ミュージカル「モーツァルト!」(中川晃教出演)

ミュージカル「モーツァルト!」梅田芸術劇場)を観劇。
作詞・脚本、ミヒャエル・クンツェ(Michael Kunze)、作曲、シルヴェスター・リーヴァイ(Sylvester Levay)、演出:小池修一郎というミュージカル「エリザベート」を手掛けたコンビによるミュージカルの再演。2002年の初演は関西ではシアタードラマシティだったが、今回はグレードアップして、梅田芸術劇場メーンホール(旧・梅田コマ劇場)での上演となった。
 初演では中川晃教のバージョンのみを観劇したが、今回は井上芳雄(6月7日)、中川晃教(9日)の両方を見ることができた。
 ダブルキャストで主役を務める井上、中川はどちらも初演の時にはまだ新人に近かったが、今回は山口祐一郎コロラド大司教)、市川正親(レオポルト・モーツァルト)というミュージカル界の重鎮をわきにまわしての堂々たる主演ぶりで、この3年という時間のなかでの彼らの成長ぶりがうかがえた。
 「エリザベート」が后妃エリザベートを中心としながらも、大規模なセットと派手な演出を駆使してハプスブルグ家の栄光と崩壊の歴史を描き出していくのに対して、こちらはモーツァルト個人に焦点を絞った小ぶりなミュージカルで、その分主役を演じる俳優のスター性、舞台でいかにして天才といわれたモーツァルトの輝きを見せるかに舞台の成否がかかってる。それだけに日本版の上演は井上、中川という若きスターの旬の輝きが大前提となっての上演といえそうだが、その重荷を背負って十分な輝きを見せてくれた。
 もっとも、東京芸大の声楽科出身で、正統派のミュージカル俳優といえる井上と16歳でヤマハ主催「ティーンズミュージックフェスティバル」を最年少で入賞を果たしたR&Bシーンの流れを汲んだアーティストである中川では役柄の印象はずいぶん違い、どちらも早熟な駿才という意味ではモーツァルトを演じるキャスティングにはうなづけるところがあるのだが、今回のミュージカル「モーツァルト」には型にはまらずいく先々で問題を起こすモーツァルトをまるである時期のビートルズセックス・ピストルズのように反逆のロックスターのようなイメージと重ね合わせて構成しているようなところがあり、その点では中川のミュージカル界における異端的な特異な存在感に役柄とのシンクロ具合においては一日の長があるように感じられた。 
 モーツァルトを主題に音楽劇を作るということになればモーツァルト自身の楽曲をどのように使うのか、あるいは使わないかは大きな問題として作り手の前に立ち上がってくることになるが、クンツェ、リーヴァイのコンビはモーツァルトの楽曲は幕間的な場面での断片的な引用にとどめ、キャストが歌唱する主要な楽曲に関してはすべてオリジナルで、しかもその曲想もクラシック的なものは最小限にとどめるという思い切った選択を行った。
 それが前に描いたモーツァルト=ロックスターのイメージ構築に大きな役割を果たしているのだが、そこのところではオリジナルのウィーン版がどうだったのかというのが分からないのではっきりと作者の意図がどこまで明確だったかというのが、いいきれぬのがもどかしいが、中川が主演した場合には声楽の正当な教育を受けている井上の場合よりはよりはっきりと現れる。
 この作品のもうひとつの仕掛けはモーツァルトを2つの人格に分けて、その音楽家としての天賦の才を「アマデ」という幼い子供の姿で演じさせ、そうすることでモーツァルトの持つより個人的かつ俗物的な人格をよりクローズアップさせたことだ。モーツァルトに関してはいろんな評伝を読んでみても天上的とも評されるその音楽と浪費家、派手好き、悪趣味といわざるをえない日常での振舞いの二重人格性が大きな謎とされているわけだが、複雑怪奇にも見えかねないその性格を2つの人格に分解して描き出すことで、より単純化して分かりやすく提示する狙いがここにはある。
 もっともその単純化の作業に影響を受けて、コロラド大司教や父レオポルドもここでは実際の姿を比べてある意味悪役的にデフォルメされているところもあり、その分深みにかける嫌いがあることは否めないが、この「モーツァルト!」はあくまでエンターテンメントの枠組みで構想されたもので「アマデウス」のようなモーツァルトの伝記的な事実に関する新解釈を目指したものではないため、そこまで多くを望むのは木によりて魚を求むの類かもしれない。