オノデラユキ写真展(写真)

オノデラユキ*1写真展*2国立国際美術館)を見る。
 写真は現代美術にいれていいのかどうか、目次を書くたびに気にはなっているのだけれど、最初に目次を作る時にこういう分類にしてしまったので仕方がない(笑い)。
 昨年末に国立国際美術館オノデラユキの個展が開催されるというのを知ったときから関西では東京と比べると規模の大きな写真の個展は少ないこともあって、いろんな人に言いまくるなど楽しみにしていたのに実際に自分がいけたのはこんな会期末ぎりぎりでふがいない。
 オノデラユキの作品は森美術館の「六本木クロッシング」展や東京都現代美術館の「愛と孤独、そして笑い」展などでそのうちの一部を見たことあり、そのクールなセンスがけっこう気に入っていたのだが、こういう形で年代ごとの主要作品を一度に見る機会が持てたことは非常に嬉しかった。
 今回の展覧会は国立国際美術館の地下2階の展示室3部屋を用いた個展でオノデラが94年から10年間に製作した14シリーズ計52点の展示されている。こうして通観してみるとこの人の写真においてはコンセプトが重要だというのが分かってきて、そこのところが面白い。冒頭に写真を現代美術に入れていいのかと書いたが、ことオノデラに関していえば対象へのコンセプチュアルな切り込み方に現代美術的なところを感じた。
 ただ、もちろんそれだけではなくて「古着のポートレート / Portrait of Second -hand Clothes」「真珠のつくり方 / How to make a pearl」「Transvest」などのシリーズをオリジナルプリントで改めてみてみるとそれぞれのディティールの完成度が非常に高いということも如実に分かってくるし、下世話な言い方になるが写真自体がそのままポスターに使えそうなほどカッコいいのだ。
 実は恥ずかしいことだが、「Transvest」などは「六本木クロッシング」「愛と孤独、そして笑い」で2度も実際に作品を見ている、しかもただ見ただけでなく気になったのでかなり近づいて凝視したのにもかかわらず購入して帰った「愛と孤独、そして笑い」の図録を帰りに新幹線のなかで見るまではシルエットの人物像が醸し出すなんとも不思議な効果の方に注意がいってしまっていて、そのシルエット部分の風景や部屋のなかの調度など他の写真の画像が細かく落とし込まれていることには気がついていなかった。
 単に写真を撮るだけではなく、こういうコラージュみたいなことをさりげなく行ったり、
上のポスターにも使われている「真珠のつくり方 / How to make a pearl」のようにガラス玉を写真機のなかに仕込んで、それが光線を乱反射させて、結果的に粒子が粗く見えるような写真に仕上げたりと普通の写真家だとあまり思いつかないであろうような変なことを写真を作品化する過程に入りこませて、それが独特の効果となるようにしているのが、現代美術的を思わせる理由なのだが、これは想像するに実際には対象に対して透明ではないのにそれを装う擬態を演じがちな写真という手段をなんとか視覚化することで写真とはなにかを問い直そうという意思が働いているからではないかと思われた。
 その意味ではこの人は現代美術的とは書いたが、写真は単に表現の一手段という現代美術家ではなくて、あくまで「写真家」なのだと思う。
 もっとも、最新作の「Roma-Roma」「関節に気をつけろ!/ Watch your joint!」には若干の疑問も感じた。これもトークなどを読んで初めてそれぞれ方法論的な変なことをやっている*3のが分かったが、そうだということは写真だけを見てもよく分からない(なんの変哲もない風景写真に見えた)し、特殊な方法論をとっていることがかならずしも作品の質感にむすびついていないように感じられ、方法論だけのこだわりすぎたために作品自体に宿るモノとしての力が以前の作品に比べ失われているのじゃないかと思ったからだ。もちろん、これは単に私にはこれらの写真の面白さやよさがどうもピンとはこなかったというのにすぎないのだが。
 
 
 

*1:http://www.japandesign.ne.jp/GALLERY/NOW/onoderayuki/

*2:トークを収録した記事がhttp://www.gaden.jp/info/2005/050205/0205.htmに掲載

*3:「Roma-Roma」が2つの街の風景をステレオカメラで左右1枚ずつ別々に撮って、しかもそれは白黒写真を着色している