ニブロール「NO DIRECTION,everyday」@福岡イムズホール

ニブロール「NO DIRECTION,everyday」(福岡イムズホール)を観劇。

Cast & Staff
[出演]
たかぎ まゆ/佐川 智香/木村 美那子/陽 茂弥/原田 悠/足立 智充/矢内原 美邦 他
[スタッフ]
振付:矢内原 美邦/映像:高橋 啓祐/衣装:矢内原 充志/照明:滝之入 海/音楽:スカンク/美術:久野 啓太郎

 演劇公演であるMIKUNI YANAIHARA PROJECToff nibrollなどメンバーの別ユニット公演があったせいで、ひさしぶりという感じは薄いのではあるが、この公演は実はニブロールとしては「ドライフラワー*1以来実に2年半ぶりのニブロールの新作なのであった。この集団の場合、これまでの公演では作品をいろんな形での再演を繰り返しながら熟成させクオリティーを高めていくというのが通例であり、それは逆に言えば初演時の作品には若干の未完成感が漂うことが多いということでもあり、しかも今回は大胆にも福岡の旅公演がワールドプレミア(世界初演)ということで見る前は若干の不安もあったのだが、さすがに2年以上の間をおいての満を持しての新作はダテではなかったというか、それこそ一度観劇したしただけでは消化しきれないほどの豊富なアイデアが盛り込まれていて、そういう意味ではもの凄く刺激的な作品に仕上がっていた。
 舞台を見てまず気がつくのは特に映像と音楽においてそのことは顕著なのだが、それまでのニブロールの作品が映像にせよ、音楽にせよひとつの作品にはひとつの基調色(トーン)が貫かれていて、それがそれぞれの作品の色合いを形成していたのが、この「NO DIRECTION,everyday」では次から次へとまるで万華鏡のように千変万化な映像・音楽が繰り出されることだ。高橋啓祐の映像には「ドライフラワー」やその前後に製作されたインスタレーション向けに製作された動物や植物といった自然をモチーフにしたものとそれ以前に多用されていたビルなどの都市風景をベースにしたものがあるが、ここではそのモチーフが両方提示されるのに加えて、そのどちらともテイストの異なるCGによる記号的であったり、イラスト的だったりする映像も出てくるし、スカンクの音楽もテクノ、ノイズ、エレクトロニカ、ポップとなんでもありの状態で、ちょうど表題である「NO DIRECTION,everyday」の通りに方向性がつかめないほどの多種多様の要素が舞台上で氾濫している、というのがこの舞台の特徴なのである。
 矢内原美邦の振付、矢内原充志の衣装についても音楽、映像ほどにはわかりやすい形ではないものの、これまでいろんな作品で試みられた異なるテイストが音楽・映像の多様性と呼応するがごとくに盛り込まれていて、それが相当なスピード感覚のもとで次々と変転する。これは見る側からするとある意味、リアルタイムでの完全なキャッチアップが困難な情報過多にさらさせるような状況でもあり、「トゥーマッチ」な感がなくもないのだが、それは一方では以前にも書いたように「いま・ここ」という意味で「現代の東京の都市生活の状況」をセンシティブに反映したパフォーマンスでもあるということも言えるかもしれない。
 つまり、ここでは提示されるテーマでもある「NO DIRECTION,everyday=方向性がない毎日」と実際に展開される舞台自体の構造がある種の相似関係にあるというところに面白さがあるわけだが、実際の舞台にはそれゆえのジレンマも抱え込んでしまった感がなくもない。アフタートークなどからすると、作り手側からすると舞台の内容ではなく、形式が主題と呼応するというのはスカンクが「この作品ではあえていろんな種類の音楽を使うように工夫した」と語ったように確信犯のようだ。ただ、少なくとも主題に関していえばこの作品は「方向性がない」ということだけを単線に表現したいのではなくて、舞台中で使われた行列をつくりながら、そのなかで局部的には勝手に動きまわっている人間たちの映像のように「あるレベルで方向性がなくバラバラの方向に進んでいると思われた人々がそれをもっと大状況のなかで俯瞰的に見てみるとある方向に進んでいる」というような現実の重層性のようなものを表現しようと考えた節が確かにこの作品にはあった。けれど、少なくともこの日見た限りでは実際の舞台の印象はランダムな方向性の多様性の併置にとどまっている印象が強い。それゆえ、場面、場面では魅力的なシーンが多く、アイデアとしても宝の山なのだが、その全体をつなぐ糊しろとなりえるような要素が希薄で、そのために文字通り舞台を見終わった後もNO DIRECTIONというか、統一した印象が定まらないのだ。
 そのためにシーン、シーンごとの完成度はきわめて高いのにもかかわらず、全体としては未完成感が漂うという観客としては評価にとまどわざるをえないものとなっていた。もちろんこのことは一概に失敗と決め付けることはできない。舞台についての通常の観点では未完成でも「主題と形式の一致」という前述の観点からすれば「それでいい」というラジカルな考え方もあるわけで、印象の統一ではなくてなにか別の方法ということも考えられはする。だが、その場合も舞台として考えるともう少し分かりやすくそのことを提示できればと思う。
 あるいはもし重層的な構造におけるランダムにおける統一のようなものを考えるなら、この日は映像がなんとかその役割を果たそうと頑張っていた感があったが、どうしても具象性が強いという意味で映像にその役割を果たさせるというのは下手をすればせっかくの豊富なイメージを狭めるような方向性になりかねないだけにそこをつないでいくのはやはり「身体」しかないと思う。
 その意味では今回の作品においては矢内原美邦が自ら登場してソロを踊り、その後女性ダンサーの群舞に変化していく場面のようないくつかの非常に印象的な場面はあるのだが、まだ作り手のなかでもあるいはパフォーマーとしても整理がついていないのではないかと思われる場面も散見され、それが単にNO DIRECTIONということでもなくて、それぞれにどのようなDIRECTIONを獲得していくのかというのが今後の課題でもあるかもしれない。
 来年初めには東京での再演が予定されていることでもあり、そこでの方向性がどうなるにせよ、叩き台となる部材の豊かさだけは十分な公演だった。練り直してどのように仕上がるかが今から楽しみで仕方ない初演ではあったと思う。  
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