Lo-lo Lo-lo Dance Performance Company*1「みにくいアヒルの個の定理」

Lo-lo Lo-lo Dance Performance Company「みにくいアヒルの個の定理」HEP HALL)を観劇。

 Lo-lo Lo-lo Dance Performance Companyの3回目の本公演。前2回と比べれば着実な進歩は認められるが、いまだ試行錯誤の只中というのが正直な現時点での感想だ。
 振付の田岡和己は大阪体育大学出身。アメリカ(ニューヨーク)にダンス留学してしばらく向こうで活動した後、帰国し、大学同窓の矢内原美邦の率いるニブロールにダンサーとして参加。大阪芸大出身でマキノエミのカンパニーなどで活動していた井口明子らと一緒に昨夏にLolo-Loloを結成した。
 今回の公演において十全に成功をおさめているとはいいがたいものの、振付の方向性には面白い部分があった。バレエやモダンダンスの既存のテクニックを廃し、そういう西洋的な規範から離れたところにムーブメントの規範を求めようというのが、最近の日本のコンテンポラリーダンス(特に東京のダンスにそういうものが多い)の傾向となっているが、今回の公演で田岡が試みた、あるいは少なくとも試みようとしたのはそういういわゆる「非ダンス文脈的」なボキャブラリーと既存のダンステクニックも一部取り入れた「ダンス文脈的」なボキャブラリーのミクスチャーである、と思われた。
 実は前回の本公演「REVERSIBLE」を見た時にこれは難しいと思った。それは公演のための準備段階では若干ニブロールに似ているという問題点はあっても、「非ダンス文脈的」なボキャブラリーを取り入れた面白い方向性を持っていたムーブメントが本公演になったら、ダンスとしての完成度が上がってきたのと引き換えにほとんどすべての動きがモダンないしポストモダンダンス的なムーブメントに入れ替わってしまい、試行段階で持っていた面白さがすべて消えうせてしまっていたことで、これは田岡に限られたことではないが、彼女のように欧米での活動時期が長く、向こうでダンサー・振付家として訓練されてきた人の場合、その規範から自由になるのは簡単なことではないのかもしれないと考えされられた。
 だが、今回の公演では前回公演とは明らかに違って、モダンダンス的なのとは明らかに異なるムーブメントが随所に取り入れられていて、この集団としてやりたい方向性がよりはっきりしてきた。ムーブメントもそれが単純にニブロールに似ているといえるようなものではなくなり、将来この集団のオリジナリティとなりうるような動きの種のようなものもところどころで見えた。
 ただ、現時点では試行錯誤の只中と冒頭に書いたのはこういうそれまでのポストモダンダンスの文脈にはないような動きを作品のなかに挿入していくときの方法論がまだはっきりしなくて、部分部分でブレが感じられるのだ。
 ひとつは例えばニブロール矢内原美邦が取っているような西洋のダンスが持っているクリシェのようなものを振付全体から周到に排除していく方法。もうひとつは「非ダンス文脈的」な動きを部分的には取り入れながらも、全体の処理は既存のダンステクニックも生かすように融合させる方法。そして、3つめはモダンダンス的な動きと「非ダンス文脈的」を融合させるのではなく、それぞれはそれぞれとして同時に舞台に上げ、演出的に対比されていく方法。
 今回の舞台ではその3つがいい意味で渾然一体となるという風には行かないで、どっちつかずにまだら状に舞台に乗っけられているため、なにか見ていて方向性がはっきりしないというか、幕の内弁当みたいというか、全体としてのトーンがはっきりしないものになってしまっていたのだ。
 こうなった理由はよく分からないところもあるが、ひとつは最初の方法論ではニブロールとの差別化が難しいと判断した田岡が本当は2番目の戦略を取りたいのだが、今の段階では本当にそれが可能かどうか分からなくて、方向性を決めかねているふしがあるという風に私には見えた。
 実際、第一の方法が方法論的には分かりやすいし、ぶれもないはずだし、そちらの方向から田岡の試みを見ればまどろっこしいことをやってるように感じるだろうが、既存のテクニックをすべて捨て去るという無手勝流の方法が唯一の解決策なのかというのにはこれまでも若干疑問も感じているところもあって、ここからどんなものが出てくるのかを興味をもって見守りたい思いもある。
 今回の公演についてもうひとつの問題は振付以外のいろんな要素、すなわち音楽、衣装、メイク、照明などの方向性に彼女のダンスそのものが志向する方向性とのズレを感じさせられたことだ。まず、舞台を見ていてどうにも気になったのが、あまりにも異様だったメイクである。鳥をイメージさせたからこうなってしまったのか、理由はよく分からないが、白いつけまつげと髪型があまりにも異様で、気持ちが悪い。例えばマッツ・エックの「白鳥の湖」のようにそれが狙いならそれでいいのだが、ここでは振付から本来感じられる日常性の要素を阻害しているように思われた。どうも「みにくいアヒルの個の定理」の表題と関係ありそうだけれど、演出のディレクションからいえばそうでもないみたいだし、だいたい大劇場で上演されるバレエではないのだから、今時のコンテンポラリーダンスであのメイクはないんじゃないかというのが正直な印象だった。それは程度の差こそあるけれど衣装も同じでこのダンスの方向性からいえばナチュラルメイクで十分だし、衣装も普段着に近いものに少しアクセントをつけたようなものの方がよかったのではないか。
 音楽は全曲オリジナルの音楽でそれはいいのだが、特に前半は曲想があまりにも単調。曲が変わっても、曲のイメージが大きく変化することがなく、同じようなテンポの曲が続いたので、実際以上に構成が平板に感じられて、長く感じて飽きてしまうのだ。ムービングライトを多用した照明も予算の問題もあったのかもしれないし、あえてそういう狙いがあったということも一部耳にはしたが、コンテンポラリーダンスの照明としてはあまりに安手の演劇のようなチープさがただよっていて、正直あの空間であの照明はないんじゃないか、と思ってしまった。
 今回の公演は抜粋を来週の「ダンスの時間」で再演して作り直した後、6月30日、7月1日にニューヨークのJoyce Sohoで再演の予定。全体的に(特にスタッフについて)厳しいことを書いたがこれも期待の裏返しで、ダンサーのレベルは高く、振付の試みも面白いところを狙っていると思うだけに練り直しての再演に期待したい。