宮永愛子「ほつれない糸」(立体、インスタレーション)

宮永愛子「ほつれない糸」(neutron)を見る。
 ナフタリンで造形された作品で知られる宮永愛子の個展をneutronで見た。前回見た個展*1が陶器を使った作品だったので今回はどんな趣向のものをと期待していくと今回の作品も再びナフタリンを使った作品。とはいえ、これまでの最初に造形したものが時間の経過につれて、蒸発してその姿を消していってしまうというのとは全く逆のコンセプトの作品でそこのところが面白かった。
 天井から円筒状に掛けられたレースのなかに透明な円柱状のパイプがあって、そのなかには容器の上の方から一番下まで細い針金のような素材で作られた縄梯子のようなものが吊るされている。逆にコンセプトと書いたのは今回はその円筒の下の部分に隠されたナフタリンのような化学物質が置かれていて、一度揮発したその物質が円筒と梯子の上で再結晶化されて、下の方から透明な壁と縄梯子に付着してきていて、会期中にそれがしだいに増えていくことが見られるようになっていることだ。
 「この人は目には見えない時間の流れそのものを作品にしたいのではないか」と以前書いたのだが、この作品などはそれが今まで以上に分かりやすく具現化された作品ではないかと思う。この作品を見ていたらずっと昔に読んだスタンダールの「恋愛論」に出てくるザルツブルグの小枝のことを思い出した。ザルツブルグは、オーストラリアにある小都市で、岩塩の鉱山がたくさんあるところで、その鉱山の廃坑の中に、葉を落とした木の小枝を投げ入れ、2.3カ月放置しておくと、その小枝は、塩の結晶に覆われ、あたかもダイヤモンドで出来てるかのように、輝く存在となる。スタンダールはこれを比喩として使って、本当の恋愛とは、「異性(小枝)が、自分の心(廃坑)の中で、ダイヤモンドの様に煌く存在になること」としてこれを結晶作用と名づけているのだけれど、ここで連想したのは「恋愛論」の方ではなくて、その例えの元になった小枝に張り付いた結晶の方である。
 もちろん、宮永愛子の作品にもメタファー(隠喩)として読みとれそうな要素はいろいろあって、ここで結晶化するのが小枝ならぬ梯子状の金属の線であり、展覧会の表題が「ほつれない糸」であることも勘案すればそこからはいろいろな解釈が読みとれそうなところがあるけれど、この作品が面白いところはかならずしもそういうところではなく、レースにしろ、透明な円柱にせよ、その中に封じ込められた梯子にせよ、そこはかとなく繊細なところがあって、それが女性の作家ならではの美意識を感じさせられ、そういうところが思わずいいなと思わされたのである。
 残念なのは以前にナフタリンが消えていく作品の時に会期末にいったらほとんど作品が消えていて造形がほとんど分からないということがあったのだが、今回は逆に会期はじまりに近い時期に行ったので、結晶がほんの少し下の方についているだけで、これはもう一度会期の終わりごろに行ってみたいと思った。