Vincent Sekwati Mantsoe ソロダンス公演「NTU」「PHOKWANE」

Vincent Sekwati Mantsoe ソロダンス公演「NTU」「PHOKWANE」近畿大学会館)を見る。
 一昨年(2004年)に京都芸術センターでのソロ公演*1を見て以来のVincent Sekwati Mantsoeのソロダンス公演である。以前の感想として「アフリカのコンテンポラリーダンスというのは欧米では最近、注目を集めているせいもあって、幾度か目にする機会はあるのだが、たいていは彼らがよって立つ文化的な背景を共有できないせいもあって正直いってピンとこないことが多いのだが、ヴィンセントのダンスはそういうなかにあって、彼独特のショーマンシップと強靭な肉体を前面に出してのリズム感に溢れたダンスであることもあって、分かりやすく面白い」と書いたのだが、今回上演した2本の作品もそういうヴィンセントの個性がうまく発揮された作品であった。
 コンテンポラリーダンスというジャンルにはもちろんコンテンポラリーというのに恥じない、現代の切り取り方とかダンスという制度性の解体とか、そういうコンセプチャルな面白さはあるのだけれど、ヴィンセントの舞台にはもう少し根源的なダンスそのものの魅力に満ちている。
 彼の作品にはルーツである南アフリカのアフリカンダンスの要素は色濃く入ってるのだけれど、ヨーロッパ(特にフランス)を拠点として活動していることから、それ以外の現代的な要素(いわゆるコンテンポラリーのテクニック)やそうじゃない要素(例えばムーブメントにおいて、武道やアフリカ起源ではない民族舞踊=おそらく、アジアのどこかと思われる)も入り込んだ一種のアマルガムといってもいいところもあり、伝統的なアフリカのダンスとは明らかに異なるものだ。
 ところがそういうさまざまな要素を取り込んだ上で踊られるダンスは欧州風のコンテンポラリーダンスともアメリカンモダンダンスとも異なるものでオリエンタリズムの思考に取り込まれることは警戒しなければいけないが、私の目にはやはりアフリカの匂いが強く感じられる。そこのところが面白い。
 この人の踊るダンスを見ていると同じコンテンポラリーダンスであっても、最近日本で創作されている多くの作品とのあまりのベクトルの違いにちょっと呆然とさせられる。この人のダンスはこの人が持つ天性の資質に加えて、鍛えられた強靭な肉体から立ち上がるものであって、しかもただダンサーとして鍛え上げられているとか、テクニックがあるなどということを超えてVincentという個人が持つスピリチャルな部分も含めた固有性と切り離せない。
 そして、それは固有性というだけではなくて、どこかアフリカの刻印を背負っている。同じ黒人ダンサーでも彼の身のこなしにはアフリカ系アメリカ人とはまったく異なる身体性が感じられる。そしてもっと大事なのはそれが踊られる時に理屈じゃなく、美しいのだ。
 どうも抽象的な表現にばかりなって書いていてもどかしいこと、このうえないのだが、まさに百聞は一見にしかず。舞台に登場して、少し動いてみせる。それだけで、ほとんどこれまでダンスの公演を見たこともないような人にも「こいつはただものじゃない」ということを感じさせるオーラがヴィンセントにはあるのだ。