中沢新一「悪党的思考」

 中沢新一「悪党的思考」平凡社)を読了。

異形の王権 (平凡社ライブラリー)

異形の王権 (平凡社ライブラリー)

悪党的思考 (平凡社ライブラリー)

悪党的思考 (平凡社ライブラリー)

 中沢新一の「僕の叔父さん 網野善彦」という本が気にはなっているのだけれど、まだ読んでなくて、ちょうど最近以前に一度読んだことのある網野、中沢の著書が文庫で出ているのを見つけて読んでみた。
 その結果、びっくり。知ってる人はとうに知ってたのだろうけれど、中沢新一の「悪党的思考」を最初に読んだのが網野の著書より先だったので、この本の最初の部分が現代思想テクニカルタームを駆使して、網野史学(というか「異形の王権」そのもの)をパラフレーズしたものだったというのは当時は全然気がつかず、今回2冊を続けて読んだせいで初めてそのことがはっきりと分かった。
 「異形の王権」の最後に載っている「異形の王権―後醍醐・文観・兼光」と「悪党的思考」の最初の歴史の「ボヘミアン理論へ」「真言立川流と文観」は中沢のある意味、華麗なそして過剰すぎて空疎にも見えかねないレトリックを無視して、虚心坦懐に読んでみるとほぼ同じことが書かれているように思われた。網野史学の背景にある思想は民俗学で、それこそが網野が日本史のアカデミズムの世界では受け入れられなかった理由とも思われるが、そこの部分を中沢は西洋起源の文化人類学構造主義ポスト構造主義の思想でパラフレーズしているわけだ。ニューアカデミズムが日本に華々しく登場してきた時代の著書で中沢はそのリーダー的存在のひとりと目されていたわけだが、使っているタームの用法にもそういう空気がありありで例えば「歴史のボヘミアン理論」とか、今読むとちょっと恥ずかしい(笑い)。