毛皮族「脳みそぐちゃぐちゃ人間」

毛皮族「脳みそぐちゃぐちゃ人間」本多劇場)を観劇。
 期待の毛皮族のひさしぶりの本公演だったのだが、今回は残念ながら少し中途半端な印象が残った。物語があってもこの集団の魅力は作・演出で主演も務める江本純子のカリスマ的な魅力と華やかで楽しいレビュー場面にあるのだが、今回は物語部分があまりに中途半端。レビューとの関連性が弱いこともあって、いい時の毛皮族の公演では物語の部分とレビューの部分が相乗効果を生んで、舞台が盛り上がりを見せていくのだが、この日の公演を見る限りでは物語がレビューの場面によって分断されてしまってスムーズには流れていかないきらいがあった。
 本多劇場ということもあり、舞台美術・映像のクオリティーという面では工夫の跡が見られ、格段の進歩も感じられたが、その分、役者たちの群舞や演技を含めた肝心の芝居の部分でのアイデアが不足していて、そうした生でのパフォーマンスがそれ以外の要素に拮抗できてない。そんな煮え切らなさを感じてしまったのだ。
 予定していた公演が一度飛んでしまったアクシデントもあって、「いろいろやりたい」というのは感じられたが、今回の公演に関していえばそのせいで、公演としての軸足をどこに置くかというのがはっきりしなくなって、やや焦点がぼけてしまい結局、なにがやりたいのかが見えてこないことになっている。
 歌舞伎の「道成寺」のパロディであるプロローグ、町田マリーの主演による「脳なし人間アッコちゃん」、江本純子を中心にした「エモンシュタイン博士の片思い」、そしてエピローグの4部構成で、それぞれの部分を演出的、脚本的につなごうという努力はしているのだが、それがあまりうまくいってなくて、どうしても幕の内弁当的、オムニバスに見えてしまう。そのため、それぞれの部分でそれぞれにもうひとつ突込みが足りないという印象が強いのだ。
 ただ、そういうことはあったとしても、やはり今回の公演が物足りなくなく感じたのは、なんだかよく分からないままにとまどう観客を強引に巻き込んでいくような混沌を感じさせる圧倒的なパワーが今回の舞台からは感じられなかったことにある。
 本多劇場が広くて、かつての駅前劇場時代のような一体感のある空気を作りにくいということはあるかもしれない。が、初めて中劇場に進出したスペースゼロの公演ではここまでの空回り感はなかったから、「いったいどうしたんだろう」と心配になった。
 横町慶子は彼女だけが持つ独特な存在感を確かに見せてはくれてはいたけれども、そこで見せていたのは結局、ロマンチカの横町慶子の魅力にすぎない。期待していた毛皮族で江本が横町をどのように見せるのかというのが、いっさい見えなかったことも残念だった。江本が遠慮してしまったということなのか、発表の時期が遅れていたから、最初は映像出演だけの予定だったのが、ゲストで生で出演することが後で決まったので、江本にそこまでの余裕がなかったのだろうか。
 基本的に毛皮族はロマンチカのようなアート集団ではなくて、宝塚や東宝ミュージカルのようなメジャー志向のエンターテインメントであることにその本領があると思っているので、今回「アートだ」などと妙に意識していたことにも誤算はあったかもしれない。
 メジャー志向とは書いたけれど、毛皮族の面白さはある種のいかがしさにもあって、その意味では本来のターゲットとするべきなのは例えば美輪明宏とかそういう世界ではないかとも思うのだ。
 確かにある意味での悪趣味は今回の舞台でも発揮されたが、プロローグの観客が引いてしまうような悪乗りでも、もっと徹頭徹尾そこで押していくようなところがあればその下世話な魅力が爆発していたかもしれないが、笑いとしてもすべったまま、ただ客が引いてしまった印象がある。そこで出来た空隙を残念ながら今回の舞台では埋めきることができなかった。
 その意味では出演を聞いた時点から横町慶子の出演は諸刃の剣ではないかと思っていたのだが、今回に関してはあまりいい結果にはでなかった気がした。
 江本が役者としても作り手としても才能のある人だというのは間違いないので、このまま終わることはないとは確信を持っているのだが、まだ若いがゆえにこれまでは勢いによって隠れていたいろんな課題が一気に表面化してしまった。個人としても集団としても難しい時期にさしかかっているかもしれない。
 期待が大きいだけに厳しい書き方になってしまったが、最近の劇団の中では珍しく、エンタメの要素とカルトな要素が高いレベルでシンクロして、いずれは大劇場まで進出しそうな大衆性も持つだけに次回の公演では今回見えた壁をぶち破るパワーを見せてほしいと思う。