言えぬ証人」クリスティー文庫)を読了(再読)。
 アガサ・クリスティーは私にとってはほぼ全ての著作を読破しただけにとどまらず、主要な作品については事あるごとに再読、再々読をしている稀有な作家である。そういうわけで、最近になって早川書房がクリスティーの作品をクリスティー文庫として出版を開始していたのは気にかかってはいたのだが、読みはじめるときりがないかなとも思いしばらく放置していた。
 そのなかで「もの言えぬ証人」を手にとって再読してみたのはこの作品は初読の時の印象あまり芳しくなかったために長い間読み返してなく、それゆえ、犯人やトリックも忘れていて、もう一度読んでもミステリとして純粋に楽しめるかなと思ったからだ。
 しかし、初読はおそらく大学生の時じゃないかと思うのだが、傑作というには若干の語弊があるにしても改めて読み直してみるとクリスティーらしさが随所にあってなかなか侮れない出来栄えの作品なのであった。

 クリスティーの場合、多くの小説の導入部にミステリ的な仕掛けがうまく仕掛けられていて、思わず物語世界に引き込まれていくような技巧がきわめて優れているのだが、「もの言えぬ証人」もそこが見事である。
 実はこの小説は探偵ポワロのワトソン役として記述者のヘイスティングス大尉が登場する最後の長編なのだが、この作品を読んでみると一人称の記述装置(=ワトソン役)として存在していたヘイスティングス大尉がこの作品を最後にしてクリスティーの長編から姿を消すのか(正確に言えば「カーテン」には再び登場するが)がうかがえるようで興味深い。この小説は一人称で描かれてはいるが実は冒頭の部分は三人称描写でポワロ、ヘイスティングが訪問する前のマーケット・ベイジングでの出来事が語られる。
 老嬢エミリイが死に、巨額の遺産はすべてが大勢の親族をさしおき、一介の家政婦に贈られた。彼女の死から2カ月ほどたったある日、1通の手紙がエルキュール・ポアロのもとに届く。差出人はエミリイ。死の半月以上も前に書かれたものだった。しかもそこには、彼女自身がやがて殺されることを予感するかのような内容が書かれていた。老嬢の死と手紙との不思議な符号に興味を抱いたポアロは、ヘイスティングス大尉とともに調査に乗り出した。かいつまんであらすじをまとめてみるとこんな風になるかもしれないが、この小説ではエミリイが生前に遭遇した事件を描く冒頭の第一章とポワロが手紙をもらう第二章の間には意図的に大きなギャップが設けられていて、事件の実態さえも分からない状態でポワロの捜査は開始される。そして、この仕掛けをプロットとして仕掛けるには現在進行形の出来事を記述者として書き留めるワトソン型一人称では限界があることが露呈してしまっているのである。
 事件の実態さえも分からない状態でポワロの捜査は開始されると書いたが、ここには後にミステリ作家クリスティーのひとつの到達点となる独自の謎の形態であるホワットダニットの萌芽さえ見られる。これは殺人など犯罪行為がまず起こって、警察や名探偵などが関係者を尋問して、そうこうするうちに次の犯罪が起こってというような黄金時代といわれた時代の本格ミステリによくあったようなステレオタイプな物語のプロットとは一線を画したものが明らかにこの作品においてもうかがえるのである。
 それにしても唯一気になったのは巻末の解説がこの作品についているものに関しては呆れるほどひどかったことだ。2重のネタばれをはじめ、この作品でクリスティーが珍しい毒を使っているのはノックスの十戒への挑戦ではないか、なんて本気で書いてるのという驚くべき勝手な思い込みが書かれている。もう少し人選を考えてほしいという感じなのである。まず第一に珍しい毒というのは事実誤認に近いし、くそ真面目なヴァン・ダインの「20則」の方はともかく「ノックスの十戒」というのは「気の利いた冗談」だったのを生真面目な乱歩が真に受けたぐらいに思っているのだけが、どうだろうか。