野鳩「なんとなくクレアラシル(愛蔵版)」

野鳩「なんとなくクレアラシル(愛蔵版)」こまばアゴラ劇場)を観劇。

作・演出 水谷圭一

出演 佐伯さち子 畑田晋事 堀口 聡 村井亮介 菅谷和美★ 山田桐子★ 佐々木幸子★ 水谷圭一
★ 菅谷和美・山田桐子・佐々木幸子の3名はトリプルキャストです。

スタッフ 舞台監督:海老澤栄
照明:増田純一
音響:中村嘉宏(at sound)
舞台美術:仁平祐也
小道具:中島香奈子 當間英之
イラスト:天久聖一
宣伝美術:水谷圭一
制作:山田桐子 佐々木幸子
企画・制作:野鳩/(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場
主催:(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場

 表題の「(愛蔵版)」で分かるように2002年に上演された作品の再演。トリプルキャストのうちこの回の出演は以前、毛皮族などにも出ていた佐々木幸子。
 野鳩の特徴はほとんどの作品で田舎を舞台に中学生の男女の恥ずかしくも懐かしい恋愛模様がSF・ファンタジー的な設定をからめて描かれる、というもの。役者のまるで棒読みのような平板なアクセントの台詞まわしや演技の際の漫画的リアクションなどは、まるで学芸会のような下手な演技に見えかねないところもあるが、何度かこの劇団を見てみると実は非常にきめ細かく確信犯として演出されている一種の「様式」であることが分かってくる。
 ここには例えばチェルフィッチュポツドールのように方法論的な実験によって、現代を鋭く切り取ろうというような意思はまったくないが、逆に一見、世界の動きなどとまったく関係なく、自分の妄想を世界として構築しようという水谷圭一の強い意思は感じ取ることができる。そういう意味では水谷の作品へのアプローチは実際の演技スタイルこそまったく違うが劇団☆新感線いのうえひでのりを連想させるところがある*1。 
 新感線でも中島かずきではなく、あえていのうえひでのりと言ったのには意味があって、新感線では時として、劇画やB級のアクション映画などに触発されて、非常に馬鹿馬鹿しい内容の芝居をやることがあり、その場合は登場するキャラクターの演技もそれを反映したきわめて様式的*2。それと同じように演技・演出を含めて野鳩の舞台は意図的に「漫画」を模倣しているのである。
 それは演技・演出といったスタイルだけではなく、この「なんとなくクレアラシル(愛蔵版)」では内容にも反映されている。というのは、一見、この芝居の筋立てはイソップ童話の「金の斧 銀の斧」を下敷きにしているように思われるが、実際にはそうでなくて、「金の斧 銀の斧」を下敷きにして藤子不二雄が「ドラえもん」で描いた「きこりの泉」というエピソードの方を下敷きにしているからだ。
 以下ストーリーを簡単に説明すると。ある田舎に仲良しの男子中学生2人組がいる。主人公はそのうちのひとりだが、友人がグラサン先輩の舎弟になったのをきっかけに2人の関係がうまくいかなくなる。
 そこへ東京から女の子が転校してくる。メガネの冴えない感じの女の子だが、メガネをはずしたら可愛い!というベタな展開で、主人公はその子が好きになり、なんだかんだあって付き合うようになる。
 村には泉があり、そこに物を落とすと「金の斧 銀の斧」の物語のように女神が出てくる。主人公が誤って友人からもらったクレアラシルを落とすと「あなたの落としたクレアラシルは、このクレアラシルですか?」と、普通のクレアラシルよりも大きく効果も高い(塗るとすぐにきびが治る)超特大のクレアラシルをもらう。
 さて、女子と付き合いはじめた主人公は、彼女とキスしたくなるが、まだ早いわと彼女は言ってキスをしてくれない。キスをしてもらえないのは自分が弱いのが原因だと、勘違いした主人公はグラサン先輩を例の泉に突き落とし、そのせいでグラサン先輩は情けないグラサン後輩に。さらに彼女も泉に突き落とし、自分に都合のいいようなHな女の子に変えてしまう……。
 ほのぼのとした牧歌的な雰囲気を装いながらも実は物語自体は相当にブラックで悪意に満ちている。寓話的にデフォルメされた形ではあるが、最初に「一見、世界の動きなどとまったく関係なく」と書いたが、ここでの主要なモチーフがいじめの問題であるということは女の子が東京でいじめにあってここに来たというわき筋を装ったエピソードからも垣間見られるし、いじめの問題が実は権力の問題とつながっていることもここでしだいに明らかになっていく。
 実はイソップの元々の「金の斧・銀の斧」には「神々は正しい人には援助するが、不正な人にはその反対の事をする」という教訓が語られており、藤子不二雄の「きこりの泉」もよくばりのジャイアンが泉に落ちて女神(のロボット)によって「きれいなジャイアン*3に変えられてしまうというブラックな落ちはあるものの、物語の趣旨はそのまま生かされるのが、ここでは女神は逆に権力欲にとらわれた主人公に結果として奉仕するというまったく逆の形で使われることになる。
 「藤子不二雄Aの世界を藤子不二雄F(藤子・F・不二雄)の線で描いた芝居」(うにたもみいち氏)との評が2002年の初演時のインターネット演劇大賞の選考会の席上で出た(最優秀新人劇団はこの年は逃す)が、それはこの作品に見え隠れする水谷の不穏な妄想のことがいいたかったのではないか。
 そうだとすればどうして、この物語を水谷は覆水盆に返るのような「友情の勝利」のごとくな予定調和の話に戻したのか。そこのところが妄想以上に実は興味がそそられるところである。勧善懲悪というのが水谷が規範にした時代の少年漫画の約束事だったからというのがひとつの答えではあるかもしれないけれど、いつかアナザーフェースとして藤子不二雄Aの世界のままで突っ走る野鳩というのも見てみたい。
 

*1:実は水谷らこの劇団の旗揚げメンバーは大阪芸大の出身でいのうえの後輩にあたるのであるが、その事実はほとんど関係なさそう

*2:もちろん歌舞伎とかそういうことじゃなくて、橋本じゅんが演じる「轟天」のように劇画チックなものになる

*3:「きれいなジャイアン」動画http://72.14.203.104/search?q=cache:EBT3j1iOvvgJ:fileman.n1e.jp/TOP.PHP%3Fmnu%3DSHOW%26ft%3D1%26fid%3D4-182k3781+%E3%81%8D%E3%82%8C%E3%81%84%E3%81%AA%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%B3&hl=ja&ct=clnk&cd=1