維新派「キートン」

 維新派キートン(大阪南港)観劇。
 今回の維新派キートン」はデザイナーの黒田武志*1が舞台美術を担当した。維新派の美術といえば「南風」「王国」などの美術を担当した林田裕至のイメージが強いが、林田が離脱した後は松本雄吉自らが田中春雄の別名義で美術を担当してきた。今回はひさしぶりに美術にも外部の血を取り入れたわけだが、この「キートン」では黒田が美術で加わったことが、作品全体に大きな影響を与えていることは間違いがなさそうだ。
 「維新派の舞台美術製作の軌跡2004」展にも模型=写真=が展示されている錆びた歯車が多用された舞台のクライマックス場面に登場する「トマソンサーカス」という舞台美術は黒田のつくるオブジェがそのまま巨大化したようないかにも黒田らしいテイストのものだが、他にも同じく傾斜舞台に登場する並んだ電信柱が影を落とす美術などはいかにも黒田らしい創意に溢れた印象的なビジュアルプレゼンテーションであり、これまでとは一味違った新しいテイストを維新派の舞台に付け加えたといえそうだ。
 「キートン」がこの舞台のモチーフではあることは確かなのだが、ほかにもいろんな隠しモチーフがこの舞台にはあって、そのひとつが「トマソン」。もちろん、赤瀬川原平超芸術トマソンのことなのだが、このなんのための機械なんだか分からない巨大なオブジェも「トマソン」的なるもののイメージの集積からなるらしい。そういう風に見ればなぜかこの場面にも登場して梯子で出初式のようなことをやっている男たちが背中に背負っている便器も「トマソン」的な匂いがぷんぷんする代物なのだが、これは前に書いたように「泉」でもあるわけだから、松本雄吉の趣向により、「キートン」を媒介にしてここで赤瀬川原平マルセル・デュシャンが出会っていることにもなるわけだ(笑い)。
 廃墟に対する嗜好は維新派においては普遍的なものでもあって、今に始まったものではないのだが、同じ廃墟であっても錆びた金属に代表されるような黒田が提出してきている廃墟のイメージと林田裕至のある種の木造建築が朽ちていくようなビジュアルは微妙に湿度が違う。要するに黒田の方が乾いているわけだが、直接の論理的な関係はないのだが、やはり乾いたイメージであるバスター・キートンを巡る物語に黒田の美術が使われることになったことにはどこかなるべくしてなった必然のようなものを感じさせるのも確かである。
 以前にも書いた通りに今回の舞台装置はデ・キリコルネ・マグリットの絵画のような不可思議な感覚を抱かせる。

*1:黒田武志の過去の作品についてはこちらを参照http://homepage.mac.com/sandscape/