「What I'm doing-山沢栄子・赤崎みま」(サードギャラリーAya)

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 赤崎みまは2年前にギャラリー・フェニーチェ「花鳥風月の遺伝子」展*1でその作品を見て以来気になっていた写真作家。その後、一度個展を偶然見たことはあるのだが、今回関西ではひさびさの展覧会が写真ギャラリーのサードギャラリーAyaであるというので出かけてみた。
 もっとも、今回の展覧会は赤崎の個展ではなくて、山沢栄子という写真家との組み合わせでの展示となっている。山沢栄子 (1899-1995) は単身アメリカに渡り写真の修行をした日本の女性写真家の草分けの1人で、身近なオブジェを繊細に組み合わせた抽象絵画のような写真が特色。赤崎は祖母や母親が山沢に写真を習っていたため、山沢の存在はずっと身近にあり、晩年には自分の作品を山沢に見せてアドバイスをもらっていたともいい、いわば「山沢の最後の弟子」ともいえるような関係が2人の間にはあった。
 実は山沢の写真を実際に見たのはこの日がはじめてだったのだが、今回展示された作品などもとても80を超える(ひょっとしたら90を超えていたかも)老人が撮ったとは思えない瑞々しい感覚が感じられた。写真に色遣いというのも変だがアブストラクトの絵画を思わせるような鮮やかな色が写真の上で跳ねているような感じ。なにが写っているのかはすぐには分からないのだが、机の上に色紙のようなものを置いて、それが机の上に立ててある銀紙のような反射する板にぼやけたまま写りこんでそこに一見色だけが配置されているかのような効果が生まれている。ここで説明したのは上のフライヤーの写真ではないが、左が山沢、右が赤碕の作品である。
 一方、赤崎は現在は光が遮断された部屋で植物に色のついた光をあて、暗闇のなかにぼんやりとその被写体となった植物が浮かび上がるような幻想的な写真*2を連作として創作しているのだが、今回展示した作品はそれ以前に撮っていたシリーズ(上記右)。これも自作したオブジェに光をあててそれが透明な被写体にあたることで複雑に屈折、反射して、なんとも不思議な色合いを醸し出すもので、この写真などを見てみると、赤崎が山沢の系譜を受け継いでいることがはっきりと感じられる。
 こうした写真は分類すればコンストラクテッド・フォト(構成写真)に分類されるのであろうが、見た印象としてはむしろアブストラクトアートに近く、どちらも共通点*3としては被写体(オブジェ)に光があたってできる反射や影といったものに対しての強い執着心が感じられること。特に色にこだわってカラー写真を使いながら、いっさいの画像処理をしていない写真へのこだわりのありようが面白いと思う。
 実は作品を見ていて連想した作家にオノデラユキがいるのだけれど、白黒とカラーの違いはとりあえず無視するとしても、オノデラユキの写真展の感想*4で以前書いたようにオノデラがガラス玉を写真機のなかに仕込んで、それが光線を乱反射させて、結果的に粒子が粗く見えるような写真に仕上げるなど対象に対して透明ではないのにそれを装う擬態を演じがちな写真という手段をなんとか視覚化することで写真とはなにかを問い直そうという意思が働かせているのに対して、赤崎の場合は(そしておそらく山沢も)撮影時の照明の当て方などには試行錯誤を繰り返しただろうと思われるような徹底的なこだわりを感じても、写真のおける撮影・現像・焼付けという過程に対してはそこでなにか操作的な行為をするということに対して、
すごくストイックなのではと思わせられるところがあり、その意味では用語の使い方としては間違っているとしても「ストレート・フォト」への拘りがものすごく感じられ、そのアプローチの違いには大きな差異があるかもしれない*5
 本当は赤崎の新作を見たかったところなのだが、今回の展示は以前から気になっていた赤碕の作品がどんな風なコンテキストから生まれてきたのかが、補助線として山沢をそこに置いてみることで以前よりもすごく腑に落ちてきたところが収穫で、その意味で興味深いものであった。最後に山沢の作品ももう少しまとめて見たかったところだが、どうやら大阪市の近代美術館建設準備室に寄贈されたまま死蔵されている*6ようで、すでに美術館が実際にできるなんてことにはなんの期待も抱いてはいないが、一刻も早くそういう現代美術の所蔵作品がちゃんと見られるようになんとかしてほしい。

*1:http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20040329

*2:http://www.japandesign.ne.jp/GALLERY/NOW/akasakimima/

*3:山沢の場合にはもちろん赤崎ほどはコンセプトに対して厳密な構えというわけではなく、もっと多様な写真を撮影しているようだが

*4:http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20050412

*5:実際、現在のパソコンで写真をどうにでも加工できる時代にそれをやらない拘りには変な例に見えるだろうが、一時のクイーン(英国のロックバンド)がノーシンセサイザーとアルバムにクレジットしていた事例を想起させる。クイーンはその後、シンセサイザーを使った楽曲も演奏すつようになるが、赤崎はどうだろうか

*6:たぶんこれの91年のところhttp://saito-medialib.org/library/body_history.htm