演劇計画2004「アルマ即興」

 演劇計画2004「アルマ即興」(京都芸術センター)を観劇。
 京都芸術センターのプロデュース公演。イヨネスコの戯曲をMONOの水沼健が演出。出演は森本研典(太陽族)、藤原大介(飛び道具)、森澤匡晴(スクエア)、尾方宣久(MONO)という異色のキャスト。イヨネスコといえばベケットと並ぶ不条理演劇の巨匠ではあるのだけれど、よくよく考えてみるとベケットと違って、実際の上演はなんども見ている「授業」を除けばほとんど見ていないことに気がついた。
 「アルマ即興」ISBN:4560035040者自身であるイヨネスコのモノローグからはじまり、劇中にもイヨネスコ自身が登場する典型的なメタシアター(演劇についての演劇)である。劇作家(イヨネスコ)が次々と現れる批評家に「指導」を受けて、反撃にでるうちに自らが批評家的立場に立っていることが分かるというナンセンス劇で、その批評家というのがロラン・バルトを皮肉ったものだというのがミソらしいのだが、今回の上演ではその部分の台詞をかなりカットしてしまっているためか、具体的にバルトの記号論を皮肉ったようなところがはっきりとは分からないのがもどかしい。
 水沼の演出はそういう理屈っぽいところは飛ばして、イヨネスコと批評家たちの対立軸を衣装や演技などでビジュアル的に提示することで、不条理的なブラックな匂いを直接的に提示したものとなっており、それは上演としてはそれなりに面白くはあった。アフタートークによればこの戯曲が書かれた当時の状況が現代と違うので理解しにくいと思われる部分をカットしたということらしく、戯曲の現代的な解釈というのは確かに重要なことではある。原テキストを当たっていないのでこちらに誤解があるかもしれないのだが、「授業」などから判断する限り、イヨネスコの特徴は登場人物の饒舌性にあり、これが嵩じて過剰なまでの理屈っぽさとなり、例えば「授業」ではそれが教授の狂気を呼び込む呼び水となっていく。「アルマ即興」ではそれがどうなっているのか、この舞台を見て逆にイヨネスコの原テクストがどういうものだったのか知りたくなった。
 そういえばイヨネスコの「授業」を見ていて、ここで作家が異常にまでに言語学にこだわっていることに「なぜなんだろう」と思い、ここにはひょっとしたらソシュール批判が含まれているのじゃないかと以前思ったことがあった。その時には考えすぎと思って片付けたのだが、それが実際にソシュール派の言語学(あるいは構造言語学)への批判というようなはっきりしたものというわけじゃなくても、「授業」で見せた言語学への悪意はもしイヨネスコが「アルマ即興」でバルトの記号論批判をしていたのであればなにか関係があるのかもしれない。どうやら、絶版になっているので戯曲を手に入れるのに時間がかかりそうなのが難点ではあるのだが。