ナイオ・マーシュ「死の序曲」

ナイオ・マーシュ*1「死の序曲」(ハヤカワ・ミステリ)を読了。
 引越しの後、本のダンボールを少しずつ開けてみると以前買ったままで忘れていた本が発掘されていて、最近ちょこちょこ読んでいるのだけれど、これもその1冊。地主のジャーニガム家での素人芝居での出来事が殺人事件にからんでくる話で、(殺人は起こらないけれど)似たような話以前に読んだような気がするとデジャヴにかられてよく考えてみたら、ジェイン・オースティンの「マンスフィールド・パーク」なのであった。
 どうも、演劇に対するこだわりがあると思っていたら、この人はミステリをやるまえに演劇をやっていたことがあって、戯曲を書いていたこともあるらしい。それを知ってほかの作品も読んでみたくなった。
 日本のミステリでお金持ちが素人芝居をやるなんて話がでてきたら嘘くさくてしかたないのだけれど、英国ではこういうことは割と一般的なことだったんだろうか。そういえば、牧師の一人娘で、地主のひとり息子の相手役(ただしどちらも親には反対されている)だというダイアナが設定として、大学の演劇コースを卒業して、小さな劇団の末席に加わって、6週間ほどすごしたが、劇団の解散とともに女優として家に帰ってきたというくだりがあるのだが、いくら本人も芝居好きであるとはいっても当時の英国でこれは全然スキャンダラスなことじゃなかったのだろうか。作者本人も似たような経歴だということもあってのことかもしれないけれど。そういえばクリスティも演劇を習っていた時代があったみたいだし、これは実態は反映してるわけじゃないだろうけれど、英国ミステリの警部で娘が演劇をやっているのは多いような。ウェクスフォード警部がそうだし、エジンバラのスキナー警部もそうだった。あ、最初に書いたのはもちろん女優がふしだらとかそういうことをいってるんじゃないですよ。そこらじゅうから、石が飛んできそうなんでそこだけは強調しておかなくてはいけないけれど、現代を舞台にしているのはともかく、1939年という出版年代からしたら、お堅い職業の代表である牧師(しかも地方都市の)の娘が女優というのはどうなんだろうとふと思ったのだけれど、日本と英国じゃ全然違うのかもしれない。
 いや、現代の日本でも親にとっては演劇やっている娘(息子)なんかは十分にごくつぶしだ*2などという声がどこかから聞こえてきたが、これは空耳だということにしておこう(笑い)。
 会期中に蒸発して消滅していってしまうナフタリンの造形が時間の流れを視覚化しようという試みであるとすれば、この作品はちょうど同じことを陶器がひび割れる音というもので
示そうとしている。

*1:http://www.aga-search.com/165ngaiomarsh.html

*2:音楽なんかと違って少なくともそれで儲かることだけは絶対にない