宮永愛子「非在の庭 そらみみみそら」

宮永愛子「非在の庭 そらみみみそら」(アートスペース虹)を見る。
 ナフタリンで造形された作品で知られる宮永愛子*1の個展が京都のアートスペース虹で行われていて、これが日曜日までということもあって、京都まで出掛けてこれを見た。この人は私が現在もっとも注目している現代美術の若手作家のひとりで、昨年はいろんなところ*2でその作品を目にする機会があったのだが、京都アートマップに合わせて開催されたneutronでの個展は見逃してしまい、今度ばかりは見逃せないと考えたからだ。
 ナフタリンの作品以外を見たことがなかったので、それを予想していったら、なんと今回は陶器による新作。板が2箇所、天井からつられていて、その上に焼き物の器が片方は数個、片方は1つ乗せてある。作られた陶器はシンプルだけど、見かけはなんの変哲もないもので、ほかに展示物はないので、ギャラリーに入って最初は「え、これだけ」と戸惑ったのだが、ギャラリーの人が「しばらく静かにしていて、音を聴いてみてください」という。最初は「そうか、サウンドインスタレーションなのか」と勝手に勘違いして聴いていても、これだと分かる音はなにも聴こえず、とまどっていると「これです、これ」と言われ、よく耳をすませてみるとかすかに小さくピンという音がする。陶器の釉薬の部分にひびが入って、割れるときの音が小さく聴こえるのだ。
 そう思って今度は意識して聴いてみると今度は聞き耳をたてているうちに連続して小さな音が聴こえてきた。この日は嬉しいことに作家も会場に顔を見せていて、初めて実際に会って話を直接聞くことができたのだが、普通の焼き物の陶器は釉薬の調合と焼き方のバランスをとることで、このひび割れが窯からとりだされた直後にピークが来て、その後はあまり割れないようになっているのに対して、ここにある陶器はそれがもう少し長い時間をかけて少しずつ割れるようにしてあるとのことで、陶器が載せられているガラス製の板から透けて見える容器の底の部分にはそれぞれが窯から取り出された日時が記入されていて、毎日、新しいものと入れ替えていくことをしていることが分かった。
 ナフタリンからなぜ今度は陶器なのかというのが最初はよく分からなかったのだけれど、
この人は目には見えない時間の流れそのものを作品にしたいのではないかと気がついてハッとさせられたためだ。
 しかも今度はそれが陶器というかセラミックスだというのが面白い。ここには置かれた環境(温度や湿度)によって多少の違いはあるとはいえ、一定の速度で揮発(蒸発)していくナフタレンとはまた異なった物質のモノとしての特性が作品のコンセプトと微妙にむすびついている面白さもあると思った。
 陶器というのはいつか割れるという性質があるわけだが、実用を考えると普通に使っているときにはできるだけ釉薬や陶器そのものが割れにくいような条件を作る時に与えてやる。
この場合はそれの逆で普通はありえない条件で釉薬を調合することで、時間をかけてひびが入るような条件をつくっているのだが、物理学的にいうとこれはあくまで確率的なコントロールにすぎなくて、「いま・ここで」という制御が原理的にできないのがセラミックスの特徴なのだ。
 というようなことをはるか昔に大学の物性の授業で学んだことを急に思い出したりしたのだが、そういえばその時に一時期ニューセラミックスなどが新素材としてはやりになって、
軽くて丈夫というその特性から金属にとって代わるというような期待がされた時期があったが、セラミックスというのはいくら丈夫でも確率的に壊れるのでエンジンのような稼動部品をそれで作るのは無理という説明もその時に聞いたことも思い出した。
 なぜそうなのかというのは正確には思い出せないけれど、量子論的なミクロな項が割れるというマクロな世界の出来事に効いてくるからではないか(これは違うかもしれない。だれか分かる人いたら教えてください)。
 たぶん、作者はそこまで考えてない気はするし、もう少し感覚的なところで素材を選択しているとは思うのだけれど、そんなことが頭のなかで渦巻いて、「定常的ではない時間の流れの視覚化」などということも想像してこれは面白いと思ってしまったのである。
 
 

*1:http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20050122

*2:思い出せるだけでも現代美術製作所のCAS東京展、大山崎山荘美術館、青山スパイラルガーデンの京都造形芸術大学の展覧会、府立現代美術センター、Art Court Frontier 2004