第二回アジアダンス会議2005「デモンストレーション+ポストトーク」

第二回アジアダンス会議2005「デモンストレーション+ポストトーク
(京都芸術センター)を観劇。

東野祥子「一つのリズムに強く結び付けられたいくつかの瞬間」
構成・演出・出演 東野祥子 音楽 豊田奈千甫 SOUNDパフォーマンス 梅田哲也 美術 Destroyed Robot
白井剛「無題」
振付・演出 白井剛
サハル・アジミ「INTERPERETATION」
振付・演出 サハル・アジミ 衣裳 Svetlana Livshits 照明 サハル・アジミ 音楽 バッハ、ダビッド・ダーリング
キム・ソンミ(金善美)「私のジ・ゴ・イ・ネ・ル・バ・イ・ゼ・ン」
振付・ダンサー キム・ソンミ 音楽演奏 佐藤一紀 照明デザイン シン・ヒュンセオン 衣裳デザイン ハン・ジンーグク

 「デモンストレーション+ポストトーク」とあるのでトークが主体で素明かりでインプロで少し踊る程度かと思っていったら、短いとはいえ、皆ちゃんと照明効果や美術なども加えて、作品といっていいものを見せてくれたので、得した気分であった。ただ、会議の性格上始まってみるまではどうなるのか分からないところがあったのだとは思うが、私と同じように思っていた人が多かったのか、これだけの内容のものを上演しながら、観客が少なかったのはもったいないと思った。仕事の関係で黒田育世山下残らが参加する3日目の「デモンストレーション+ポストトーク」は見ることができないのだが、この日の舞台を見たらそれも見たくなってしまった。残念。
 「一つのリズムに強く結び付けられたいくつかの瞬間」は舞台上にいくつか梅田哲也によるスピーカーのようでもあり、オブジェのようにも見える装置が配置されている。そのなかで銀髪の鬘をつけ、銀色のボディスーツ風の衣装を身にまとった東野が踊ったソロ作品。東野の動き自体は即興であるらしいが、舞台下手で円を描いてくるくる回っていたDestroyed Robotと舞台上手の舞台装置、さらには上手に矩形に切られた照明によるスポットと空間構成が計算されている。さらに豊田奈千甫・梅田哲也の音楽はしっかりと構成されていて、東野の動きは個々の細かい動きは即興でありながら、あらかじめ音楽と照明に合わせて、どういう風に展開していこうというような大きな道筋には設計図のようなものがあるように見え、即興にありがちなラフにノリで踊っていますという印象はまったくなくソロの舞台作品としても十分に評価できる完成度を見せた。ブレードランナーに登場するレプリカントを思わせるような東野の容姿・動きも面白く、小ぶりだがソリッドでまとまりのある舞台であった。
 ポストトークでの発言によれば「劇場向けの作品とクラブなど劇場以外の空間で即興で踊るライブ活動との中間的な形態」ということらしいが、作品としての一定水準以上のクオリティーの高さを感じるし、こういうソロで踊るのを見ると狂ったロボットように見える動きや最後の方の手足をすばやくくねらせるような複雑な動きの連続など彼女はダンサーとして独自の身体言語を持っていて、卓越した存在であることがグループ作品よりもはっきりと分かる。このままもう少し煮詰めていけば世界に通用するレベルまで手が届きそうな予感さえ、舞台から感じとることができた。
 東野本人は集団でという意思が強いようだが、こういうソロやあるいはもうひとりふたり踊れるダンサーを加えてのソリッドな作品を志向した方が海外マーケットなどを考えれば早道のような気がする。BABY-Qとしての集団の活動と東野の個人の活動を分けて、それぞれ特色をはっきりさせて、方向性の違いを明確にしていくべき時期に来ているのではないかと思った。
 一方、やはりオハッド・ナハリンを輩出したイスラエルダンスはあなどれない(笑い)とナハリンを彷彿とさせるような「あほパワー大爆発」を地で行ったのがサハル・アジミの「INTERPERETATION」だ。まず、仮面ライダーに出てくるショッカーを彷彿とさせるような上下が白黒にツートンカラーに色分けされた衣装が変で、そのぎごちないともいえる動きのへなへな感にも思わず笑ってしまう。京都の笑い系劇団の雄「ベトナムからの笑い声」に登場する変てこキャラを思わず思い出してしまった。ポストトークなどを聞いているとバレエなどの伝統的なダンスの動きと自分だけの持つ個人的な身体言語を組み合わせるないし、対比させるというような結構真面目なことを言っていて、受け狙いでもないのだろうなとも思うが、どうもよく分からないところに底知れなさを感じる。とにかく、全然笑わせようとか、変てこさをだそうとか考えていないともし、仮定したならば、まるで漠のようなツートンカラーにさらに黒で覆われた目なし帽のようなフルマスクの頭の天辺に色からいえば白黒逆転しているが、オバQを彷彿とさせるような毛はないだろう、いくらなんでも(笑い)。
 韓国のキム・ソンミによる「私のジ・ゴ・イ・ネ・ル・バ・イ・ゼ・ン」は生演奏のバイオリンのチゴイネルワイゼンに合わせて踊ったもので、コンテンポラリーなダンス表現としての新味はまったくといっていいほどないのだが、特に韓国勢が3組参加していた横浜ソロ&デュオでひどい作品を見せられたということもあって、この人はダンサー・パフォーマーとして優れているということを感じさせたという意味では見ごたえのある舞台であった。
 ただ、どう考えても作品に対する構え方自体は旧態依然としたモダンダンスという枠組みの作品なのだが、こういうのが韓国の現代舞踊のスタンダードなのかもしれない。
そういえば、ポストトークで韓国の舞踊ジャーナリストと思われる女性が発言して、韓国には伝統舞踊とコンテンポラリーダンスがあるのではなく、韓国舞踊のなかに伝統的なものと現代風のものがあるのだというような趣旨の発言をしていたのだが、正直言って私にはその発言は結局のところ「韓国には日本でいうところのコンテンポラリーダンスはない」という風にしか受け取れなくて、逆にいままでいくつかの作品を見ていて、どうしてどれもこれも悪くいえば古臭い感じがつきまとうのだろうと思っていた疑問が逆に氷解したような気がした。
 一方、発条トの白井剛は完全フル即興と思われるソロを踊った。最初と最後に暗転のなかでノイズ系の音楽がかなり大音響で流れるが、それが終わると静寂のなかに舞台下手に後ろ向きで白井が立っていて、最初のうちはほとんど立ち尽くすだけで動かない。やがて、少しずつ動き出し、動きはしだいに下手から上手にゆっくりと移動しながら、大きな動きになっていくのだが、その動きはゆっくりと探り探りながら試行錯誤のなかから次の動きを決めていくという体のもので、非常にこころもとなくも見え、不安定。いわば同じ即興といっても東野のものなどとは対極にあるようなおぼつかない動きともいえるのだが、それがしだいに「大丈夫なのか」「次はどうなっちゃうんだ」と無音のなかで妙な緊張感を醸し出していき、目が離せなくなってくる。しかも、それが白井の持つ少しとぼけたようなキャラクターとあいまって、ある種スリリングな魅力を感じさせたりするから、この人は不思議なダンサーだと思う。
 デモンストレーションがよかったのに対して、ポストトークは盛り上がりに欠けた印象が否めなかった。会場で英語、日本語、韓国語の3か国語でそれぞれ通訳の翻訳をはさんでにやりとりになるので、どうしてももどかしさがあるのに加え、論点がどうも噛み合わない。質問が伝統的なダンス(これもバレエのような古典舞踊と韓国舞踊のような民族舞踊との2つの意味がある)とコンテンポラリーダンスの対比のようなことに向いたようなこともあって、そのせいで発言が海外からの参加者に発言が集中し、その分、日本から参加の東野、白井の2人は手持ち無沙汰な感じ。アジア」という枠組みで取り上げながら、ある意味、古典舞踊からも民族舞踊からも隔絶された日本のコンテンポラリーダンスの置かれた状況の特殊性が、他のアジアの国と同一の問題群を持ち得ないようなことから逆に浮かび上がったように思えたのが皮肉といえばいえたかもしれない。