写真展「ウナセラ・ディ・トーキョー」

写真展「ウナセラ・ディ・トーキョー」世田谷美術館)を見る。
「ウナセラ・ディ・トーキョー」は荒木経惟桑原甲子雄高梨豊、濱谷浩、平嶋彰彦、宮本隆司、師岡浩次の7人の「東京写真」を集めた写真展である。
 関西に住んでいると羨ましくなるのは東京ではこの種の規模の大きな写真展が公立の美術館などでも頻繁に開かれていることだ。しかも、それが結構、集客しているということにも驚かされる。世田谷美術館では昨年、「宮本隆司展」が開かれ、評判もよく話題になっていたのにいくことが出来ず悔しい思いをした。今回も舞台の昼公演と夜公演の合間というあまり時間的な余裕がないところ、しかも会期末前日と追い詰められたところ*1での鑑賞だったので、駅から遠いことが精神的に負担となってしまったが、砧公園のなかにあって雰囲気的にもよいのでもう少し落ち着いた気分になれる時に来ようと少し反省した。
 アラーキーに関しては「森山・新宿・荒木」展でオリジナルプリントの大部の写真を見る機会があったが、ほかの写真家のものは現代美術の展覧会やテーマ展などで数点の写真を見たことはあっても実際にプリントを見るのは初めてであった。今回は「東京写真」ということで風景写真に焦点が絞られた選択となっているということはあるが、やはりオリジナルプリントの写真を実際に近くで見てみると写真集などで見るのとずいぶん感じが違う。
 なかでもよかったのは宮本隆司。モチーフはおなじみともいえる廃工場を写した写真だが、実際にプリントを見てみるとディティールの完成度の高さが歴然と感じられて、ますます昨年の個展を見逃したのは残念だったと死んだ子の年を数えるような羽目に(笑い)。
 高梨豊は私のイメージでは「プロヴォーグ」に参加していた人のなかで、森山大道中平卓馬と比べて地味な人という印象しかなかった(本当に失礼だ)のだが、これもなかなか面白かった。
 風景写真中心のはずなのだが、アラーキーの展示では「トーキョー・ラッキー・ホール」で覗き穴から箱状に組まれた板の内部に張られた写真を覗きこむ展示があって、写真自体は
「森山・新宿・荒木」展などで見たことがあるものが大部分ではあっても、「らしさ」を感じさせて面白かった。
 写真展に行って興味深かったのは作家が写した作品の展示ではあっても写真というのは被写体を写し取る記録でもあるというきわめて当たり前のことを再確認させられたことで、客層を写真ファン以外に写っている昔の東京の街を見に来ているという感じの人が多いことだった。おそらく、家の近所とか行ったことがある場所なのであろうが、「あ、これあそこだ」などという会話が会場のあちこちから聞こえてきて、こういう種類の写真の持つ大衆性というかとっつきやすさが、東京でやられている写真展が集客できるひとつの要因になっているのかもしれない。事実、私自身もだれの写真だったかがもはや図録がなく、あいまいになってしまっているのだが、いくつかの組写真のなかで下北沢のザ・スズナリの近くの踏み切りの写真を見つけた時には思わず、その作品の作家性などとはまったく無関係に「あそこだ」と叫びそうになったからなあ(笑い)。もっとも、宮本隆司の廃墟の写真で「これあそこ」をやっている人を目撃した時には思わず「おいおい」と声をかけそうになったのだが。

 
 

*1:最終日近くだったので図録が売り切れていたのも悔しい思いをした