「踊りに行くぜ!!」in松山@松山総合コミュニティセンター

踊りに行くぜ!!in松山(松山総合コミュニティセンター)を観劇。

出演=宇都宮忍・高橋砂織(yummydance)(松山)「エイムデプス」/KENTARO!!(東京)「井上君起きて、起きてってば!!」/高野美和子(東京)「Flatinum Body フラチ不埒なボディ身体」/Ko&Edge Co.(東京)「DEAD 1+」

「踊りに行くぜ!!」in松山は今年3ヵ所の「踊りに行くぜ!!」。福岡、青森とは違って松山へはyummydanceの公演を見に行ったことはあっても、「踊りに行くぜ!!」は今回が初めて。上の写真が今回の会場の松山総合コミュニティセンターというのはもちろん真っ赤な嘘(笑い)でここは道後温泉本館松山空港に着くやいなやそこからタクシーを飛ばして、一目散にまずここに駆けつけたのであった。
 松山の「踊りに行くぜ!!」は会場ともなっている松山総合コミュニティセンターが主催。とはいうものの出演の2人を別にして、yummydanceのメンバーが受付にグッズ売り場に公演会場にとそれぞれ分担して重要地点に陣取っていた。そういう意味で自分たちが自分たちのために頑張っているという手作り感の強い感覚の運営でそれは今年行った会場のなかでもホール・財団の主催から実行委員会に引き継がれ大勢のボランティアスタッフが参加した福岡や広島市現代美術館の主催公演となった広島、地元のアートNPOが中心になって開催された青森ともまた違う雰囲気であり、地元の若いアーティストが主催者側として全面的にかかわって、こじんまりとはしていても、熱意はどこにも負けない、という空気が感じられ好感を持った。
 会場は広さの割りに天井が高い空間であったので、普段なにに使ってる空間なのかな、稽古場だろうかと不思議に思ったのだが、松山総合コミュニティセンターには小劇場空間がないので、終わってバラシになってからはじめて分かってびっくりさせられたのだが、プロセミアムの大劇場のそでの部分に客席を設営して、舞台上をあたかも小劇場空間のように使っているのだった。
 松山で驚かされたのは観客層の若さである。松山は典型的な地方都市でもあり、人口は決して多くはないが、松山大学愛媛大学の2つの大学があってそのどちらもがコンテンポラリーダンスが盛んであるという非常に珍しいダンス環境を持っている。先に紹介したyummydanceなどもそういう環境から生まれたカンパニーであり、過去の「踊りにいくぜ!!」の地元選考会で選ばれたメンバーを見ても、その次の世代も育ちつつある印象があり、ロビーなどで話している会話を聞いてみるとこの日ここに来ている若い観客もどうやら自分たちもダンスをやっている子たちが多いみたいで、そういう意味ではここでの「踊りにいくぜ!!」はそれが刺激となって若い観客とアーティストを同時に育てる、というこの企画の目的がダイレクトに効果を現す可能性もあり、そこがほかのエリアと少し違うのではないかと思われた。
 実は会場に来ている若い観客のファッションを見ていて、いわゆるコンテンポラリーダンスだけではなくて、ストリート系のダンスをやっている子の比率が多いのではないかと、現地のアーティストに確かめてみると、大学のサークルでは最近はけっこう両方やっている子の数が多いということらしく、今回ストリート系のダンス(HIPHOP)からこの作品で初めてコンテンポラリーダンスの世界に本格参入してきたKENTARO!!と舞踏のKo&Edge Co.、現在の日本のコンテンポラリーダンスのひとつの傾向を示す高野美和子、地元のyummydanceとまったく傾向の違う作品が並んだ今回の松山のラインナップは若い観客へのコンテンポラリーダンス入門編としてはとてもいいプログラムではなかったかと思った。
 yummydanceは毎年のようにだれかかれかが組み合わせを変えて、この企画に参加しており、もはや「踊りに行くぜ!!」常連といってもいい存在だが、今回は宇都宮忍・高橋砂織のデュオによる参加。このカンパニーの作品はいろんな形で何度も見ているのだが、宇都宮忍の振付作品を見るのは初めてだった。そのせいか、この「エイムデプス」はこれまでに見たyummydanceの作品とはかなり傾向が違うものでこのカンパニーの懐の深さを感じさせるところもあり、そこのところがまず興味深かった。 
 これまで見たyummydanceの作品ではダンサーそれぞれのキャラクターや持ち味を生かしたり、そういう傾向のなかで関係性を提示するものが多かったのだが、今回のデュオはムーブメントオリエンテドな印象が強い。デュオ作品ながら、2人の間にコンタクトやユニゾンの動きはあまりなくて、その代わりにそれぞれがグネグネするような身体言語が多用されている。この動きは最近のフォーサイスのムーブメントなどを想起させるところが少しあるのだが、本人に聞いたところまったく意識はしてないとのこと。ただ、もともとyummydanceの発端がフォーサイスの弟子筋にあたるアマンダ・ミラーのレジデンス製作作品を一緒に踊ったメンバーが、それが終わった後で集まって設立されたということを考えれば、そういうことはこれまでのほかのyummydanceの作品ではあまり考えたことがなかったのだが、本来のこのカンパニーが持っているポテンシャルのひとつであったのだろうということがうかがえた。この作品の面白さも課題もそこのところ、つまり、これまでの作品に時折見られた「私生活ダンス」にはなっていないアブストラクトなダンスとして海外などでもそのまま通用する豊かな可能性を感じさせるとともにその分、ヨーロッパのコンテンポラリーダンスとの類似性も同時に感じさせる発展途上の部分もあって、この企画のなかで練りあげていくことでどういう作品に成長していくのか、というのがよくも悪くも一番気になる作品であった。
 一方、ダンサー・振付家の発掘として今年の「踊りに行くぜ!!」の最大の発見になるかもしれないと思わせたのがKENTARO!!「井上君起きて、起きてってば!!」である。今年行ったエジンバラ演劇祭でもいくつか見たし、ここ十年ほどヨーロッパのひとつの流行となっているのがストリート系のダンスの動きを取り入れたコンテンポラリーダンスなのだが実はこれまで見たダンスではほんの一部を除いて、あまり面白いと思うものに出会うことはなかった。
 その理由はコンテンポラリーダンスの振付家がストリート系の動きを取り入れる時にその動きのなにが魅力的なのかについての理解をかいていることが多く、逆にストリート系のダンサー・振付家の場合にはコンテンポラリーダンスというものに対する理解を基本的に欠いていることが多い*1ことにある。その意味ではKENTARO!!の舞台はそういう両ジャンルの違いをちゃんと理解したうえで、ストリート系のダンサーとしての魅力を消すことなく、それをきちんと作品化できていたという点でやっとでるべきものが出てきたという気にさせられたのだ。
HIPHOPのダンサーとしてのきわめて高いスキルを持ちながら、それを誇示することなく、ちゃんと自分の世界観をそのダンスのなかで提示しようとしている姿勢に好感を持った。  
 実はコンテンポラリーダンスの最大の特徴はほかのダンスジャンルがバレエにせよ、モダンダンスにせよ、レゲエダンス、ストリート、ジャズ、ラテンといったものもそのダンスが固有に持つムーブメント(身体語彙)の種類によって特徴づけられるのに対し、ジャンルとしてのコンテンポラリーダンスにはそうした固有の身体語彙がない、フリーフォームであるということにある。つまり、「コンテンポラリー」「ダンス」のダンスの部分には実は既存のあらゆるダンスの身体語彙が代入可能なのである。重要なのはそうしたさまざまなジャンルの「ダンス」が成立している既存の枠組み、その世界でだけ成立する約束事への異議申し立て、あるいは批評性であり、それがあるダンスはコンテンポラリーダンスと位置づけられるというのが私の考えだ。
 であるから、実際には「コンテンポラリー・HIPHOP」であるKENTARO!!の作品も、「コンテンポラリー・マイム」である水と油の作品もコンテンポラリーダンスといっていいはずである。水と油を例を出したのはマイムの世界からコンテンポラリーダンス的な表現に参入していった水と油の構え方とHIPHOPの世界からそれをしたKENTARO!!の構え方に相通ずるものを感じたからで、日本の最近のコンテンポラリーダンスには既存のテクニックを否定する傾向が強いのだが、それのひとつの方向性としてはありだとしても、それだけに固執しているとジャンル自体が貧しいものになっていき先細りする危惧を感じるからだ。
 もちろん、私自身も既存のテクニックを否定するような論調で作品を批判することはあるのだけれど、否定しなければいけないのはテクニックそのものではなくて、それがジャンルとして成立してくるなかで生まれてくるクリシェ(常套句)であって、そこがどれほど自覚的にできるかが、現代の表現たりえるかどうかの分水嶺ではないか
と思ったのである。
 「Flatinum Body フラチ不埒なボディ身体」という表題ではあるが、高野美和子はこの作品中のほとんどの場面で、腰のあたりから頭の先まですっかりと包み込むような真っ赤な衣装から両足だけを突き出して踊ってみせる。前半部分は基本的に脚だけのダンスで、すらりと突き出した白い脚がくねくねと動くさまにはなにやらフェティッシュな魅力がある。もっとも、この作品が変なのはこの衣装は脚を強調することで、ほかの体の部分を消すための衣装と一応、考えることもできるのではあるが、それにしてはその存在の自己主張が強く、全体の印象としては人間というよりは奇妙な生き物みたいにも見えるうえにそれがどことなく不気味でありながら、コミカルでもあるという不可思議な印象を醸し出すからだ。ダンスとしてどうだという前に「いったいこれはなんなんだろう」という感じなのだ。丸い形の衣装から白い脚がにゅきっと飛び出した姿はだるまに足がはえているいるように見えたり、あるいはある瞬間には現代美術家やなぎみわ*2の作品に登場した砂女を想起させたりもしたのだが、人間のようには見えなくてそういう異形なイメージが面白かった。
 もっとも、福岡会場に続き2度目の観劇であったが、提示された身体の異形的なビジョンにおいてはKo&Edge Co.「DEAD 1+」には圧倒的な力があった。福岡の時に書いた冒頭の天上から墜落して頭を砂の上に突っ込んだ人のような逆立ち姿はやはり面白く、その姿勢における背中の細かい筋肉の微細な動きなどが、「静止」という振付により逆説的に立ち現れてくるという構想はやはりアイデアとして秀逸だと思った。ただ、この日は前に高野の作品があったことで、その後のこの作品においてはメタモルフォーゼの第2ステージとなる逆立ちの形から足をゆっくりと下ろして、背中だけを見せてまるまるような形をとった時が面白いと思った。第1フェーズの逆立ちでは転倒した形ではあれ、人間の形をとっていた体がこうなると背中全体が異形の生き物の顔の部分のようにも見えてくるのだ。しかもその形のままダンサーはホーミーのような声を出すと、横隔膜が震えたりすることで、その変な生き物の表情が変化することで、そこのところが面白かった。
 
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*1:つまり、結局は技術を見せることに終始して作品としての完成度を欠いていることが多い

*2:http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20050814