東京バレエ団「ザ・カブキ」@フェスティバルホール

 東京バレエ団「ザ・カブキ」フェスティバルホール)を観劇。
 ベジャールによる「忠臣蔵」である。今回の東京バレエは6日の「ベジャールガラ」との2本立てだったのだが、こちらは首藤康之最後の「ボレロ」の宣伝文句が効いたのか、前売りは完売でこちらの「ザ・カブキ」だけを見た。
海外の作家がこういうジャパネスクの作品を作るとろくなことがないというのが、これまでにいくつかそういう種類の作品を見てきたうえでえた教訓で、ベジャールにおいてもそれは例外ではない。というか、より正確に言えばベジャールの場合はそれが裏目に出たときの悲惨さがひどいのは三島由紀夫をモチーフにした「M」で経験済み。だから、あまり期待しないで見たのだが、この「ザ・カブキ」はそういうもののなかではかなりマシな部類の作品といえたかもしれない。
 全体として、日本を象徴する色として、白と赤が効果的に使われるのだが、最後の方での白と黒の火事装束による群舞は背景にとられた雪の白を強調した舞台美術ともあいまって非常に力強く美しいもので、おそらくこのシーンを作りたいがためにベジャールは「忠臣蔵」をやったのではないかと思わせられるほどであった。
 ただ、そういうよいところはあっても西洋人がこういうものを作るときの限界というか、突っ込みどころは山ほどにもあった。まず、「忠臣蔵」なのになんでこうなるのと理解に苦しんだのは最後の方で登場する白い仮面をかぶった
塩冶判官の幽霊。やはり、復讐ものということで「ハムレット」からの連想なのだろうか。それとも、歌舞伎にはけっこう詳しそうではあるので、「忠臣蔵」と入れ子で初演された「四谷怪談」のことを知っていて、幽霊の登場する場面を入れたくなったのだろうか。仮面をかぶったままなので本人かどうかは厳密には確認できないのだけれど、塩冶判官は首藤康之が演じていたので、これがひょっとすると首藤康之最後の熱演になったのだと思うとなんとなく情けない。
 笑うといえばやはり後半に登場した赤ふんどしの男たちによる群舞もどうしたもんだろという感じである。思わず身体表現サークルを思い出してしまったというのもあるのだが、そうじゃなくても、群舞の後で手をつないだふんどし男たちがしだいに端からまかれていくという振付はいったい何の意味が(笑い)。ひいき目に解釈すれば運命に巻き込まれて、討ち入りによって死んでいった男たちを象徴させたという風にとれないことはないが、それでも、西洋人にはどう見えるのか見当もつかないが、普通の日本人が見たら、「変だ」と思うのではないだろうか。
 こんな風に次々と地雷原を踏むようなことを書いておいて、いまさらほめても全然説得力がないかもしれないが、ダンサーではおかるを演じた佐野志穂がよかった。高岸直樹は最初に出てきた時には長い手足を持て余しているように感じてどうだろうと思ったのだが、現代の青年から由良之介に変わっていくあたりでよくなってきて、当たり役との評判にたがわぬ存在感をみせてくれた。
 さて、退団する首藤康之だが、もちろん悪くはないのだが、塩冶判官では前半部で見せ場が終わってしまうし、踊るというシーンも少ないのでちょっと見せ所がない感じで、出演してるのが分かった時は「ボレロ」を見られなくて残念の気持ちは一瞬消えたのだが、見終わった後はなんとかして見たらよかったの後悔しきりであった。
 そういえばバレエ界では私がマシュー・ボーンなどにかまけて、まともなバレエを見てないうちに首藤康之東京バレエ団を退団するし、牧阿佐美バレエ団をやめた上野水香東京バレエ団に入団を発表するしでちょっとびっくり。
ちょっとした今浦島の気分である。首藤は退団とはいえ特別団員としては残るようなので、まったくのフリーハンドというわけじゃなさそうで、一度見てみたいと以前から思っていたような他のバレエ団への客演というのはどうやらなさそうだが、すでに「スワンレイク」で一度は実現しているマシュー・ボーン作品への出演のチャンスなどは今後増えてきそうで楽しみ。上野のほうはいままではローラン・プティに見出されたダンサーのイメージが強く、プティ作品を踊ることは今後なさそうなのでそこは残念といえば残念ではある。本質的にはキリアンはともかくベジャールなんかには向いたダンサーとは思えないのだが、オオバケしてそうじゃないことを証明してくれる日が来るのだろうか。