ジャブジャブサーキット「しずかなごはん」@ウィングフィールド

ジャブジャブサーキット「しずかなごはん」ウィングフィールド)を観劇。
 はせひろいちの新作のテーマは「摂食障害」。拒食症や過食症を含め、食事が普通に摂れない病気のことである。依存症の対策に取り組んでいる医療スタッフや患者、自助グループらからなる大阪の任意団体「こころ・ネットKANSAI*1」と共同制作の形で、彼らの取材協力を芝居作りに生かした。
 日常のディティールをきめ細かく描写していくことから、立ち現れる日常の隣りに潜む非日常性(幻想)の世界を舞台上に具現していくというのがジャブジャブサーキット=はせひろいちの作劇のひとつの方法論となっており、今回のようなジャーナリスティックな内容とこれまでつちかってきた幻想性をどのように共存させていくことが可能なのかというのが、この公演の注目点であった。つまり、演劇が現実における諸問題にコミットしていくことは確かに重要なことではあるのだが、そうすることによってその作家の本来持つ資質が損なわれてしまうと本末転倒になりかねないと若干危ぐしていたのである。
 主題のデリケートさと、その重さから逃げることなく立ち向かいたいという作家の誠実さもあって、脚本には苦労したと聞いたが、結果的には先ほど述べたことは杞憂に終わり、非常に面白く、しかもはせの個性も生かされた舞台に仕上がった。
 依存症を治療するクリニック。そのクリニックの一室が舞台となって物語は進行する。登場人物は医者(小山広明)と医療スタッフ(村松綾)、それにここに入院したり、通院しながらカウンセリングを受けている患者たち(小関道代、永見一美)。依存症にはもちろんアルコール・薬物依存をはじめいろんな種類があるのだが、ここで今回取り上げられているのは「摂食障害」、特にこの芝居のなかでは過食嘔吐(噛み吐き)という症例を治療している現場がかなりリアルに描かれていく。
 その一方で演劇的の仕掛けとして冒頭から1人の女性(岩木淳子)が舞台上に登場していて、米を研ぎながら、おいしいお米の作り方のような話をほかの登場人物とかかわりなく、客席に向かってしている。これは患者のような服装をしていることから、最初は入院患者が迷いこんできたのかと思わせるのだが、しばらく舞台を見ているうちにこの人物はここには現実のものとしては存在しない幽霊のような存在であることが分かってくる。
 彼女の存在は劇中で直接は説明されないのでそれがなんなのかというのが観客の頭にまず引っかかってきて、気になってくるようにこの芝居は計算されて作られていて、それが治療の現場を描くという作家の作業にある種の異化効果のように働くことで、現実べったり、取材ありきの芝居になってしまうことから、この舞台を救っているわけだが、そのあたりの微妙な距離感の取り方がはせの作劇の巧妙なところである。
 はしぐちしんが演じるいかにもうさんくさそうな人物が訪問して、かつてこのクリニックに入院していて退院後自殺した女性のことを探るような発言をしはじめたりするところから、この物語はしだいにミステリの謎解きめいた筋立てに変化していく。この人物は亡くなった人の個人サイトの管理、つまりネット版の墓守のようなことをニュービジネスとして行おうという奇妙なことを考えていて、ここでのはしぐちの人物造形にはゴーゴリの「死せる魂」isbn:4003260562チコフの現代版を思わせるグロテスクさがあって面白いのだが、そのビジネスへの準備の一環として自殺したモデル出身のアイドルのサイトを調べているうちにそこに奇妙な書き込みを見つけ、その死の周辺になにかおかしなことがあったのではないかと疑いはじめた、というのである。
 しかも、どうやら死の直前にはなにやら文字化けした書き込みがあって、それだけではなく、さらに調べてみるとなにやらサイトのBBSには他にもそうした文字化けした文章のやりとりがあり、これがどうやら暗号のようなもので、なにかのキーワードがそれを解く鍵になっているのじゃないかという話になってくる。
 こうした謎解きの要素を物語を観客に飽きさせずに見させるためのドライビングフォースとしていくのははせのほかの作品でも見られる手法でいわば常套手段といえなくもないが、「しずかなごはん」がよく出来ているのは解かれた謎が本格ミステリのように過不足なく解消して、解決するのではなく、冒頭の幻想場面と円環を描いて、なんともいえない余韻を残して終わることである。
 もっともこの芝居でははせのサービス精神からか暗号解読の場面*2が、なども用意されていて、ミステリ劇としては若干やりすぎのきらいもないではないのだが、なかなか笑わせてくれる。
 「しずかなごはん」ではこれまでわき役ないし、ワンポイントリリーフ的飛び道具として「非常怪談」のモスグリーンの服を着た男をはじめ印象的な役を演じてきた小山広明がこの芝居の主題を担う現場で闘う医者の役を好演し、役者としての成長ぶりを見せた。幻想の女性を演じた岩木淳子もここ最近少年王者館をはじめとする客演によってつちかってきた経験を生かして、会話劇ではない演技を見事に演じて忘れがたい印象を残した。はしぐちとのダブルキャストとしてこの日は出演のなかった栗木己義らベテランの看板俳優が出演していないにもかかわらずその不在を感じさせなかったことは劇団としての成長ぶりも感じさせてくれた公演であったと思う。
 公演の企画としてはそれが目的でもあるのだと思うが「依存症」ってなんだろうということにもいろいろ考えさせられた。摂食障害やアルコール・薬物依存症というのは分かりやすいのだけれども、考えてみればネット中毒や携帯がないと不安でしょうがないなんて症状も一種の依存症には違いない。こうした「依存症」がどのような論理的な構造を持っているかについてはグレゴリー・ベイトソン*3が分析していたのを以前読んだことがあって、けっこう面白かった*4のだけれど、結局、その状態から脱するために一生懸命頑張ったりする行為がむしろ「依存症」的な傾向を強化する方向に働くことがあるというのが、この種の問題の難しいところで、確かアルコール依存を例にそのことを説明していて、非常に興味深かったという記憶がある。
 ベイトソンの分析のように「依存症」をはじめとするある種の精神性疾病というのは「関係性の病理」から生じてくるものであって、それを主題として取り上げることを「関係性の提示」を方法論の基幹とする「関係性の演劇」が担うというのはきわめて興味深い事例であった。
 最後に表題の「しずかなごはん」は表向きは芝居の進行にともない解明されるあることを指しているわけだが、「非常怪談」「マイケルの冗談」などといったはせの過去の作品の表題のつけ方から勘案するに「静かな湖畔」という歌から取っているに違いないという確信があるのだけれども、そんなのでいいのか(笑い)。
 

*1:[こころネットKANSAI]社会全体が不安・不信・不透明感であふれる現代において、心身に問題を抱え、精神科・神経科に入院・通院する当事者と、その援助者、そして意思ある市民によって設立。一人一人が持つ生きる力と能力を交流させ、共に生きることで学び、そして楽しめる活動をじっくりと根付かせ、心の健康問題の改善とこことろからだのバリアフリー社会の実現を目指す。

*2:ここではなんの説明も芝居のなかではされずシャーロック・ホームズの方法かなどというのが会話に登場してミステリファンをにやりとさせてくれるが「踊る人形」に登場する頻度分析のことであろう

*3:「精神の生態学」だったと思うのだが、手元に本がなくて確認できない

*4:ネット検索で確認してみると グレゴリー・ベイトソン「精神の生態学 改訂第2版」(新思索社)の「第三篇 関係と病理」の中〔「自己」なるもののサイバネティックス アルコール依存症を助長する関係性、それを治癒する関係性〕という部分ではないかというのが判明した。ここでベイトソンは自らのダブルバインド理論を援用して、「共依存」の概念からなぜアルコール依存を治療するのは難しいのか分析。それに対するAAの取り組みについて解説している。非常に啓発的で「依存」について興味のある人は必読の文献だと思う。