「姑獲鳥の夏」@シネフェスタ

姑獲鳥の夏」(実相寺昭雄監督)をシネフェスタで見る。
 京極夏彦京極堂シリーズの待望の映画化だというので、最初に聞いた時から注目していたのだが、気がついたらこの日がシネフェスタでは最終日。慌てて出掛けた。「姑獲鳥の夏」を映画化するって最初に聞いた時から疑問に思っていたのはあのメイントリックをどうやって映像化するのかってことだったのだが、映画を見ての感想は一応成り立っているように思うけれど、これじゃ分かりにくくて効果としては薄かったのじゃないかなというところ。この映画を見て改めて考えたのは映画と小説というのはメディアとしてやはり全然違うのだなということだ。
 京極夏彦の魅力は凝りに凝った構成と叙述の妙にあると思っているのだが、そのなかのひとつに一人称による主観的描写の多用というのがある。京極流の妖怪というのは実体があるものではなくて、人間の脳のなかにある現象だということがあって、この「姑獲鳥の夏」は処女作だけにストレートにその特徴が出ているわけだが、壊れた一人称描写というのは小説のなかでは最初は違和感があってもしだいに慣れてきて、その不自然さというのを感じなくなるということがあって、それがミステリ的な仕掛けになっているのだが、それを一々映像でやるとなるとどうにも主観的描写にともなう映像の描写が映画を見ていてうざったく感じられて、どうもうまい具合に機能してないんじゃないかと感じてしまう。