「展覧会の穴」

「展覧会の穴」(GALLERY wks.)*1を見る。

「 展 覧 会 の 穴 」

「 穴 」をテーマとしたグループ展です。
出品作家は 木内貴志、 現代美術二等兵*2、 shimoken、 岡本光博の4組。

展覧会の穴埋めと画廊の壁の穴埋めを絡めた作品を制作する木内貴志。「貸画廊」と書かれた広告看板により、画廊の穴を埋める現代美術二等兵。ボーリングの球の穴を別の穴に見立てるshimoken*3。「沖縄は日本の政治的穴埋めの場」として、視覚的に穴だらけの沖縄の地図を中心としたインスタレーション作品を制作する岡本光博。それぞれが様々な解釈で「穴」を表現します。とかく「穴」が空きがちな日本の現代美術の現場において、『展覧会の穴』を埋めるべく招集された4組によるグループ展。

 木内貴志は前に同じギャラリーでやった個展が「木内貴志展 キウチトリエンナーレ2004 名前と美術」なる大層な名前の展覧会で、特にそこで展示(?)されていた「妄想ギャラリー巡り」には笑わせてもらったのだが、今回は「展覧会の穴」の表題にちなんで、ギャラリーの白壁に釘で穴を開けて「壁に穴をあけるな」と書かれた作品が展示(?)されていた。現代美術と批評性あるいはある種のアイロニーは切っても切り離せない関係にあるが、この人の場合、普通は社会におけるさまざまな問題に向けられる批評性が日本の美術界のあり方に向けられているのが特徴といえるかもしれない。
 この展覧会も元々、木内がある貸しギャラリーの予定に穴が開いて、そこで個展をやらないかと持ちかけられたことがきっかけで、結局、その時の個展の話はいろんな事情で流れたのだけれど、話が自分にあったのは嬉しかった半面、「自分は結局穴埋めのための作家と思われているのではないか。その程度の評価しかされていないのではないか」などとそのことでいろんなことを考えさせられたことが今回の企画につながったらしい。
 穴をあけて壁に書かれたメッセージとそのために開けられた穴自体が自己矛盾を起こすというきわめてパラドキシカルな構造が不条理感を醸し出すが、それが単なるギャグなのか、それとももっと深いコンセプトを持つアートなのかが、区別がつかないのがこの作品の面白さだ。くだらないと思う人も少なくないだろうが、考えてみると不条理なギャグとある種のアートには構造的な差異はないので、デュシャンの「泉」などもそういう風に考えてみるとギャグととれないこともないだろう。
 一方、現代美術二等兵が出展したのは壁に「貸画廊」と書かれた看板を並べたもの。この人たちも自らのアートをあえて「駄美術」と名乗る作品に対する構え方は現代美術に対するアイロニーに満ちているが、「貸画廊」の下に連絡先として自分たちのサイトのアドレスを載せたこの看板は自分たちが借りたギャラリーを又貸ししてしまう、それが可能だという貸画廊制度のあやうさに焦点を合わせたコンセプトアートとも見ることができる。さらにいえばこの作品は自分たちが手作りしたわけではなくて、看板屋に発注して作ったいわば本物の看板で、発注したものであって、既存の商品を買ってきたわけではないので、いわゆるレディメードとは違うけれども、これが看板ではなくて美術作品であることを担保しているのはあくまでこれが作品としてこの展覧会に展示されていることで、一応、これが文字通りに看板としての機能を果たして、画廊を借りようという人が現れることはない、という制度性に寄りかかっている。ところがそれはもし実際に借りる人が現れたら、作品から目的のために機能を果たす看板にと変貌してしまう。アートというのはそういうあやうい制度性に寄りかかってかろうじて成立しているのだということが、この看板により逆照射されるわけだ。
 この両者に比べるとshimoken、 岡本光博はかなり異なるアスペクトを持った作家である。shimokenは元々「下ネタ研究会」から発祥しているだけあって、「お下劣」感が売りなのだが、この展覧会ではボウリングのボールをお尻に見立てた作品を出展した。これはコンセプトというよりも見ればわかるというインパクト重視の作品といえるが、ここまで書けば展覧会の主題にちなんだボウリングのボールの穴がなにに見立ててあるのかは言わずもがなだ。
 岡本光博は悪意が感じられるパロディといってもいい作品にはテーストの違いはあるけれど会田誠を連想させるところがある。こちらは少なくとも今回出展された作品については沖縄の米軍基地を取り上げた作品のように批評性の対象が政治的な主題にも向いているところが、最近の現代美術の保守本流を感じさせるものの、それだけではない変なブラックユーモアがあり、そこのところが面白い。過去の作品をファイルで見たら、ドラえもん(のように見えるもの)が池の近くで横倒しになって今にも池に沈んでいきそうに見える「DOZAEMON」など思わず笑っちゃう作品もあり、やはりただものではない雰囲気がただよう。
 ただ、現代美術にはけっこう笑っちゃうような作品が多いように思うのだけれど、一度そういうレッテル(ネタモノとか、お笑いとか、関西系とか)を貼られると被差別的な境遇に置かれて、なかなかまともには取り扱ってもらえないような雰囲気が美術界には感じられる。これって、これは私の誤解かもしれないのだが考えすぎだろうか。