A級Missing Link「決定的な失策に補償などありはしない」

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 最近関西の若手劇団の芝居をあまり見ていないと以前に書いたが、とりあえず未見の関西若手劇団を月に最低ひとつは観劇して、そのレビューを書くことにしたいと思う。その第1弾が「A級Missing Link」。土橋淳志が主宰するこの集団は、近畿大学の学生劇団を母体として2000年に旗揚げ。今年が5年目というわけなので、若手といえるかどうか若干微妙だが、とにかく私にとっては初観劇となった。
 実はこれまで最初の観劇ではあまり本格的なレビューとしては取り上げないことが多かったのだが、それはひとつにはその集団がいつもこうなのか、それとも今回に限ってそうなのかが、その舞台からでは分からないからだ。結論からいえば、今回見たA級Missing Linkの舞台「決定的な失策に補償などありはしない」は相当に面白かった。それは舞台の構成が非常に凝ったもので、そこでは一種「だまし絵」的な演劇が展開されたからだ。
 冒頭、ある部屋で男(林智宏)と女(結城佳世子)が言い争っている。どうやら、2人で芝居を共同創作しているようなのだが、題名について男と女の言う事が食い違い、男は「プレスチック・ソウル」といい、女は「決定的な失策に補償などありはしない」といい互いに譲らないところから物語はスタートする(物語A)。
 この後、暗転をはさんで舞台は一変、今度は自傷癖のある女子大生を巡っての写真部の合宿の話(物語B)と売れないお笑い芸人とそれを助けようとする姉妹の物語(物語C)、解散した劇団の仲間がひさしぶりに集まってくる物語(物語D)が交互に並行して展開していく。それぞれまったく関係のなさそうな物語だが、しばらく芝居を見ているとどうやら、後から展開している3つの物語(B、C、D)は実は最初に登場した人物が書いた戯曲に書かれた物語で、どうやら、全体が「劇中劇」の構造を取るメタシアターの形になっていることが分かってくる。
 つまり、ここではAがB、C、Dのメタレベルにある、一応、そういう風に思わせる形で舞台は進行していく。ところで、さらにAには仕掛けがあって、実は最初に出てきた2人の人物のうち女(結城)は幽霊で、男はその幽霊に憑かれて戯曲を代わりに口述筆記の形で書き上げてげていることが分かってくる。
 ところがさらに物語が進行すると奇妙なことが分かる。その戯曲を書いている女というのは物語Cに登場する劇団の劇作家で、その女が戯曲を仲間に送りつけてきているだということが分かってくるからだ。
 ここまでならばメタシアターとしての手法もよくあるものといえるが、この「決定的な失策に補償などありはしない」が面白いのはここからだ。作者はここで記述による自己言及のパラドックスのようなものをこの芝居のなかに滑り込ませるのだ。
 この舞台では特に後半、物語Dを中心にして展開していくようになるのだが、ここに登場する登場人物が「戯曲」の正体を怪しく思い、それを探りはじめる。そうすると今度はその送られてきた戯曲というのは物語Dのなかの人物のひとり(橋本博也)が書いたもので、実は冒頭に登場した人物はその偽の作者が創造した虚構なのだということになってくるのだ。
 その証拠として林智宏(はやし・ともひろ)は橋本博也(はしもと・ひろや)のアナグラム(綴り替え)であることが指摘され、さらに劇中でその戯曲が上演されたと思わせる橋本博也プロデュース「プラスチック・ソウル」という公演のカーテンコールの場面さえ演じられる。
 つまり、ここまでのところでいつのまにか地と図が逆転して、この物語は橋本博也が書いた芝居の劇中劇にすりかわってしまうのだ。(ここではDがA、B、Cのメタレベルにあるということになる)。 
 ところがこの芝居がさらに面白いのは舞台がここで終わるわけではなくて、さらに続き、最後に幽霊である結城佳世子が舞台に登場したままで、そこに作者である土橋淳志が自ら登場して、「これで終わりだ」と宣言して初めて終わりとなるところだ。つまり、ここにおいて、「幽霊がいて、戯曲を書いたという話」と「幽霊はいなくて、登場人物のひとりが戯曲を書いた」というこの物語に対する2つの読み取りはそれが相容れないものなのにもかかわらずどちらが正しいということが物語の構造のなかだけでは一意には確定できないような構造にこの戯曲は作られているのだ。
 こういう構造をきっちりと作り上げながら内部で矛盾が生じないようにするためには相当な緻密さが必要で、そうした矛盾に目をつぶって、最後に紙ふぶきを降らせたりして、勢いで見せてしまうような舞台はこれまでもあったが(笑い)、これほどのストイシズムでもって「だまし絵*1」を作り上げたことは評価に値すると思う。
 実はこの仕掛けがあまりにみごとだったので、ひょっとしたらと思って、作者である「土橋淳志(つちはし・あつし?)」の名前が橋本博也(はしもと・ひろや)か結城佳世子(ゆうき・ちかこ)のアナグラムになっているんじゃないかと思わず調べてしまったのだが、いくらなんでもそういうことはなかったようだ(笑い)。
 最初に「いつもこうなのか、それとも今回に限ってそうなのか」と書いたのはこういう凝った構造が確信犯として毎回用意されているのだとすればシベリア少女鉄道ほどの派手さはないにしても「この集団でしかできない」売り物になるんじゃないかと思ってそう書いたのだが、実際はどうなのだろうか。
 
 

 

*1:この芝居にはどうものような反転図形を連想させるようなところがある