ベトナムからの笑い声「ニセキョセンブーム」

ベトナムからの笑い声「ニセキョセンブーム」(アートコンプレックス1928)を観劇。

脚本 黒川猛
ACT1 モグラパンチ
男/黒川猛 女/山方由美(フリー)老婆/堀江洋一 老爺/宮崎宏康 田畑さん/徳永勝則 甥/信國恵太 木下/松村康右(よしもとザ・ブロードキャストショウ)

ACT2 ザ・演劇ドラフト会議
オーナー/徳永勝則 編成部長/堀江洋一 脚本家/黒川猛 女優/山方由美 ビンゴ伊藤/信國恵太

声の出演
実況/ジラフ教授
解説(近江)/新海大祐(元京都教育大学野球部投手)
ACT3 クローンズ
クローン1/宮崎宏康 クローン2/松村康右(よしもとザ・ブロードキャストショウ) クローン3/徳永勝則
クローン4/堀江洋一 男/黒川猛 女/山方由美
ACT4 匠・からくり人形師
平川/黒川猛 人形師1/松村康右(よしもとザ・ブロードキャストショウ) 人形師2/徳永勝則 人形師3/宮崎宏康 人形師4/堀江洋一 人形師5/ジラフ教授
スタッフ 特殊美術/宮崎宏康
音楽/Nov.16
秘書/山本佳世
制作/丸井重樹

舞台監督/小島聡
音響/小早川保隆(GEKKEN staff room)
照明/松谷將弘(リッジクリエイティブ(株))
大道具/五木見名子(GEKKEN staff room)

 関西は笑いの本場などと言われていても、かつて遊気舎の後藤ひろひとが東京に進出して動員を大量に増やすまで黙殺されていたようにこと演劇に関する限り、先鋭的な笑いへの評価は不当に低いのではないかという気がしてならない。こういう状況の中からはヨーロッパ企画やスクエア*1のようにだれにでも分かりやすい笑いは生まれてきても、決して一時期の猫ニャーのような破壊的な笑いというのは生まれてこないのじゃかいかと思う。
 そういう逆境のなかにありながらも純度の高い笑いを、しかも笑いだけを追求し続けて孤高の存在となっているベトナムからの笑い声はだからこそ貴重である。
 笑いを追求するといっても、そのテイストが一種類といわけではなくて、笑いのデパートのようにさまざまな切り口から迫るのがベトナムの特徴だ。最近では短編を並べたオムニバス形式の公演が続いているのだが、それはひとつにはこの形式がいろんなテイストの笑いをほどよくミックスして提供するのに向いているということがあるのであろう。
 「モグラパンチ」はあえて分類すればシュール系の笑いということができるだろうか。田舎のゲームセンターのようなテーマパークのようないかにもしょぼい施設に迷い込んだカップル(黒川猛、山方由美)がルールも分からず、どうしたらいいのかが分からない変なゲームを次々と強要されて、途方にくれていくという話なのだが、こういうわけの分からなさが増幅して次から次へとエスカレーションしていくという笑いは脚本の黒川猛が得意とするところだ。最近は長編がないのは残念だが、最初にこの集団を知った「ザ・サウナスターズ」や遊気舎が上演した「ドッグ・オア・ジャック-改訂版-」なども当時はシチュエーションコメディなどと言われていてそうじゃないんじゃないかとどうも違和感があったのだが、大きく分けるとこの「エスカレーションの笑い」に入るのじゃないかと思う。
 普通の人が突然、理解不能な状況(異界)に巻き込まれて、困りに困るという状況から生み出される笑いというのはガバメント・オブ・ドッグスの故林広志なども得意としていた笑いの構造ではあるが、故林が日常/異界の対立軸をはっきりと構造化して、途中で関係の逆転などが入ることはあっても、構造自体にはゆるぎがないことが多かったのに対して、黒川の場合には最初に設定されたシチュエーション自体がその先の展開へのあくまでもトバ口に過ぎなくて、舞台が進行していくうちに異常な状況(というか、それをもたらすほうの異常性、あるいは異常なキャラ)がひとり歩きして、最初の設定さえどうでもいいものとなっていくところにその特徴がある。この「モグラパンチ」でも最初の2つのゲームまでは日常/異界的な対立軸にしたがって、筋立てが進行するが、結局、これは表題にもなっている最後の本当に訳の分からないところに持っていくための手段に過ぎずだから終わった後では最後の場面の印象しか残らない。
 「ザ・演劇ドラフト会議」は演劇にも野球のようにドラフト会議があったらどうなるんだろうという発想から生まれたもので、分類すれば演劇と野球の両方に対する2重のパロディといっていいのだろう。ただ、ここでもパロディ(=批評性の笑い)ではない要素が大きく入り込んできていて、それがこのネタをなんともいうに言いがたきものに変質させていっている。
 一方、「クローンズ」の笑いはあえて分類すればブラック(黒い笑い)であるのだが、これも実際にはネタとしてのブラックなテイストをクローン人間が閉じ込められているビニールシートで作られた容器のようなものとそれに裸体に近い男たちが入って熱演するというビジュアル的な情けなさのインパクトが上回っていて、本来からすればこれは脚本だけを読めばブラックではあっても笑える話ではないのにそれを役者の体当たりの演技で笑えるものに強引に仕立て上げた力技が馬鹿馬鹿しくもおかしいのだった。
 この集団のもうひとつの武器は役者でもある宮崎宏康の製作した特殊美術にあるが、「匠・からくり人形師」はそれを最大限に生かした作品。宮崎の作ったあやつり人形の造形には目を見張らせるものがあり、おおいに笑わせてもらったが、惜しむらくは今回の人形はこのために作ったものではなくて、以前に使ったことがあったものを使いまわししていたことで、観客というのはわがままなものだから、せっかくならば新作の特殊美術が見たかったという不満が残った。
 実は今回の舞台は予告段階ではひさびさの1本ものの長編だということで、ここでも書いた「エスカレーションの笑い」の特徴として、まさに抱腹絶倒なんども椅子からころげ落ちそうになった最高傑作「ハヤシスタイル」のように長編でより生きるものではないかと思っているので、そこのところは残念であった。次回公演こそ期待したいのだが、どうなるだろうか。
 

*1:念のために言うが決してこれらの劇団の笑いを否定しているわけではない