ロヲ=タァル=ヴォガ 「Ato-Saki」

ロヲ=タァル=ヴォガ 「Ato-Saki」(アートコンプレックス)を観劇。
脚本・演出・音楽/近藤和見

 ロヲ=タァル=ヴォガはともに維新派出身の草壁カゲロヲと近藤和見が結成した集団。これまで吉田神社での野外劇公演「葉洩れ陽のジギタリス」やOMSでのパフォーマンス公演「数独I〜Phenomenon〜」、会場を変えて関西10ヵ所での公演を行った【 isotope 】などを見たことがあるが、今回の舞台は映像やパフォーマンスを多用してはいるが、この集団のものとしてはきわめて演劇色の濃い舞台であった。
 全体としてはいろいろ課題も残してはいるが、アートコンプレックス1928の特異な空間をうまく生かして、照明、美術、映像、生演奏の音楽をうまく使いながら、まるでタブローを見せるかのような絵画的な場面をテンポよくつなげて、場面構成していった前半部分の演出はなかなか面白かった。
 ロヲ=タァル=ヴォガの場合、維新派の看板として一時代を築いた草壁カゲロヲの存在は大きなものがあって、これまで見た舞台ではともすればその個人的な存在感に寄りかかってやっと舞台が成立しているという状態が多かったのだが、今回の舞台では冒頭に登場して以来、草壁カゲロヲは後半、戦地から復員兵として戻ってくるまで登場しない。その間をキャリアの浅い俳優らのアンサンブルによって、演出的な仕掛けを織り交ぜながらも持たせていたのは集団としての進歩といえるかもしれない。 
 これを可能にした舞台美術、照明、音響、映像をはじめとするスタッフ陣の総合力とそれをたばねた近藤和見の演出力には会話劇中心の関西の小劇場ではなかなかない底力のようなものを感じた。
 ただ、この舞台にはいくつかの問題点もあった。最大の問題は戯曲においての詰めの甘さであろう。例えば2人の人物が乗り合わせる車窓の場面があって これはシーンとしては面白く、印象に残る場面なだけに余計に目立つのだが、この場面と物語の中心となる草壁カゲロヲ演じる南方の戦地から帰ってくる男の話との関連性がなく、これがなんの場面なのだか全然分からないこと。舞台の流れからするとこれは重要なシーンで最後にはこれが他の物語とつながって収れんするのだろうなという予想のもとにこの場面を見ていたために舞台の最後になってそれをそのまま置き去りにして舞台が終わってしまったことで、強い肩透かし感を受けた。
 取り扱った戦争という問題に対する批評的な切り込みの浅さも問題ではある。ただ、見終わっての印象ではこれは戦争を扱った反戦劇というよりはあくまで太平洋戦争は素材で、死者の思いが魂を故郷に戻らせた幽霊譚の色合いが強い物語で、よくも悪くもセンチメンタルな古風な筋立てをそのままやるとすごくべたで恥ずかしいものになりかねないところを現代演劇のさまざまな手法を駆使することでダサかっこいい的テイストで料理していくミスマッチ感覚がロヲ=タァル=ヴォガの持ち味といえるかもしれない。
 その一端を担うのがアンサンブルでの身体表現なのだが、この部分では今のところ維新派でつちかわれたメソッドの影響が非常に強い。ただ、これは「キートン」などに代表される最近の維新派の方向性とははっきりと異なるので、カゲロヲらが在籍していた少し前の維新派ということになる。
 この部分に関していえば「維新派の真似でオリジナリティーが全然ないじゃないか」という意見も聞いたし、それはうなずかざるをえないところもあるが、ロヲ=タァル=ヴォガは一昨年ここで上演された【 isotope 】の直後に主力の俳優が大量に離脱するという存亡の機を経験しており、今回の公演では「原点に戻る」というのが集団としての1つのテーマだったらしいので、ここから再スタートしてどういうものが生まれるのかについて、もう少し待ちたい。
 少なくとも今回の公演は現時点でのさまざまな問題点を露呈しながらも次への期待を抱かせる可能性は見えた舞台ではあったと思う。