エジンバラ最後の夜

Guy Masterson Productions 「Animal Farm 動物農場*1(Assembly)*2
Assemblyには毎年のようにそこで舞台を上演している常連といっていい集団がいくつかあり、Guy Mastersonの率いるプロデュースユニットもそのひとつ。前に挙げた「12人の怒れる男たち」もこの集団によるもので、キャストに俳優ではなくて全員スタンダップコメディアンを起用したその舞台はきわめて水準が高く、その年のエジンバラフリンジのベストアクトのひとつと言える好舞台であった。この「Animal Farm 動物農場」は新作ではなくて、元々Guy Masterson自身が演じて95年に評判をとった舞台の再演であり、今回はGary Shelfordがたったひとりでオーウェルの小説に登場するさまざまな動物たちのキャラクターをマイム的な形態模写を駆使して演じ分けた。  

 この舞台の演劇としての面白さはそれぞれの動物についてのキャラクタライズされた特徴を身体表現でビジュアル化していくことで、数多い登場人物(というか登場動物)がそれがなんなのか(馬なのか、雌鶏なのか、豚なのか)が瞬時に分かるように作られていることで、さらに声色を使い分けるようなGary Shelfordの巧みな演じ分けともあいまって、役者の多芸ぶりを存分に堪能できるような仕掛けとなっていることだ。

 さらに今回の上演が演出的に面白かったのはシェイクスピアの上演などによくあるようなある種の現代的な見立てがなされていたことだ。オーウェルの原作自体は動物たちにより、動物の理想の農場の実現が首謀者の独裁により裏切られていく過程を描いたもので、共産主義なかんずくスターリン主義への批判がそのなかでされている、というのが伝統的な解釈であるが、演出家のTony Bonczaは舞台の最後の方に短くトニー・ブレアの就任時(あるいは就任前の)演説を挿入してみせることで、その当初の理想がさまざまな条件のなかで裏切られていったというここ10年ほどの英国の状況と重ね合わせて労働党政権を揶揄してみせる。そして、旧ソ連圏の崩壊などで風刺のアクチャリティーが失われて、現在では歴史的な価値しかないとも思われがちなオーウェルの風刺が実は人間が陥りがちな理想主義とその崩壊の全般を射程圏にいれたもので現在でもその矛先はけっして鈍っていないということをさりげなく示してみせたのである。

Cie Didie Theron「En Forme」(2回目)(St Stehen)
Kataklò Athletic Dance Theatre「KATAKLÒ」(St Stehen)
Grupo de Rua de Niterói「H2」*3(The Edinburgh Play House)
 コンテンポラリーダンスでは今年のエジンバラ国際フェスティバルにおえるメインはブラジルから来たヒップホップ(Hip Hop)系のカンパニーGrupo de Rua de Niteróiであった。ここ10年ほどの傾向としてヨーロッパではヒップホップに代表されるようなストリート系のダンスの動きをコンテンポラリーダンスのなかに取り入れるということがあって、前述のマリー・シュイナールもそういう傾向の振付だったが、このカンパニーの振付家Bruno Beltrãoの試みが面白いのはコンテンポラリーダンスにヒップホップを取り入れたのではなく、ヒップホップそのものの現代化、前衛化を志向していることだった。
 床も壁も純白に彩られた無機的な空間でこのパフォーマンスははじまる。舞台が始まると後ろの白い壁にはプロジェクターによって「Hip-hop loves the beat of the music」の文字が映し出され、大勢のダンサーが舞台に登場して、リムスキー・コルサコフの「蜜蜂の飛行」の軽快な音楽に乗せて、頭を下にしてくるくると独楽のように回り始める。Hip Hopというのがダンスの種類の名前であるとともに音楽のジャンルの名前でもあるようにこの種類のダンスにはアメリカの文化のなかから生まれたということの出自と切り離せないところがあるのだが、Bruno Beltrãoはそういう背景から純粋にムーブメントのストラクチャーだけを切り離して、分析しそれを再構築した時にそこからどんなものが生まれるのかというきわめて刺激的な実験をこの作品のなかで試みてみせる。
 軽快なクラシック音楽に乗せての冒頭の場面はその最初の試みだが、この部分はまだ挨拶のようなもので、ここから通常のヒップホップでは考えられないような場面が続く。しばらくすると「Hip-hop loves the beat of the music」から「of the music」の部分の文字が消えて、「Hip-hop loves the beat」が残るのだが、ここではビートといっても現代音楽といってもいいような非常にゆっくりとした重低音のビートが時折鳴り響くだけで、後は無音な状態のなかで、ひとり、あるいはふたり程度のダンサーが交互に舞台に登場して、ヒップホップの動きのうち、ある特定のムーブメントだけを取り出したミニマルな動きを長い停止の間に何度か繰り返す。
 この部分はまさにヒップホップの解体であって、私にはこのパフォーマンスのなかで一番興味深かったとことなのだが、ダンスとしてはまさにミニマルでヒップホップというと連想されるようなグルーブやエンターテインメントの要素は完全に剥ぎ取られたある種のポストモダンダンスのようなところがあり、観光客中心にノリのいいダンスを期待してきていたと思われるエジンバラの観客には明らかに戸惑いがあり、落ち着きがなくなっていたり、耐え切れなくなってか席をはずして途中で帰ってしまう客も現れたりして、「どうなってしまうんだろう」と心配になったりしたのだが、その後ちょっとしたコミックリリーフ的に挟み込まれたHip-hop loves」になってからの男性ダンサー同士のいちゃつき合いやキスの場面をへて、最後の10分間はフランスのバンドCQMDの音楽に乗せて、ハイスピードでの超絶技巧のダンスが展開される。
 実はこの最後の部分に関してはYOU TUBE上に動画*4を発見したので興味のある人はそちらを参照してもらいたいのだが、ここではミニマルな場面で登場したダンスのムーブが振付の部材として使われており、それを脱構築することでそこにヒップホップのムーブメントを基調としていながら、いわゆるヒップホップダンスとは違うダンスのストラクチャーがヒップホップではない音楽の元に現れていることに気がつくと思う。 
「Nevil's Irland」(C central)