「誰も知らない」@是枝裕和監督

 映画「誰も知らない」是枝裕和監督)を見る。
 本当はダンス公演の前に同じフェスティバルゲート内にあるシネフェスタで「スウィングガールズ」を見ようと思っていたのだが、前日休み前ということで遅くまで起きていたせいで、起きられず、ダンス公演の後、レイトショーの「誰も知らない」を見に行くことにした。こちらも主演の柳楽優弥カンヌ映画祭で最優秀男優賞を受賞した時に彼の写真を見て、どんな演技をするのだろうと気になっており見ようとは思っていたのではあるが。
 結論から言えば見てよかった。見るに値する映画であった。長男明役の柳楽優弥だけではなくて、京子 、茂 、ゆきの4兄弟を演じた子役4人と途中で彼らにかかわるようになる紗季を演じた韓英恵、母親役のYOUの全員の演技が演じているというよりはその役を生きているリアルがある。これはやはりそういういい関係性を丹念に現場で作ることのできた是枝監督の手腕ではないかと思う。
 この映画は最近見た映画のなかでは稀なほど見終わった後、せつないようなやるせないような思いが素直にこみ上げてくる映画でもあった。実際に1988年に起こった巣鴨子供置き去り事件が元になっているのだが、実際の事件*1の方は相当に陰惨な事件で、本来は子供を遺棄した母親にもっと直接的な怒りがこみ上げてきてもおかしくないはずなのにそうはなっていないがこの素材に対する是枝監督のアプローチの面白いところ。
 それはこの映画のつくりが淡々とした筆致でリアルに事象を切り取りながらも、子供が演じる「子供たちだけの世界」(=楽園)とその崩壊というある種、神話的なモチーフを意識して構築されているためではないかと思う。
 この映画を見終わってすぐ連想したのは ルネ・クレマンの「禁じられた遊び」なのだが、それがなぜなのかということを考えた時に単純にどちらも子役を使って子供の世界を描いたという共通点がまずあるのだけれども、それ以上にこの2つの映画が「死と埋葬」を主要モチーフに持っているということがあったかもしれない。そのことがこの2つの映画にせつないような感覚を見終わった後、抱かせるという共通点を持たせている。そして、さらにいえば「禁じられた遊び」と同様、この映画でもゴンチチの奏でるギター音楽がきわめて効果的に用いられている。
 これは偶然の一致かとも思ったが、ひょっとすると「誰も知らない」は「禁じられた遊び」を下敷きにして構想されたのではとの確信に近い思いを抱いたほどである。ただ、「禁じられた遊び」は戦争というはっきりと目に見える悲劇をモチーフにした反戦映画でもあったわけだが、現代の子供たちに襲い掛かるかもしれない黒い影というのは昨今報道されているさまざまな陰惨な事件を見ても明らかなようにもう少し見えにくい形の社会のひずみとしてたち現れてくるわけだ。
 この映画では明がつけている家計簿とそれが置かれた机の上に散らばる小銭が繰り返しクロースアップの映像で映し出されるのだが、それは「お金」が現代資本主義社会の制度において子供たちが暮らす部屋と外部社会の関係性の象徴となっているからで、繰り返し映し出される「学校」についても監督がそのカットにこめた同様の意味性は感じ取ることができる。
 現代社会を背景に描く神話はこんな風に描かれるのかもしれないという気がして、そこに是枝裕和という人の戦略を感じたのであった。