ドロシー・L・セイヤーズ「殺人を広告する」(創元推理文庫)

ドロシー・L・セイヤーズ「殺人を広告する」を(創元推理文庫)を読了。

殺人は広告する (創元推理文庫)

殺人は広告する (創元推理文庫)

 セイヤーズを読み直そう第6弾。この小説などを読んでみると、P・D・ジェイムズがドロシー・L・セイヤーズのことを好きだというのがよく分かる作品。この2人、時代的には離れているのだけれど、ともに英国オクスフォードの出身で、セイヤーズはオクスフォード、ジェイムズはケンブリッジの女子校を卒業後、ともに食べていくために職業についたのも共通している。ジェイムズには看護婦の経験があって、それを生かして病院や医療機関、研究所などを舞台にした作品を数多く書いているのだが、ドロシー・L・セイヤーズの方は広告代理店にコピーライターとして勤めていた経験があって、それを生かして広告の世界を舞台に描いたのがこの「殺人を広告する」なのである。
 このシリーズのヒロインであるハリエット・ヴェインも登場しないし、セイヤーズ本人が「気に入らなかった作品でそれというのも書きたかったものじゃないから」などと出版社あての手紙に書いたりしているせいで、一般的な評価の方はいまひとつのようだが、現代ミステリの先駆という意味では特筆すべき作品ではないかと思う。
 ルース・レンデルの「ウェクスフォードものは食べるために仕方なく書いている」発言をはじめ、この手の作家自身の言説というのは私はかならずしも本当の本音かどうか、怪しいと思っているのだが、この作品についても同じ。というのはそれまでの作品と比べても、作中に実際に出てくる広告コピーの凝りようといい、これを書いているセイヤーズの筆致は「嫌々書いてる」とはけっして思えないほど、楽しそうだからだ。
 職業婦人(という言葉はほとんど死語だが)だったセイヤーズにとって、自ら造形した貴族であり働かなくても暮らしていける有閑階級であるピーター・ウィムジイ卿は憧れの存在の具現化ではあったのかもしれないけれど、この作品ではそのピーター卿が潜入捜査のためとはいえ、広告代理店に就職して、文案家(コピーライター)の仕事に従事することになる。そして、そのなかでこの仕事の持つ魅力に開眼していくことになるという設定などはこの小説のなかで登場人物のせりふとしては広告業界についてのシニカルな見方なども出てきていても、全体としては自らも従事したこの仕事に対する誇りと自負心を感じさせるところが、興味深い。
 ただ、これまでの作品ではそれほど気にはならなかったのだが、この時代としてはものすごくモダンなタッチで企業とそこで働く人々を活写した作品だっただけに浅羽莢子の擬古典な翻訳は少し気になった。一例を挙げればコピーライターが文案家。ほかにも「製造業者」「広告主」。確かめたわけではないが、たぶん原語ではクライアントで、昔も今も変わらないと思うのだが。実はもっと気になるのはこの小説に出てくる実際の広告コピーや商品名がどうなのかってことなんだけれど、これは英語のいいまわしを生かしながら、日本語でも日本の広告のコピーとしておかしくないものを作る*1っていうのは翻訳家がセイヤーズと同等以上の能力を持つプロのコピーライターじゃないかぎり難しかっただろうと思う。翻訳家の浅羽莢子氏はつい最近亡くなられたようで、そんな時期に翻訳に文句をつけるのは礼を失した行為かとも思ったのだが、浅羽氏自身にはこのシリーズの翻訳における調子の統一性ということがあり、こういう訳になったんだと思うし、それゆえ、翻訳文があえて確信犯としてレトロな感じになっているのだとは思うが、それまで気にならなかったその文体が気になるということ自体が、ある意味、「殺人を広告する」がどんな作品かを表していると思ったのである。
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*1:実はこの作品のコピーの翻訳にはそれ以上の何重かの意味の無理難題というのもあるわけだが、それを考慮に入れなくても広告文は韻を踏んでたり、なにかの引用だったりすることも多いので、俳句の英訳クラスの難しさはあるだろう