稲垣智子個展「三番目の娘- the third daughter -」

稲垣智子個展「三番目の娘- the third daughter -」(MAISON D'ART)に行く。
 稲垣智子は 今年の春の「OSAKA ART KALEIDSCOPE -OSAKA 04- 」 *1で「春」という花を沢山使ったインスタレーションを見てそれ以来気になっていた作家で、この日は台風接近もあり、気がせいてはいたのだけれど個展は初めて見ることもあり、最近見逃してしまった展示も多かった反省からも初日ではあったけれど会場のMAISON D'ART*2まで出掛けてみた。
 前に見た「春」は映像と花、石鹸を素材にした立体彫刻を組み合わせたインスタレーションだったのだが、今回は写真と映像を組み合わせたインスタレーション。会場に入ると手前の台の上に本がいくつか置いてあって、これをゴム手袋をはめてめくって見ると、本は印刷してなくて白紙なのだが、1冊の本に1枚ずつ女性を写した写真(右上写真はその1枚)が挟み込まれている。右側の壁には手を身体の前で合わせて祈っているようなポーズをとっている女性の写真が何枚か貼ってあり、部屋の奥には白い台があって、そこにはやはり女性が着衣のままピンク色の粘液のようなものを浴びて、それをシャワーで洗い流している映像が映されている。

童話に出てくる「三番目の娘」は清らかで美しく、王子様と結ばれる運命を持っています。展覧会では、この架空の「三番目の娘」をテーマに、童話の中のステレオタイプ的な女性、恐怖、聖なるものを現在に置き換えることにより、その意味が反転するかもしれないという危うさを見せていきます。

 実は今回の展示は上のコンセプトと写真を見ただけではなんのことなのかが分かりにくいというかほとんど分からなかった。初日ということもあり、この日は会場に作家本人がいて作品のコンセエプトについて聞いてみて初めて分かったことが多い。「三番目の娘」というのは童話に登場するヒロインに3人姉妹の3人目という設定が多いということから取り上げた主題らしい。ようするにここでは童話に出てくるようなヒロインと童話のように王子様を待っているだけじゃ生きていけない私たち(=現代女性)が対比されているらしいのだが、なかでも本に挟み込まれていた6枚の写真はそれぞれ作者である稲垣が童話のイメージから撮影した写真らしい。そういう風に言われて改めて見直すと右上の写真は「白雪姫」であることがあまりにも明らかである(笑い)。
 右上の手にリンゴを持って横たわっている女性の写真は展覧会のフライヤーにも使われていて個人的に結構好きで気にいっているのではあるが、なんとなく違うようなとは薄々気がついてはいたが、6枚の写真を見ても作者に聞くまではなんとなくセルポートレイトと勘違いしていたぐらいで、美術を見る人としては筋金入りのだめだめぶりを発揮していたのだが、逆にいえばこの展示のコンセプトは今回の展示では作者に説明を聞かなかったら、まったく分からないだろうと思ったのも確かなのである。
 現代美術においてはすべてがそうだとはいえないものの、作品として展示されている「モノ」と作品の「コンセプト」が両方そろって初めて面白いというものが多いのだが、この展示では「モノ」と「コンセプト」の関係のあり方について改めて考えさせられた。
 「コンセプト」は所詮コンセプトだから、実際の作品を見る時にあまりにも過剰に説明が書いてあったりすればうっとうしくてしょうがないし、作家としても見る側の自由な解釈の余地を残したいのが心情だと思う。一例を挙げれば、右上の写真の表題が「白雪姫」とはっきり書いてあったら(そういう写真もあるけれど)興ざめだと思う。今回だけではなくて、「モノ」と「コンセプト」に関していえば先日小沢剛展を東京で見にいった時に初めて「ヴェジタブル・ウェポン」をインスタレーションとして見て、それまで写真としては何度か見ていてピンと来なかったのが、ビデオでどういう趣旨の作品なのかを見た後で写真を再度見て、「こういう作品だったんだ」と気がつき感動のような感覚を覚えた瞬間があった。
 「三番目の娘- the third daughter -」の展示は面白くはあったのだけれど、同じ作家の作品をアートコートギャラリーで見た時に全然分からなくて、今回その話もした時に実は映像の私が見なかった部分にいろいろ意味があったらしいというのも分かって、これも作家がいなくて展示だけを見たらどういう風に見えていたのだろうとちょっと考え込んでしまったのである。